長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事

1993年です。グループが増えてきたので、私が調べた当時の事情を軽く説明します。少年隊はもはやかなり大御所扱いで全国ツアーなどもあまり行わず年に1回のPLAYZONE、そしてディナーショーが主な現場となっています。グループとしてコンスタントにCDを出すのも紅白歌合戦に出るのも、93年が最後。
光GENJIは年下グループ「GENJI」から諸星さんがソロでCDデビュー、他の下4人がSAY・Sというユニット名でCDデビューするなどグループ内ユニット活動を始めましたが、その翌年には脱退者が2名出ています。男闘呼組は6月に

メンバーの高橋一也さんが素行不良で解雇、解散状態に。忍者は『日本』『日本ブギ』『Harapeko』とシングルを3枚出しつつ、こちらも翌94年には脱退者が出るなど揺れている時期です。光GENJI男闘呼組・忍者(少年忍者)の3グループは元々(1989年ごろ)「少年御三家」と呼ばれていたそうで、なんというか…ちょっとYOU&Jと似ているなと思いました。

SMAPは『夢がMORIMORI』レギュラー出演をしており、ブレイク前夜を迎えていました。またジャニーズJr.内ではTOKIOが前述したSAY'Sツアーに『~WE ARE SAY'S~ With TOKIO』とグループ名入りで付き、堂本光一さん、剛さんは正式に「KinKi Kids」という名前を与えられて活動をし始めたところ。えー前置きが長くなってしまって申し訳ありません。つまり大きく地殻変動が起こっていた時期だったのです。そんな背景のなかでの話だと思っていただければ。

・主なできごと
4月 諸星和己ソロCDデビュー、SAY・S CDデビュー
5月 三宅健入所
6月 男闘呼組解散

・世間のできごと
Jリーグ開幕、ナタデココブーム、矢ガモ

・トニセンのできごと

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93年に入っても、長野さんはあらゆる人のバックについていました。この頃面白いのは、SMAPなどにつくときには井ノ原さんと一緒に、少年隊や光GENJIのユニットにつくときは坂本さんと一緒に…といった体制が定着しつつあったところです。「年下のバックにつけない」と言わず、アダルトな雰囲気も出せるという汎用性のあるJr.だったのでしょうか。ただ、坂本さんのシンメは別の方がつとめることも多かったようで、ある程度流動的に動いていたようですね。
ミュージックステーションの過去映像などを見ると、3月13日のSMAP『ずっと忘れない』、6月の『はじめての夏』などで長野さんの存在を確認できます。『ずっと忘れない』では、(元)後輩の秋山さんに振り移しをしてあげたりと優しい先輩っぷりを発揮していたみたいです。それでも、TVを見ていて「ああ井ノ原は呼ばれたけど俺は呼ばれなかった」と思う出来事も多かったといいます。井ノ原さんと他のJr.の子の家に泊まりに行く約束をしていたのに「明日は用事ができて」と断わられ、実はTVに出ていたのを見て「ああ、これだったんだ」と悟ることもあったそうです*1。「本当にたくさん、そういう経験をしてるから」って。このときの長野さんはちょうど20歳、もちろん坂本さん城島さん山口さんも身近にいたわけですが、当時のアイドル、しかも卵としてはかなりのプレッシャーだったのではないかと想像できます。

坂本さんと井ノ原さんはあまり一緒に仕事する感じではなかったみたいですが、お正月にアメ横に一緒にブーツを買いにいったとか。坂本さんはその場で買ったブーツを履いて帰り、自分のお下がりを井ノ原さんに「やるよ!」とあげたけど、井ノ原さんが帰ってから見たらかかとがなかったから捨てた…という心暖まるエピソードもあります。井ノ原さんはなんと坂本さんに敬語を使っていたそうです。*2*3

坂本・井ノ原の付き人事情

ここらへんはちょっと私は詳しく調べていないのですが…トニセンがJr.時代にそれぞれ付き人をしていた、というのは有名な話。まず井ノ原さんは1993年6月発売のSMAP写真集『少年記』撮影に同行し、アメリカへ。うろちょろしていたら写真に写ってしまうと怒られ、スターになってやると思ったらしい*4。また、時期が前後してしまいますが3月に公開された稲垣さん主演の映画『プライベート・レッスン』の撮影でもマネージャーさんの代わりに同行!2人でごはん食べにいったりしていたそうです*5。付き人、というか一緒についていってお勉強という立ち位置だったそうですが、マネージャーもいなくて2人きりで主演映画の撮影にってどういうことだ。

坂本さんについては、ご存知少年隊・東山紀之さんの付き人を長期にわたって務めていました。ただしこの期間もはっきりはしておらず…東山さんは付き人のきっかけについて下記のように語っています。

東山:僕が日舞をやったときに坂本についてもらって、僕が仕事で行けないときは坂本が、振りうつしをやってくれたりとか。そういうことがあり、その経験からぜひとも坂本が俺についてやってくれないかなというのを、僕のリクエストとしてありまして。
*6

