SMAPのあれやこれや

連日の報道について、もやもや考えたことをやっぱり書き残しておきたいなと思いました。私の書くものはなんでもそうですが、今回も個人の感想です。SMAP解散騒動についての雑感です。

当日の心境

朝起きたら、Twitterが「SMAP解散!?」で埋まっていました。そんなまさか、いや今までだっていろいろあったのにこれだけ話題になっているのはおかしい、と思いながらヤフーニュースで記事の内容を読むと、長らくマネージャーを勤められていた飯島さんが退職されるという話で。これはおおごとだ……と胸がざわざわしました。そうしたらかつてないようなスピードで、ジャニーズ事務所の弁護士から「SMAPのメンバーが独立も視野に協議を重ねている」という話があったという報道、そしてマスコミ各社へのFAX。なんなんだこれは、本当のことなのか、と現実味がないまま、気持ちだけが沈んで1日が終わりました。

SMAPファンではない私がなぜこんなにダメージを受けたのか?もちろんSMAPという素晴らしいグループが危機という話がショックではあったのですが、さらに言うと「帝国の終わりを象徴する悲劇だった」という言葉がぐるぐる頭の中を回ったからでした。これは舞台『JOHNNYS’ World』における、ヒンデンブルク号墜落の場面のセリフで、まあSMAPヒンデンブルク号は全然違うのですが、このセリフだけがなんだか妙に重なってしまったのです。以前に「西暦2014年、スマ暦24年」という記事を書いた通り、私は今、自分がスマ暦を生きていると思っているので、SMAPが解散すると言われたらそれはもう暦が終わることであり、地球が灰色の星になってしまう*1みたいなことなのです。

またこれ、本人たちが何らかの事情でもうSMAPをやめたいと言うのであれば、暦が終わってもしょうがないと思えたかもしれません。しかし様々な報道を見比べてみると、本人たちの選択ではなく、外的な要因によってもたらされたことは間違いないようだったから、なんかやりきれない思いしかない。しかし私はジャニーズが好きであり、ジャニーズ事務所が好きであり、ジャニーズ事務所に関わる人もなんだかんだ好きなので、単純に好きな人たちがみんな分裂しそうという状態で、誰も憎むことができずにもやもやを抱えてしまったのでした。

今回色々言われているけど、メリーさんがいなければジャニーズ事務所だって存続していなかっただろうし*2、飯島さんがいなければもちろん今の暦がなかっただろうし、ジャニーさんの作る世界が好きだからジャニーズが好きなのだし、ジュリーさんのプロデュースした作品群に大きく影響を受けて過ごした。全てが私にとって必要なものなので、なんとかなってくれ、と願うしかないです。本当に。

派閥についての雑感

本当に色々なことを言われていますが、いちジャニヲタから見た派閥の件についても。私が重めのジャニヲタになったのは1997年ごろ、KinKi Kidsデビューからなのですが、その頃からファンの気持ちとしてもSMAPは別格扱いだったように思います。これはターゲットとする世代的なところもあったんじゃないかなと。木村さんが月9に出て、SMAPが社会人向けの歌を出していた頃、下の3グループの主戦場は”土9”であり、主なファン層はまだ小中学生でした。

だから、J-FRIENDSができた時も、TOKIOKinKi Kids、V6の3グループが組むことに違和感を持たなかったのです。SMAPはすでに国民的スターで、大人の女性からも支持される存在であり、まだSMAPに届かない若い3グループはユニットを組んで互いに切磋琢磨するものだと思っていました*3。私がのんきなだけかもしれなくて、内実は全然知らないのですが、いち後輩ファンから見れば、SMAPがないがしろにされているような印象はないまま、なんとなく「SMAPは別格」で約15年間過ごしてきたわけです。だって後輩グループだって新曲を出すたびに『うたばん』には出ていたし、『SMAP×SMAP』に出られなかったり、後輩のバラエティ番組になかなかSMAPが来れないのは、単純にSMAPがスターすぎるからかな?くらいに軽く考えていました。それが間違いだったのか、今となってはよく分からないし、そうやって騙してくれていたならそれでいいと思っています。

 

風向きが変わってきたように見えたのはここ5〜6年のことです。2009年にKinKi Kidsがスマスマに出て、2010年にKAT-TUNもゲストになり、ジャニーズJr.も度々出演するようになりました。「スマスマにジャニーズが出る」というのは、とてもすごいことのように見えました。2011年には、年始から『中居のかけ算』のリーダー鼎談(SMAP中居×TOKIO城島×V6坂本)が放映され、東日本大震災のチャリティーイベントMarching Jでは事務所全体の行事に参加し*4Kis-My-Ft2のデビュー後から、本格的にキスマイと絡む姿を見るようになりました。

このあたりの時期は「SMAPもやっぱりジャニーズだったんだなあ」と思っていた覚えがあります。悪いことではなく、むしろ雪解けのような。「嵐もだいぶ売れてきたし、SMAPが他のジャニーズと別格のスターから、ジャニーズのSMAPに戻るのかもしれない」くらいのことを思っていました。SMAPファンの方に怒られそうですが……。

まあそのあと、バーターの激しさにより2012年の半ば頃から「飯島班」「派閥」という言葉が自然発生的に流行り始めたのですが、なんとなくそこはネタ的なものとして処理していました。

V6ファンとして、割とざわっとした気持ちになったのは、2012年12月のことでした。中居さんが司会を務める歌番組『火曜曲』のクリスマスSPの出演者として、予告にV6の名前が出ていたのに、急遽出演がなくなってしまったのです。前身の番組『カミスン!』でも、『火曜曲』でも、新曲が出るたびに*5出演していたのに、その後は出演することもなく……。これも内実はわからないのでなんともですが、何の説明もなく出演が取りやめになっており、その頃はもう「派閥」という言葉も浸透し始めていたので、まさか、という気持ちに*6

そして2013年、日テレ系で嵐の櫻井翔が司会をつとめる『THE MUSIC DAY』(7月6日放送)が「音楽番組史上初の12時間の生放送」と発表された後、SMAP中居正広が司会をつとめるTBSの『音楽の日』(6月29日放送)が、「音楽番組史上最長時間の13時間15分」と銘打って放送されたのです。

