長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す

1988年はかなり重要な年です。後にトニセンとして一緒に戦うことになる坂本さん・井ノ原さんの入所、ドラマ『3年B組金八先生』への出演、平家派としての活躍と、今につながる出会いがたくさん詰まっているのです。

・主なできごと
1月 坂本昌行国分太一入所
4月 SMAP結成
8月 男闘呼組『DAYBREAK』でCDデビュー
10月 井ノ原快彦、山口達也入所。平家派結成

・世間のできごと
リクルート事件ソウルオリンピック、『それいけ!アンパンマン』放映開始

・トニセンのできごと

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この年の1月、坂本さんと国分さんが事務所にはいってきます。坂本さんがオーディション時「ZOO」と書いたTシャツを着ていたことはあまりにも有名ですね。そして4月には「スケートボーイズ」たちが「SMAP」と名前を変え、不定メンバーで雑誌に載りはじめたといいます。坂本さんや国分さんも事務所に入ったばかりの身でありながら、一瞬「SMAP」として雑誌に載ってしまったりするのです。*1 まる2年、目立った露出もなく頑張っていた長野さんの立場は…。

いやしかし長野さんも8月にジャニーさんに青山劇場に連れて行ってもらって、少年隊PLAYZONEカプリッチョ』のリハーサルを見たそうで、決して不遇なだけだったわけではないのです。決して!

長野:少年隊が『ダイヤモンド・アイズ』を歌ってるのを見て、(うわ、すげーカッコイイ!!)って衝撃を受けた思い出がある*2

そんな長野さんが、ほとんど世に出ていなかった長野さんが、ついに!ついに!!TV史に名を残すことになります。そう、『3年B組金八先生 第3シリーズ』(1988年10月〜)です!

金八先生での露出にしたがって、小さい記事ながらも雑誌に掲載されはじめています。手元の資料からプロフィールなどを抜粋します。

得意科目:体育だけ
性格:明るいけど、すぐ悩む
特技:手を使わずに目を一重にすること
趣味:テレカ集め
楽しいとき:レッスンをしてるとき
将来の夢:マッチさんや少年隊のような歌手になること*3

「この顔からは想像できないってみんないうんだけど、ボク、ケッコー神経質なんだよ。ヒトに何か言われたりすると、すぐ悩んじゃう」
「いま、大事にしているものが3つあるんだ。姉貴が買ってくれたサイフと、兄貴が買ってくれたクルクルドライヤー、それとこの眠り猫。小学校の修学旅行で日光に行ったときに買って」*4

趣味テレカ集めだわ、小学校の修学旅行で買った眠り猫を高校生になって雑誌で紹介するわ、とにかくうぶ。写真もあどけなさすぎて、全然ガツガツしていないように見えます。それにしてもなぜこんな悩み推しの内容なんだ。

3年B組金八先生 第3シリーズ』ジャニーズからはほかに、元SMAP森且行さんも出演していました。このときにオーディションに落ちたのが中居さん木村さんで、受かったのに「学校あるから」と断ってしまったのが坂本さんだったそうです。ジャニーさんはドラマプロデューサーからとても叱られたらしい。*5不良役で受かったと小耳にはさみましたが、もしかしたらそれは菊池健一郎さん*6がやっていた役で…だとしたらけっこうメインをはっていたはずなのです。もったいない。そして坂本さん、同時期に放映していたドラマ『危ない少年III』には番長役で出演してします。おい学校はどうした。

金八先生で長野さんが演じた成瀬浩二くんは、森君と一緒にませた男子グループにいました。「いまどき、男もきれいな方がモテる」と言ってすね毛をそったり、自分もやったくせにカンニングした生徒を責めたり、給食を食べるのに昼休みまでかかっている生徒を囃し立てたりとちょっとお調子者です。メインとなるエピソードはなくて、各回のガヤといった感じかな。過去映像として紹介されるときには「せんせー嘘だと思ったら原宿歩いてみろって!男臭いやつなんかみんな端っこ歩いてるよ」というセリフがよく使われています。トニセンのラジオにNEWSの増田さんが出たときには「俺と増田は、金八では全然出番がなかったの」*7と言っていたみたいですね。ちなみにこの金八第3シリーズは俳優の浅野忠信さんも出てまして、役名から長野さんのことを「なるちゃん」と呼んでいたそうです。かわいいですね。

実は第3シリーズは、金八先生の中でも不遇と言われるシリーズだったりします。舞台となる中学校も他のシリーズと違うし放送期間も短い。でもそんなことは出ている子達には全然関係なくて、ひとつのチャンスをつかんだ実績なんですよね。
想像してしまいます…もし金八がなかったら、長野さんが今後世に出ることもなかったのではないかな。このころだってたくさんジャニーズJr.がいたはずなのに、結局TVに自分の名前が出ないまま終わった人も多かったのでしょう。誰だって、何の根拠なく夢を追い続けるのはむずかしい。この年ドラマに出られたことは大きかったんじゃないかなと勝手に思っています。ありがとう、金八先生

ちょっと長くなってしまうので、平家派の話は次回へまわします…。こんな細かく情報を追われてて、本人たちが見つけたら気持ち悪いだろうな〜。すみませんとしか言いようがないわ…。

 

・これまでの記事

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

 

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:『Duet』ホーム社/1988年7月号

*2:『20th Century 「10」TONITEN』ぴあ/2005年

*3:手元に切り抜きしかないので出典わからず…

*4:『Duet』ホーム社/掲載年月不明、誌面が紹介されたのは『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2009年12月23日

*5:V6 Next GenerationJFN/2004年10月23日

*6:『僕らの七日間戦争』などに出ていた方で、メインの不良役だった

*7:V6 Next GenerationJFN/2007年11月3日