長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト

更新が頻繁になっちゃってすみません…前回88年を2つにわけてしまったため…。1989年は時代が平成に移り、光GENJIが「Hey! Say!」というアルバムを出すなどジャニーさんも少し浮かれていたのではないかと思われますが、長野さん自体は事務所を去っていくことになります。


・主なできごと
10月 松岡昌宏入所

・世間のできごと
平成に改元横浜アリーナ開業、ベルリンの壁崩壊

・トニセンのできごと

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1月に入ると、前回も話に出た光GENJIのドーム公演『BIG EGGコンサート』(1月15日、16日)があります。こちらは映像化*1しておりまして、平家派として活躍するマサやバックバンドとして参加する城島さん、ちびっこJr.の井ノ原さん、海賊船に乗る国分さんなどが映っています。長野さんは…いることは確かで、これかな?というのはあるんですけども断定はむずかしいところです。途中ではさまれてる練習風景、佐藤アツヒロさんのうしろに映ってるのは坂本さんと長野さんぽい。

(余談ですが、このコンサートの演出はKinKi Kidsのドーム公演『Johnny's Winter Consert '98〜'99 「KinKi Kids」』と一緒のものが多くて、この公演のビデオ*2を繰り返し繰り返し観ていた私は、ルーツここだったか〜! と胸が熱くなりました)

さて毎日剣を持って舞っていた平家派以下ジュニア陣、1989年3月発売の光GENJI地球をさがして』では持つものが「手旗信号」になってしまいます。武闘派で知られた平家派が…。この手旗信号、歌番組のたびに内容が変わるというので、当時のJr.さんたちは苦労したでしょう。実際の映像を見ると、なんと坂本さんと長野さんは隣同士で踊っています*3。坂本さんセンターなのでシンメとは言えないかもしれないけど、2人の歴史を感じさせます。下記のエピソードが、ちょうどこの頃だそうです。

長野:レッスンで、怖い先生がいて、口癖みたいに「帰れ!」って言ってたんですよね。で、帰れって言われても普通帰らないじゃないですか。この人(坂本さん)帰ったんですよほんとに!*4

ところが、1989年7月に発売した光GENJI太陽がいっぱい』のバックに、平家派の出番はありませんでした。また大きな流れとしてTVから歌番組が消えていったこの頃…平家派内の流行語は「終わった」*5。アイドルの卵にしては夢がなさすぎる、切ない言葉です。NHK アーカイブスを検索すると1989年10月10日の『フラッシュ&ジャンプ』という番組の出演者に「平家派」という記載があるので、歌番組で『地球をさがして』『剣の舞』を歌うときだけ呼ばれていたのかもしれません。坂本さん、井ノ原さんのバイオグラフィーもほぼ空白になっています。

 

長野さんはというと、細々と平家派活動を続けながら7月から8月にかけて少年隊PLAYZONE’89『Again』に出演していました。Againは2幕途中で幻想シーンとしてショーが差し挟まれる作りで、ショー部分のみジャニー喜多川演出*6、そこにバックとしてついていたのです。出番としては2〜3曲くらいですが、このとき事務所に所属していたデビュー組は近藤真彦、少年隊、光GENJI男闘呼組…実質Jr.がバックにつける現場は少年隊と光GENJIしかないわけですから、貴重なステージだったのではないでしょうか。「ちょっと出させてもらっただけだったけど、本当にうれしかった」*7と語っています。

1989年については、TOKIOメンバーもあまりにも暇だったため合宿所でかくれんぼをする(そして城島茂が食洗機に隠れたままスイッチが作動してしまったため死にかける事件勃発/1989年5月)、牛丼を食べにいくためにおしゃれをするなどかなり迷走していた模様。長野さんも、なんと国分さんとWデートしていたという話を後に暴露されています*8。長野さんの彼女と太一の彼女が友達同士だったとか、燃える話!

 

しかしそのとき、長野博は静かにジャニーズ事務所から去りつつあったのです。

長野:高2の半ばくらいから行かなくなったの。フェードアウトした。レッスンが、毎週事務所の人と社長とかと会える場だったんだけど、そのレッスンが減って行き、なくなってしまったのね。
国分:あったね~そんなの…。
長野:それが俺がね、高2の時期なの。で、レッスンがない時は、なぜか毎週事務所じゃなくてファミリークラブに電話してたの。「今週レッスンありますか?」「今日は男闘呼組のコンサートがあるから多分ないと思います」って言われたりとか。レッスンがないとわかると接点がなくなってきて、自然に行かなくなってしまったんですよ。*9

ああ、ファミクラじゃなく事務所に電話していれば辞めることなかったかもしれないのに…。この年の10月に松岡昌宏さんが事務所に入って来ていますが、もう長野さんはいなかったと語っています*10。アイドルの卵として一瞬だけ輝き、残酷だけどありふれた挫折の物語で終わる…はずだった25年前。

 

・これまでの記事 

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

 

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Sey!』PONY CANYON/1989年

*2:『3days Panic! at TOKYO DOME ’98-’99』ジャニーズ エンタテイメント/1999年

*3:『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2008年3月17日

*4:『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2009年12月23日

*5:『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2008年3月17日

*6:【プレゾン感想】PLAYZONE ’89 Again 参照

*7:『STAGE SQUARE Vol.10』日之出出版/2014年8月

*8:『ザ少年俱楽部プレミアム』NHK BSプレミアム2008年3月17日

*9:『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2007年9月16日

*10:V6 Next GenerationJFN/2009年8月29日