いま冷静に考えたら、編成を決めるのはTBSと日テレであり、こんな大型番組にジャニーズ事務所がそこまで介入できるのかは微妙なラインという気がします。でもこの辺りから私も、私の周りのファンの間でも、本格的に、そして事あるごとに、さらに言えばネタでもなく本気のトーンで「派閥」という言葉が飛び交うようになっていった……ように思います。

追記:こちらについては、下記のような意見をいただきました

「テレビ史上初史上最長の生放送音楽番組」の触れ込みはTBSの「音楽の日」が先です。2011年です。 東日本大震災の被災者の皆さんをスタジオに招待したり震災で傷付いた日本を元気付けたいという趣旨の番組でした。 日本テレビがほぼ同じコンセプトで同じタイトル「THE MUSIC DAY」を発表したのは「音楽の日」より後年です。

知らずにすみません……!整理すると下記のような流れになります。日テレ、名前も酷似してるけどいいんか……。

  • 2011年「TV史上最長となる生放送の音楽番組『音楽の日』」(TBS)*7
  • 2013年4月発表「音楽番組史上初の12時間の生放送『THE MUSIC DAY』」(日テレ)
  • 2013年6月発表「音楽番組史上最長時間の13時間15分『音楽の日』」(TBS)

 

思い返していたらとまらなくなってしまいました。簡単にまとめると、SMAPというのはずっと別格の存在だったのが、2010年以降、特に2011年のMarching J以降「ジャニーズのSMAP」という印象が強くなり、さらには派閥的なことが言われるようになっていった。あくまでも個人の印象ですが、SMAPがいったんジャニーズ事務所に組み込まれたことで、「派閥」的な現象が膨らんでいってしまったというのは、なんだかとても皮肉のように思えます。

現在の心境

とりとめもなく書いてしまいましたが、こうやって記事が出て、世間が「SMAP解散しないで」となっていることは、とてもいいことのような気がしています。週刊誌の報道の仕方もどうかと思いますが、何もスクープされないまま解散だけが知らされていたら、もうなす術がなかったのかもしれない。そんなの恐ろしすぎる。もちろん、個人として何かできることがあるとまっすぐ信じられるわけではないですが、こんなにSMAPに同情的な世論ができているのに、ここから解散とか、普通の会社だったら絶対やらないでしょう。まあジャニーズ事務所は普通の会社じゃないから、全く先が読めないんですけど……。

また今回これだけの騒動、いろいろな人の行動、発言を引き出せるSMAPってなんてすごいんだろう、と改めてびっくりもしました。そしてとにかく波乱万丈すぎる。映画で言ったら、PART5くらいの展開だと思います。これまでの問題を乗り越えたんだから、今回もなんとかなって、SMAPの活躍が続いてほしい。祈ろう、世界が平和になることを!誓おう、二度と戦わないことを!*8

 

追記2:(id:drifter_2181)さんから下記のような補足もいただきました。ありがとうございます!

私も90年代からの認識はほぼ同じで、あとSMAP視点から見ると、SMAPチームとJ-FRIENDSチームの分岐点は96年だったのかなぁと。95年末はまだSMAPTOKIOKinKiがひとまとめで特番やってたりとかした時代で、年末年始のSMAPライブにもジャニーズJrが参加していました。 96年に道が分かれていったのは1:スマスマスタート(エッセイなどのメンバー発言を見るにSMAPチームが本格的ブレイクの手応えを掴んでいったタイミング)2:ドームツアーが開催可能になり、ライブに外部ダンサーを起用(実際キムタクブームが起こり始めた前年からライブ演出自体も大人びたものにブラッシュアップされ始めていて、正直95年の年末コンサートの時点でもうSMAP×幼いジャニーズJrのパフォーマンスは成立ギリギリだった記憶があります)あたりがたぶんスタートラインだったのではないかと。ちなみにジャニーズ運動会への参加も1996年あたりがSMAPは最後だったと思います。 ここからはほぼ個人の感想ですが、SMAPチームがジャニーズ事務所のルートを逸れて外へ外へと攻めていたことは、その後SMAPが歴史的ブレイクをうまく受け止める、長くもたせるという戦略の中でなるべくしてなっていったものだったと思います。SMAPが最初にブレイクを迎えたのはまだまだ光GENJIまでのアイドルに対する偏見とも戦わなければならなかった時代で、それがビッグ3や大物有名人と絡んでいく「別格」の道になっていったのかなぁと。でもやはり、そこは対外的な”世間相手”という部分が、当時のメンバーから見ても大きかったよなぁと。 私がなんか後ろが変わったなと思ったのは、KAT-TUNがスマスマに呼ばれたタイミングで、KinKiのスマスマ出演は直の後輩なんで割とするっと見ていたんですけど、KAT-TUNてどう考えてもそれまで直接関わりなかっただろうに、なんかこれは、中が変わったのかなと。 でもここまでなんやかんや書いてしまいましたが(長文になってすみません)結局なんべん見たって、もやもやしてたのって事務所内の処理のやりとりで、タレント同士は決して感情的な不仲を表にだすことってなかったですよね。祈ろう、ファンが深読みしなくても世界が平和になることを!誓おう、二度と戦わないことを!

