どうだろう?

ジャニーズ(ファン)論が載ってるときいて、本を借りてきました。
まあそんな場合ではないんですけどもね…。

『21世紀の現実(リアリティ)』
宮台真司・鈴木弘輝 編著 / ミネルヴァ書房

この中に載ってる、辻泉氏の『ポピュラー文化の危機−−ジャニーズファンは"遊べているのか"』ってやつですね。
ちなみにこのタイトルって『"遊べて"いるのか』の方がいいんじゃないかと思うんですが。

うーんあんまりしっくりこなかったな…。
ファンの例が古いような。この本が発行されたのは2004年のようですが、調査自体は2000年に行われたものらしいです。
今も盛んなんですかね?名刺交換。見なくなった気がするけど…。

ざっと流れをまとめると。

ポピュラー文化にはこれまで第1期、第2期とあった。
第1期は天才的なスターを大衆が支持する時代(たとえば美空ひばり)。
第2期は中身のない、作られたアイドルを若者が「あえて」支持する時代(たとえば松田聖子)。
では第2期以降はどう変容しているのか、ジャニーズファンの受容の仕方を通じて考えていこう。

って感じですか。
とりあえず、それまでスターとそれを支持する者達の関係性から考えていたのに、第2期以降の「アイドル」を無視してファンの調査に専念しちゃっていいのか?っていう(^ ^;)
ファンの変容はアイドルそれ自体の変容とも連動しているのでは…と思ってしまう。
のは素人考えなんでしょうか?
アイドルだって、中身がなくっちゃ生き残れないんだよ!と思うのはファンだから?
このあとの論もすべて「アイドル=中身のないもの」であるという前提で進んでいくのでなんだか居心地が悪い。反発したくなってしまう(笑)

結論は以下のような感じでした。

ファンとアイドル、ファンとファン、という2層の関係性がファンを支えている。
中でもファン同士のつながりが自己目的化してしまっているためにファン達がアイドルからの「卒業」を見据えることがなくなり、離脱としての「遊び」という存在意義を果たせなくなってしまう。
そのことがポピュラー文化を衰退に導いているのではないか。


10代でオッカケをしている熱心なファンを対象としたそうですが、自ら「ファンといっても様々であるが」と言いつつ彼女達の調査をもってポピュラー文化の未来を嘆くのは乱暴じゃないのかなあ。
対象を熱心なファンに限定するとしても、もっと「オタク」的なファンや、インターネットのHP・匿名掲示板におけるコミュニティなどを研究しないと片手落ちになってしまうような気がします。
「10代で、オッカケをしている、熱心なファン」が最大公約数なのかっていうと疑問が…。

あとファンとしてつっこみたかったところ。
切抜き交換は収集よりも友人との交換それ自体が目的、とか。
えっそうなの?と言いたくなった。
それから、注のところで「KinKiのコンサートに実際に行ってみたが、ファンの応援がすごくて歌詞がほぼ聴き取れなくなった」ってほんとかよ〜と思ってしまった。
そんな盛り上がってるドームコン行ってみたいよ(笑)

とまあ、いろいろ文句を言いつつも面白く読みました。
「現在のポピュラー文化=細分化したコアなファン達の並存」とか、「みんなと、ひとりで」ファンをする感覚とか、なるほどーって思うこともありました。
もっとこういうの読んでみたいですね。参考文献に面白そうなのがあったら探してみます。