 一応さらに補足しておくと、97年の「KYO TO KYO」には中居さん、香取さんもゲスト出演されてるんですよね。KTKは重要だったのかもしれません……。

*1:ちなみにこれも2年前のジャニーズワールドの展開です

*2:とはいえもう89歳て……とは思ってますもちろん……あとパワハラダメ絶対

*3:余談ですが、この時ドラマの視聴率やCDの売り上げで言えばすでにKinKi Kidsはかなりのスターではありました。でも、きっともっとゴールデンでレギュラーを持って、大人のドラマに出るはず、と思っていたのです

*4:佐野瑞樹もいました

*5:と言ってもだいたい年に1回

*6:V6はもうずっと、CDのクレジットに「Produced by JULIE K」と入っています

*7:TV史上最長となる生放送の音楽番組「音楽の日」にAKB48、KARAら50組 - TOWER RECORDS ONLINE

*8:ジャニーズワールドのセリフです

JOHNNY'S World '15-16 ストーリーのメモ的なもの(2幕)

さて2幕です。2幕は本当に、ほとんどストーリーがない。ショー→主張→ショー→主張のくり返しなので、大体のことがセリフのみで説明される。もちろんショーによって各々の心情を表してはいるんですけども、それすら表しているのは心情なので、とにかくずっとみんな心の中のことばかり話しているんですよね。だからもう、セリフメモ的なものになってしまう……。要約が難しいという。でもなんか、本当に例年よりも主張がわかりやすくなった気がします。

しかし、争いはやめようやめようって、マジで身内で争ってる場合じゃねーってばよ……という気持ちになる昨今です。ショーは平和の象徴なのにね。

 

※1幕はこちら 

sasagimame.hatenablog.com

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JOHNNY'S World '15-16 ストーリーのメモ的なもの(1幕)

今年のジャニワでございます。ジャニワも4年目、健人さんが相関図を書いてまとめたり、勝利さんが意見を出したりしてわかりやすくしたと言っていた通り、けっこう登場人物の主張の意味が今までよりもわかる…気がする……。

これ本当にメモ的なものなので、また観に行った後にちょこちょこ修正を入れるかもしれません、どうぞよろしくお願いいたします*1。映像化してくれれば、もしくは台本売ってくれればなあ。

*1:ノンスタイルに見られたら怒られそう

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2015年参戦ステージ記録

まだ終わってないんですけど、2015年最後なので現場振り返りです。

今までの。
2008年 
2009年 
2010年
2011年 
2012年
2013年
2014年

2015年の半券は全部で48枚。去年に比べて増えてます。

ステージの種類で言うと

  • コンサート・ライブ:23
  • 舞台:25 (ミュージカル×17、ストレートプレイ×6、バレエ×2)

一番行った会場は帝国劇場(11回)でした。東京ドーム(9回)、Bunkamuraシアターコクーン(5回)が続きます。一番リピったのは、「V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995〜FOREVER-」(6回)。ほかリピったのは「DREAM BOYS」(5回)、ガムシャラ!サマーステーション(3回)

いろいろありますが、やはり安井くんにすっ転んだのが大きかったですね……。バックなのでいろいろ出番が散らばっていますが、安井現場だけで言うと10回でした。逆に実はV6、コンサートしかないので現場数は減っていたんだなあと思いました。SONGSの番協、24時間TVやミュージックソンの募金、あとTVでたくさん見れたから全然満足です。コンサートもそもそも入れないという方もいたと言いますし……。交換したりお誘いいただいたりと、なんだかんだでちょっとずつ増えていった。
一覧で見ると、9月がなかなか頭おかしいですね。そして現場へのハードルがめちゃくちゃに下がって、11月以降もいろいろいってる感。2016年はどうなるの??

 

以下一覧

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1969年、フォーリーブスの『少年たち』

最近のジャニーズ舞台、おなじみ演目となった『少年たち』。2010年にA.B.C-ZKis-My-Ft2が演じてから定期的に公演されており、今年は戦争の要素が入ったことで話題となりました。関西担の友人たちとともにこの作品について調べているうち*1、初演の情報が少し集まってきましたので、ブログにまとめてみることにしました。情報だけを並べて、だからなんだという感じではあるのですが、誰かの作品解釈のお役にでも立てば……。

少年たち -小さな抵抗-
(1969年12月、大阪フェスティバルホール日生劇場、主催:民音、監修:萩原朔美)

第1幕 「少年たち」
第2幕 「おお・マイ・ママ」*2

記念すべき第1作目の『少年たち』、主演はフォーリーブスでした。現在上演されている『少年たち』の原型となっている作品と言えるでしょう。先日こちらの公演レコードを購入しましたので、そこに載っている歌詞情報などを見ていきたいと思います*3

■クレジット

出演:フォーリーブス、ザ・ハイソサエティ、ジューク・ボックス、(演劇実験室)天井桟敷
構成:ジャニー・喜多川
監修:萩原朔美
題字:石原慎太郎*4

■あらすじ

手元の本にあらすじがありましたので、引用いたします。だいたい今と同じ流れの話だったようです。

少年院から脱走を試みる少年たち。あるものは、親に会いたいと思い、あるものは限られた鉄の壁の生活から逃れたいと心に決め、あるものはひとりぼっちになる寂しさが恐くなって脱走をする。
が、年少のひとりが少年院の壁をとびそこねて宙ぶらりんとなる。ある少年(北公次が扮する)がみかねて助けようとするが、思いがけなく足をすべらせて転落。彼は息を引き取る。彼は本当は逃げたくなかったのだ。逃げても行くところがなかったからだ。でも、最後にはみんなといっしょに脱走しようとした。何故か。
ひとりぼっちになりたくなかったのだ。少年院にはいって、やっと友だちができた。その友だちと別れるのが悲しかったのだ。
少年は死んだ。
そして、時はすぎた。
そのとき脱走しようととした少年たちの数人が、晴れて出所を許される日がきた。
出て行く少年たちと、見送る少年たちと。いつか口をついて出た歌は、死んでいったあの孤独な少年の魂を慰めるような『あいつのぶんも生きる』であった。
*5 

■曲

  • ヤング・サプライズ 少年は今何を考える (白鳥八郎 作・編曲)
  • なぜっておいらに聞くのかい (寺山修司 作詞/白野隆一 作曲/白鳥八郎 編曲)
  • 抵抗のうた (加味優 作詩/白鳥八郎 作・編曲)
  • ある晴れた朝 (江木俊夫 作詩・作曲/白鳥八郎 編曲) 
  • ぼくは あそこで (高橋睦郎 作詩/中村八大 作・編曲)
  • ここは何処 (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • 脚のないケヤキ (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • 生と死のあいま (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • あいつのぶんも生きる (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • 少年たちの歩み -君にこの歌を、なぜっておいらに聞くのかい- (藤田敏雄・寺山修司 作詩/白鳥八郎・白野隆一 作曲/白鳥八郎 編曲)

全体の流れ

詩人・萩原朔太郎の孫であり、演劇実験室天井桟敷の演出をつとめていた萩原朔美*6が監修、寺山修司の詩を使用し、劇団員も出演していたらしい。かなりアングラな雰囲気を漂わせていたのではないかと思うと、当時のフォーリーブスファンは一体どういう気持ちで観ていたのだろうか、と気になりますね。

それでは、前述したレコードの歌詞を見ていくことによって、全体の流れを追っていきましょう。「ヤング・サプライズ 少年は今何を考える」は日記を書く少年の心の独白。続く寺山修司作詩の「なぜっておいらに聞くのかい」は、現在の『少年たち』で歌われている曲「僕に聞くのかい」と同じ位置付けの曲です。というかもう、こんな似てていいの!?ってフレーズが……オマージュってことでしょうか。

「なぜっておいらに聞くのかい」(フォーリーブス)

教科書まくらに キスをした
学校さぼって 恋をした
なぜって おいらに聞くのかい
空がとっても青いから*7

「僕に聞くのかい」(現在の「少年たち」)
何故ここに来たのか
この僕に聞くのかい
答えは簡単さ
あの空が青いから 

「抵抗のうた」では3人の背景(それぞれ父親や教師や警官に抵抗している)が歌われ、「ある晴れた朝」は劇中の一人……おそらく江木俊夫が「なあおい!俺、歌を作ったんだ、聞いてくれよ!」と言って披露する歌。

「ぼくはあそこで」「ここは何処」の歌詞を見ると、囚われの身にどんどん悩み始めているので、ここら辺で脱走を企てるに至るのでしょう。そして「脚のないケヤキ」で北公次が転落してしまった様子が伺えます。「生と死のあいま」には、死に向かう北公次の歌パート(たぶん)と、少年たちの独白パートが*8。独白パートが誰のセリフかははっきりしないのですが、北公次→他の3人なのかな?

十八年前の一月に生まれ、十年間母さんのお世話になった。父さんのお世話になったのは、たった三年間だけ、それも僕の記憶にない。あの娘と知り合ったのが二年間、これから何十年も知り合っていたかったのに、それもとうとう出来なくなった。もう一度生まれてみたい、生きるために生まれてみたい。

そしてあいつは死んだ。あいつの日記も終った。それは、あいつが望んでいたことかもしれない。

この日記がいつか古いものになり一日もはやく俺の手から消えるのを願いながら、俺は書きつづける。

「あいつのぶんも生きる」は現在も歌われているのと同じ楽曲です。最後の「少年たちの歩み -君にこの歌を、なぜっておいらに聞くのかい-」*9では、出所する少年たちが新入りたちに日記を託す様子も入っています。

新入りか、みんな楽しそうだなあ。
俺達の歩んだ道をまた行く。
うん、苦しいんだよきっと、でも頑張るだろう。
若いんだもん。
おい、おい、これ、俺達の仲間が書いた日記なんだ。おまえたちにあげる。大事にしてくれよな。読んでくれよ。
うん、おまえ達にもわかる時がくるさ……
じゃあ元気でな、がんばれよ!

現在の『少年たち』でおなじみの対立シーンや、横暴な看守長の存在については、歌詞からは確認できません。メインの少年が4人しかいないので、対立も何も、という感じだったのかもしれないですね。

格子なき牢獄

劇中4曲の作詩を担当した詩人の高橋睦郎は下記のように語っています。

舞台は"格子なき牢獄"。こんな特殊な場所に「少年たち」をおいたのは、かれらの無垢な魂が非常な場にあることで、いっそう無垢なかたちであらわになると思ったからである。(高橋睦郎)

2010年『少年たち』が復活する際につけられた「格子無き牢獄」というサブタイトルは、この言葉から来ているのでしょう。

ちなみに「格子なき牢獄」で調べると、1938年公開のドイツ映画『格子なき牢獄』が出てきます。この映画は、日本でも戦前~戦後幾度となく再上映されたほどに人気だったらしい*10。映画の舞台は「少女感化院」……ちょっと道を踏み外してしまった少女を、自立できるように導く施設だったみたいで、これに影響されて少年院が舞台になったのかもしれません。でもよく考えたら少年院って、そもそも格子あるんじゃないの!?


というわけで、『少年たち』第1作目の情報でした。このあともフォーリーブスは「少年たちシリーズ」として6作、さらに10周年ライブで『少年たちパートⅡ』*11というミュージカルを披露したらしい。
先日購入した5作目のレコード『少年たち -明日なき友情-』を見ると、あらすじは全然違うものでした。『少年たち』という演目名は共通していても、都度新しい物語で展開していたみたいです。この形式が、少年隊の『PLAYZONE』に引き継がれたのかもしれませんね。

フォーリーブス担のお話

ちなみに、縁があって当時フォーリーブスファンだった方にお話を伺う機会がありましたので少し感想をきいてみました。『少年たちシリーズ〜 フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ』(1971年10月公演。ストーリーは『少年たち -小さな抵抗-』とは別物)を観に行ったことがあるそうです。個人の感想として伺ったものですが、とてもおもしろい……。


Q.アイドルの舞台なのに、ストーリーが暗いという印象はなかったですか?

ジャニーズ舞台は大抵人が刺されたり死んだりするので、明るい舞台なんてないのでは。∞みたいなものは昔はなく、全体的に大人しい印象でした。舞台で流れる音楽は当時のハードロックのようなものであったため、そこは当時としては明るかったかもしれません。

Q.舞台の演出などはいかがでしたか

舞台の後にショータイムがあるため、舞台の記憶が全て吹っ飛びました。同じ舞台内容で全国ツアーを行っていました*12。後に発売された舞台の写真(当時はモノクロでした)を見て、公演のレコードを聴きながら舞台の記憶に浸る形。地方を回って公演を行うため、セットは机と椅子くらいのもので、それでも演技力で背景が見えました。

Q.コント的な要素はあったのですか?

当時は「雲の上の人」だから、今みたいなことはしませんでした。時折マー坊(おりも政夫)がアドリブをいれることはありました。

Q.フォーリーブスの印象について教えて下さい

グループサウンズの終わり頃に登場したフォーリーブスは、優等生的なイメージで売り出され、髪型もサッパリしていました。フォーリーブスの世代は自分より少し上、姉くらいがドンピシャでした。当時は「コンサートへ行く」こと自体が「不良のすること」という認識をされるため、文句を言われないよう、成績を上位に保っていました。

フォーリーブス担さんの担当遍歴

図々しくも、担当遍歴まで伺いました。昔からファンは事務所ぐるみで応援していたのかと感慨深いような。フォーリーブスのバックにいた郷ひろみを好きになってバスツアー参加とか最高だ……。

  • 幼稚園頃は俳優の西郷輝彦が好きだった。
  • フォーリーブスではマー坊(おりも政夫)が好き。姉はター坊(青山孝)ファンで、ファンクラブに入会。
  • その弟分ジュークボックスでは小谷純が好き。

--このあたりで初めてリサイタルに参加。--

--結婚、出産--

  • 光GENJIなどはテレビで見ている程度。
  • 93年 SMAPとかを見始める。
  • 95年 KinKi Kids。(光一さん寄りのftr派が現在のスタンス)。Jr.番組やスマスマなどありとあらゆる番組をビデオに録画しだす。
  • 96年 「堂本剛のDO-YA!」で披露された、村上信五のセーラー服姿が可愛かった。
  • 97年 「なんじゃにカンジャニ」で「BOYS IN WEST SIDE」を歌う横山裕が好き。
  • 04年 ドリボ、やぐらダンスあたりで関ジャニ∞熱が高まる。夏の松竹座「Summer Storm」にも参加。
  • 現在 村上信五錦戸亮が好き。舞台の生田斗真も好き。

※担降りではなく掛け持ちだそうです。
※ちなみにお姉さまはフォーリーブスではター坊、ハイソサエティではギターの高橋洋一KinKi Kids堂本光一、嵐は相葉雅紀らしい。「姉は今でもター坊」(フォーリーブス担さん・談)
※12月に大阪で行れるフォーリーブスのディナーショー(鬼籍の二名は映像出演)のチケットを無事ゲットできたそうです!

おまけ

実際にレコードを聴いた方の記事を見つけましたので……。

yotsuba4ever.blog.fc2.com

yotsuba4ever.blog.fc2.com

*1:ちなみに私は観ていないんですが!DVDは持ってるよ!看守の安井のために

*2:参考:ジャニーズ百科事典

*3:再生機器がないので中身は聴けない……

*4:石原慎太郎は、ジャニーズの舞台『太陽の季節』原作者でもありますね

*5:和泉ヒロシ『ジャニーズ・ファミリー ―裸になった少年たち―』オリオン出版,1976

*6:説明が乱暴すぎてすみません

*7:ちなみにこの詞は、江夏圭介『新 初恋』(1968年)の歌詞でもあるようです。

*8:ミュージカルのレコードなので、歌の前後のセリフが少しずつ入ってるのだと思われる

*9:「君にこの歌を」「なぜっておいらに聞くのかい」を一緒に歌ってるぽい

*10:ソース:Wikipediaですが……

*11:内容は不明

*12:東京の帝国劇場、大阪、名古屋で公演

SMAPは少年漫画の世界をつくったのか

※この記事は、田口くんの脱退について触れていますのでご注意ください。

 

先日、日テレの「ベストアーティスト2015」という生放送の歌番組で、KAT-TUN田口淳之介くんが脱退を発表しました。めちゃくちゃにびっくりしてつらい気持ちになったのですが、その発表のあとにメンバーの亀梨和也くんがたくさん謝っていたことにも驚きました。もうほとんど、不祥事の謝罪会見でした。

本当にまず大変の発表で申し訳ございません。何度もこのような形になってしまい、関係者の皆様、ファンの皆様、本当にたくさんのご迷惑とご心配をおかけしてしまっていること、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。すいません。KAT-TUNのメンバーの一員としてこのできごとを真摯にうけとめ、4人のKAT-TUNとしていただいているお仕事にしっかりと責任を持ち、全力で向き合っていかせていただきたいなと思っています。今回は本当に日本テレビさん、番組スタッフの皆様、櫻井くんをはじめとする出演者の皆様、本日出演されているアーティストの皆様ならびに関係者の皆様、そしてTVをご覧いただいております視聴者のみなさま、本当にご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。このような時間をつくっていただきまして本当に皆様、ありがとうございます。

更にすごかったのは、男性アイドルがメンバーの脱退に対してこんなに謝ったあとで、AKB48高橋みなみさんがさわやかに卒業について触れたことです。女性アイドルと男性アイドルで、「脱退」についての考え方が全然違うことがよくわかるできごとでした。どちらが良いとも、悪いとも言えないのですが。
この光景について話していた時、少女漫画の研究をしている方が「女性は少女からの卒業によって物語がなりたつけど、男性は少年からの延長に物語がある。だから女性アイドルにとって卒業は当たり前だけど、男性アイドルにとっては当たり前ではなくて、亀梨くんはあんなに謝らなくてはならなかったのかもしれない。少女漫画/少年漫画の違いといっしょだなと思った」という主旨のことを言っていました。つまり、女性アイドルは少女漫画の文脈で、男性アイドルは少年漫画の文脈にありそうだというわけですね。ちょっとこの仮定にそって、考えてみたいなと思いました*1

Before/After SMAPで変わったもの

いまでこそ少年の延長で終わらない物語を続けている男性アイドルグループですが、「Before SMAP」の世界では解散も脱退も当たり前に存在していました。現在のようにほとんどのグループが解散せず、毎年どこかで●●周年を祝うような状態は、SMAP登場以降の世界で起こっているできごとです。

※参考

sasagimame.hatenablog.com

これを単純に先ほどの図式にあてはめてみると「Before SMAP=少女漫画の世界」「After SMAP=少年漫画の世界」となります。
Before SMAPの時代、なぜアイドルは男性なのに少女漫画の世界を生きていたのか、それはアイドルをめぐる物語の主役が、少女であるファンの方にあったからなのかな、と思いました。彼らは少女漫画のなかの王子様で、少女がいずれ卒業するべき初恋の相手で、だからこそ少女たちが卒業してしまったら自分たちも世界を去るしかなかったのではないか。
とまあ、かなり勝手に考えを進めていますが、実際にアイドルたちの述懐からもそのようなニュアンスを読み取ることは可能です。

ぼくはファンの人達に夢を与えるアイドル・スターだ。でも、たんに夢をあたえるというだけでいいのだろうか。自分の人間的な面をふくらまして、ファンとコミュニケートするなかから、ファンの人達とぼくとがいっしょになって夢や喜びをつくっていく。そういう形にならなければ、まもなく壁にぶつかるのではないか。(郷ひろみ)

 

僕は基本的にジャニーズ事務所ティーンエイジャーのための会社であるべきだと、思っている。今も三十代のタレントがいないわけではないし、いろいろな考え方があってもいいとは思うが、あくまでも、僕個人としては30歳をすぎたら事務所にお世話になるべきではないと考えていた。(田原俊彦)*2

 

古いファンが光GENJIに関心を失っていっても構わず、小・中学生の新たなファンが寄ってくるのを待ち構えているーー後期の光GENJIの戦略を、オレはそんなふうに受け止めるようになっていった。(大沢樹生)

※参考

sasagimame.hatenablog.com

男性アイドルは少年の延長で大人になっていっても、ファンはどんどん少女時代を卒業していってしまう。次の世代に王子の座を譲ることになるし、アイドル自身もいつまでも「少女の王子様」をやっていられないと考えてしまう……。
そこにあらわれたSMAPは、衣装も王子様系からカジュアルダウンするわ、バラエティ番組にも積極的に参加するわ、彼女の話もするわと、新しいアイドル像をつくっていきました。その像が、今も脈々と引き継がれています。

前述の仮定にそってみると、SMAPは「少女の王子様」を卒業することで、男性アイドルを「少年漫画」にした、自分たちが主体となった男性の物語に変化させたと言えるのではないかと思ったのです。そして、後続のグループもアイドル主体の物語をつむぐことによって、ジャニーズは「少女の物語」から卒業しなくても良くなっていったのではないでしょうか*3。たとえばいま日本を代表する男性アイドルである嵐は、「メンバーの仲が良い」ことがグループの魅力として筆頭にあげられています。これはやはり「嵐という男性の物語」の方が主となっている現状を表しているように見えます。メンバーの脱退、結婚、書類送検など多くのハプニングを抱えたSMAPが、2014年の27時間TVで多くの人の涙を誘ったのも記憶に新しいですよね。

モブは見守ることしかできない

と、ここまで考えたのですが、彼らが卒業しない物語をつむぐのであれば、やっぱり結婚や脱退などの選択も避けては通れない道となってしまうのかもしれません。だって我々ファンが主役ではなく少年漫画の脇役、というかモブ的存在、あるいはただの読者なら、主役の決断に対して何も言うことができないではないですか。卒業しない前提だから、亀梨くんはあんなに謝ったけど、卒業しないのなら、何があっても見守らなければいけない。矛盾しているようですが、そういうことなのかなと。更に言えば、彼らが自分たちの物語を提供するのなら、最悪ファンの方がみんな卒業してしまっても、物語自体は成立してしまう。もちろんタレントとして十分な収入があってビジネス的にOKであれば、という話ではありますが。ちょっと、さびしい気持ちになる部分もありますね……。

まあこの仮定をあてはめられるのかちゃんと検証しなければいけないのかもしれないし、いやそもそも男性アイドルは少女漫画でしかないよとか、もしかしたらいったんは男性の物語になったけど、また揺り戻しのように「ファンである女性の物語」になってきているとか、いろいろあるかもしれません。女性の物語も少女からの卒業ではなく、少女の延長にあるのだ、という風潮になってくれば、ファンの物語になっても王子様はいなくならないですむのですから*4
何が良いことで何が悪いことなのか、自分には判断することができません。ただ、個人的にはどんなかたちであっても、終わらない物語を見たいと、願ってしまうな~~。

*1:「少女が卒業しない少女漫画もある!」「少年が卒業しなければいけない少年漫画もある!」的な意見もありそうですが、いったんこの仮定にそいますよ

*2:これはアイドルがティーンエイジャーであるべきと言っているようにも読めますが、それであれば「20歳をすぎたら」と言うと思うので、ファンの想定がティーンエイジャーなのだろうと解釈しました

*3:そっちのがつらいという説もあるでしょう

*4:それが良いことなのかはともかく

2015年11月1日の記録 コンサート編

さて、V6の20周年コンサート本編です*1。今回は本当に、このデビュー日11月1日のチケットがとれなかったみたいで、先の記者会見の前説でも、つーこさんに「水道橋(東京ドーム)でできるくらい応募が来たんだけどね〜」と言われていました。そんなチケットですが、私はなぜか割とあっさり当選を確認してしまい、「もしかして意外と応募少なかったのかな?」などと思っていたから、あとから激戦だったときいて驚きました。今まで激戦のコンサートがすんなり当たったことなんてなくって、苦労して探していたのに、こんなことも起こるもんですね……。

ちなみに記者会見編はこちらです。 

sasagimame.hatenablog.com

本編

私の席はロイヤルボックス上あたりだったので様子はほとんどわからなかったのですが、いつもよりもずらーっと席が空いているのが少しだけ見えて、これはたくさんゲストが来そうだ、とどきどき。客電が落ちてすぐに、ぞろぞろと男性たちが現れて座っていきました。前半5曲目、「太陽のあたる場所」でV6が外周を通るとすでに総立ちで大盛り上がり。

今回のV6コンサートでは、あいさつMC時に毎回「20代の人〜!?」「30代の人〜!?」と手と声を上げさせる、通称「点呼」があるのですが、11月1日、明らかに他の回より10代・子供・男性が少ない!!1曲1曲始まる前の「この曲が来るんだ!」的な歓声も他の回より若干少なかったので、大半が歴戦の猛者だったのではないかと思われます。そんなわけで男性は少なかったけど、ロイヤルボックスの集団ががうおおおお!!! と盛り上がっていて、V6のメンバーも「盛り上がっている集団が……」「明らかに声を出し慣れている人たちがね」と笑ってしまうほどでした。

最初のMCでは外で音漏れを聞いているファンが大勢いることを知らされて、「一番声が大きいから」と指名された岡田が何回か呼びかけたけど、最初だけ外のファンからの声が聞こえた、ような気がする。この音漏れ開放の是非は、終演後少し話題になっていましたね。基本はだめだろうけど、その場で主催者がいけると判断した結果、大きな問題にならなかったことに対して、あまり言わなくても良いのではないかなと思いました。他の会場で真似する人が出てきたら、追い返したらいいわけですし。ただ、家でおとなしく待っていた方たちが悔しいと思うのは気の毒だなあ……。

本MCではなんとなくいつもよりそわそわした空気のなか、今日はジャニーズ事務所の仲間がきてくれています!とロイヤルボックスの面々を紹介。現れたのはTOKIO、嵐、生田斗真Hey! Say! JUMP戸塚祥太(A.B.C-Z)の計21名でした。多い!!乱闘あり、ほっこりありの楽しいMCでした(後述)。このときは、みんなの出番はここで終わりなのかな?などとのんきに考えていた。

あいさつ

本編最後に1人ずつからあいさつ。ここでみんな少しずつ目がうるんでいました。話があっちこっちいってるな〜と思ったら、めちゃくちゃはにかみながら「V6のファンは誇れます。みんなのことが大好きです」と言った博。簡潔にしっかりと「これからもがんばっていきます」と言ってくれた剛くん。「たくさんあるグループの中から僕たちを選んでくれてありがとう」と言った健ちゃん。「グループをちゃんと見れていない時期もあったけど、お兄さんたちが優しく迎えてくれた」といつも正直な気持ちをくれる岡田。「1995年11月1日ーー……」とミュージカルちっくに語り始め「きれいでかわいいみんなのおかげでここまでこれました」と真顔で言ってのけた坂本さん。「みんなうちわとか、その文字カッターで切ってつくってくれたんでしょ?」とファンの努力に触れつつ「子供たちが大人になったとき良い世の中にしていこう」とジャニーイズムを受け継ぐ井ノ原。6人ともいいあいさつだったよ〜。

アンコール

コールをしていると、いつものようにバックから坂本さんの声だけがして「まだいけるか〜!?」と煽ってくる。いつものようにイエーイ!とか言って、いつものようにMADE IN JAPANのイントロが流れると思ったら……ちがった!TAKE ME HIGHERのイントロが流れて、「さっきコンサート本編で歌ったよね!?」とめちゃくちゃ混乱しました。そしたら、いつも6人のはずのシルエットが多い!私はここでやっと「嵐がバックにつくんだ!!」と気づきました。鈍いわ!嵐のことを忘れるくらいコンサートに集中してたから……。

嵐がバックについてくれた『TAKE ME HIGHER』は、もうめちゃくちゃにたぎりましたね。2001年からのファンなので、V6のバックにJr.がついていた時期をちゃんと見ていたわけじゃなかったんだけど*2、11人で踊る姿に流れる「あの頃の空気」がすごくて、一気にタイムスリップしたみたいだった。踊り終わったあとの翔くんも「僕ら、それから(ロイヤルボックスにいる)斗真が知っているコンサートというのは、V6のみなさんの背中越しに、ファンのみなさんを見る景色で。それを思い出した」と言っていて。そういえば翔くんって嵐の1stコンサートでも「すべてのジャニーズJr.にありがとう」と言ってたし、もしかしたら、あの黄金期のJr.たちを代表してバックをつとめてくれたのかな……と思ったらなんだか泣けてきてしまいました。V6の背中には、いろんな思いが乗ってるんだなあと。

今回のPJを先頭をきって進めてくれたのは松潤だったらしく、井ノ原に電話をして許可をとり、でも「絶対に邪魔だけはしたくない」から、今回のコンサートの映像を取り寄せて、どこで出るべきかを検討してくれたそうです。井ノ原が「本編で出てきたらいいんじゃないの?」と言っても、「あそこはV6とファンとの距離の話をしているところだから、だめです」と言ったらしく、本当にその通りだよ!とファンからも大きな拍手でした。そう、本編で歌う「TAKE ME HIGHER」は、ちょうど「V6同士の距離は●m」「ステージの最後列との距離は●m」「V6とファンとの距離は●m」といった映像が流れたあとのパートだったんですよね。細やかな気遣いに感心するとともに、ここまでやるからトップに立てるんだな、と少しおそろしくも感じました。

ちなみに一部で物議をかもしたのが、松潤の発言。V6のダンスは残ってるんだけど、Jr.の振り付け資料がなかったため、ファミリークラブのスタッフさんに頼んだところ、ファンの方が昔のミュージックステーションなどのビデオをたくさん送ってくれたんだって。……いやいや、きいてないよ!?どこのファンに、どんな連絡がいったんだろう?たぶんこれは疑問を持ってはいけないやつ*3

その後嵐はロイヤルボックスに戻り、通常と同じようにアンコール曲を2曲。さらにV6はもう一度アンコールで出てきてくれて、こちらも2曲歌ったのちに去って行った。と思ったら、スクリーンに6人のイラストが描かれていって、「To Be Continued…」の文字。このイラストについては、ジャニーズweb内の連載「にこにこ健」にて、見ることができます*4。健ちゃんからのサプライズで、6人にTシャツとして配られたなんて、本当に粋なことする。

トリプルアンコール

ファンからの止まない「もう1回!!もう1回!!」の声にもう一度出てきてくれた6人。と思ったら、メインスクリーンに「V6へ」という文字が流れてきました。メンバーもあれ、という感じで横並びで座ってスクリーンを見つめ、客席のこちらも何だろうと、わくわくして見守っていたら、さらにメッセージが……。

 

V6へ

 

1995年11月1日、あなたたちはわたしたちの前に現れました


いや、誰だよ!!!!


思わず往年のテキストサイトのようなフォント芸ツッコミを……。V6さんたちは静かに見ているんですけど、客席の私たちとしては「誰からの手紙?」「ファン??」「ファミクラ?」「つーこさん??」「つーこさん?」「つーこさんで」「つーこさんでいいか」とまとめた。先ほどの「TAKE ME HIGHERの映像資料を提供してくれたファン」と並んで、2大謎のファン代表でした。こういうとき、ファミリークラブは消費者のための組織ではなく、ファンの上位組織であることを思い出すのだ……。


とまあ動揺するわれわれをよそに、つーこさんから(仮)のV6へのメッセージはすすみ。各会場でファンたちがV6に内緒でメッセージリボンを書いていたことが語られ、20万にもおよぶメッセージのリボン、うけとってください!という文章とともに、6人を包むようにぶわーっと赤と白のリボンが降り注ぎはじめて。

私はこの日までにけっこう、あの各会場で書いたメッセージリボンがどういったサプライズで使われるのかな?と想像していたんです。去年のTOKIOの20周年みたいにくす玉かな、とか、何かこうボードに貼られてモザイクアートみたいになるのかな、とか。でも本当にシンプルに、下から吹く風に乗せて一度舞い上がった20万のリボンがひらひらと6人に降り注いでいて、「この繊細さがV6なんだ」と胸を打たれる思いでした。リボン越しの6人が無心にメッセージを読んでいるのを見て、まるで少女漫画のワンシーンみたいだと思ったんですよね。V6って、同世代の他のグループと比べても、なんだかんだ全員がファンの王子様的存在であり続けた20年を過ごしたんじゃないか……って、勝手に私が思ってるだけなんですけど、だからこそ、この繊細な演出がはまっていた気がする。バックに流れていた「愛をこめて」のインストも、少女漫画だった。本当に。

またこのあとの流れが神がかっていて、急に長野博(43)が「まみれちゃお〜!」ってリボンの上に寝転び始めたんですよ!まさか博があんなことするとは思わなくって、ステージ上のメンバーもちょっと虚をつかれたみたいになって、井ノ原が「長野くん、なにやってんだよ!」と言うんだけど、すぐに「おれも〜!」と寝転びはじめた。次々とメンバーがリボンの上にねそべって、最後の剛くんも「そんなのが楽しいわけ……俺も〜!!」とダイブしてくれまして。妖精かよ!と言いたくなる軽やかな動きでした。

それだけでもかわいかったのに、健ちゃんが「記念写真撮ろう」と言いだして、なんと自分のスマホを持ってきてたんですね。それで6人顔を寄せてカメラにおさまろうとしている姿を、メインステージの天井にあったカメラが、スクリーンに大写しにしてくれたんです。てか今回そんなカメラあったんだ!?とびっくり。森田が写ってないだの、長い棒(セルカ棒)持ってきとけよ〜!だのわいわい言いながら、健ちゃんが腕を伸ばしたスマホカメラのシャッターを岡田が切って、無事に撮影されたのが今ジャニーズwebの連載「にこにこ健」に載ってる写真です。

博が寝っ転がったこと、次々とみんながリボンにダイブしたこと、健ちゃんがスマホを持ってきてたこと、撮影中の姿を上からのカメラでうつしてくれたこと、どれもがきれいにはまっていて、放送作家の台本あるんじゃ!?と思ってしまったくらいでした*5。リボンが降り注いでいる最中のV6はファンのアイドルV6だったんだけど、6人だけで寝っ転がって自撮りしてる姿はやっぱり少し家族みたいで、これもまたV6らしいなあと思って泣き笑いでした。いま思い出しても、きれいな空間だったなあ。

HELLO

そこからまた「もう1曲いくぞーーーー!!!」って煽りまくって始まったのが『Hello』*6の静かなイントロで一瞬「えっ!?」となったんですが、聴いてるともう、しみじみ名曲だよHello……(語彙がない)。

HELLO HELLO 気付いていますか?
今も変わらないまま 私はただ
HELLO HELLO 歌い続けていました

たぶん、地球が滅びても、V6は歌い続けてくれているよ……*7

ものすごく満ち足りた気持ちでステージを見つめていたら、外周花道から戻ってきた坂本さんと井ノ原がガシッとハグ。そして親戚のおじちゃんのように「みんな、ハグしとけよ!記念になるんだから!!」と言って、全組み合わせでハグし始めて。ねぎらうようなハグもあれば、子供がしがみつくようなハグもあり、20年やってきてるのになぜかぎこちないハグもあり、黄色い悲鳴をあげ続けました。

その後「みんなありがとう!」「ジャニーズ事務所ありがとう!」「エイベックスの松浦社長ありがとう!」「ジャニーさんありがとう!!」と叫ぶメンバーたち。追いかけて「ありがとう〜!!!」と叫ぶファンたち。でも「ジャニーさんありがとう!」って、天井見ながら言っちゃだめ……!!ああ、このあとだったかな?坂本くんがささっとメッセージのリボンを拾い集めてにこにこと胸に抱えていました。「甲子園の砂みたいに?」と笑う井ノ原。

そしてそしてそして、最後はやっぱり、健ちゃんの投げキスで終了。いや〜、本当に良いコンサートだったな。ぜんぜん派手なことはなかったんだけど、ひとつひとつが胸にじわっと広がって、いつまでも余韻が残っているような、良い20周年でした。改めて、本当におめでとう&ありがとうV6よ……。

 


↓おまけ:ジャニーズ大集合MCのメモ(だらだら書いてる&うろ覚え)

*1:コンサートの内容自体については、また後日まとめたい……

*2:KinKiは見ていたのでざっくりは見てたんですが

*3:その後坂本さんが「みんなおまえ(松潤)のファンになっちゃうよ!俺はもう、ファンのファンだよ!」と言い始めたときに井ノ原がさりげなく「ファンのおっかけ!」と言っていて笑ってしまった

*4:長場雄さんのイラストじゃないか?と言われてますね

*5:ここらへん、20年タレントやってる人たちはすごいな〜と謎に感心した

*6:アルバム『SUPER Very best』LoppiHMV版に収録

*7:ちなみにキンキは最後まで残っておいて死ぬ

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