この「日舞をやったとき」というのが何か、わからないんですよね~。ただ、92年に一度辞めると言いだした坂本さんを「誰かが見ていてくれる」と言って諭し、自らの給料からお手当を出していたというのですから*7、おそらく1993年は付き人中なのではないかなあと思うのですが…。あのヒガシ様をしてそこまでさせる才能もおそるべきところながら、「付き人になると手当がつくから収入が安定した」と言って気前よく周りのJr.におごってあげるマサ*8、やっぱりさすがです。

かんじんの長野さんの付き人事情については、1995年のできごとですので、またあとの回で…。

専門学校卒業後の長野さん

3月に入ると、長野さんはついに専門学校を卒業してしまいました。就職せず、かといって事務所も辞めず、5月にはアンサンブルで『魔女の宅急便』というミュージカルに出演しています。横内謙介脚本、蜷川幸雄さん演出のこの作品で務めたのはキキの友人「バッタ」役、ほぼアンサンブルだったそうです。ちなみにプリンシパルのトンボ役は光GENJI赤坂晃さん。同時期に坂本さんは舞台『阿国』、井ノ原さんはドラマ『ツインズ教師』に出演しています。

夏には坂本さんと一緒にSAY'Sのコンサートに出演*9。当時のレポを拝見すると、バックに4人ほどついているなかで坂本さん長野さんはギターとベースだったそうです…絶対弾いてない!このコンサートではジャニーズJr.としても1曲、少年隊の曲を披露する機会もあったらしい。また平行して開催されていた光GENJIのコンサート*10では内海さんソロ『踊るパッション・ダモーレ』のバックで2人、シンメとして活躍していたという情報をいただいております。最初の方でも少し触れた通り、俗に言う「坂長シンメ」が成立し始めたのは、この頃だったのかなと思われます。12月に行われた少年隊ディナーショーでは、固定は坂本さんだけで長野さんはWキャストだったらしいよ、などと教えてもらったことがあります。
こうして見ていくと、1993年にはすでにKinKi Kidsも先輩のバックでシンメとして活躍していましたし、よく言われる「坂長は現存する最古のシンメ」としてはどうなのかな…とちょっと気になるところなんですが…まあ平家派時代も隣で踊っていたことなどをカウントすると…いやKinKiはシンメでなくてコンビと考えると…?まあ皆様のジャッジにお任せします!ただ93年~94年頃の坂本・長野の映像を見ると「これぞ!!」としか思えない職人系シンメで、もしかしたら現在のシンメという概念の元祖だとか言える可能性もなきにしもあらずなのかもしれませんけどなんともいえないような気もしますね。歯切れ悪すぎですみません…。

KinKiとグループを組んでたかもしれない井ノ原さん

一方夏の井ノ原さんはというと、SMAPの舞台『ANOTHER』に出演。KinKi Kidsと同じ楽屋で交流を深めていました。

井ノ原:それとSMAPの『ANOTHER』っていう舞台をやってるときは、ずっと京都で同じ部屋だったじゃない。
(堂本)剛:あー、そうだった。しょうもないことしてたなぁ(笑)
井ノ原:そうそう、とにかくもう、ず~っと、「何でタンクトップ吊るしてるんだ!」とかそんな話ばっかしてたよな(笑)
(中略)
剛:でも一時期、オレとイノッチと光一と長チャンで「ジパング」っていうグループを組むっていうウワサはあったよ(笑)
光一:あったあった(笑)*11 

東山さんによるとジャニーさんはキンキを4人で作りたがってた*12らしいし、長瀬さんもキンキに入れると思ってた*13というし、幻のグループ「ジパング」もあったかもしれない未来のひとつだったのでしょう。これはこれでちょっと見てみたかった気もします。

『アイドル・オン・ステージ』はじまる

1993年10月にはじまったのが、NHK BSで放送される『アイドル・オン・ステージ』です。後に『Music Jump』、そして現在も続く『ザ・少年倶楽部』として受け継がれているアイドル歌番組、長野さんは初回からずっと出演しています。

Q.一番最初に出た曲は?
長野:もう長いんで忘れちゃった。*14

回答が泣ける。最初は少年隊や光GENJIのバックで、あとからTOKIOKinKi Kidsのバックでも踊るようになっていったみたいです。しかし当時のジャニーズJr.の中ではKinKiのバックで踊ることについて波紋が広がっていました。

井ノ原:そんときみんなのなかでやっぱ葛藤があって、俺は全然いいと思ってるよみたいな。KinKiとも仲良くなってたし。長野君は年齢的にもけっこう上だったから、長野君はけっこう揺れてたんすよ。ちょっとどうかな?って思ってたんだけど、長野君的には。「長野君も一緒にやるよねー」って、俺が言ったの。
国分:したら?
井ノ原:「やるよ」って。*15

当時の長野さん、21歳。KinKi Kids、14歳。会社員が中学生のうしろで踊ってるみたいなものですね。映像を見ても、1人だけでかい!そして、全体的にできあがっている!井ノ原さんだって背は長野さんより高かったはずなのですが、10代と20代では身体の出来上がり方が全然違うのです(そして40代の現在とも違う)。その時の経験について、のちの長野さんのお言葉。

Q.KinKi Kidsの後ろで踊っている時の気持ちは?
長野:お仕事です。*16

今なお博ファンの間で語り継がれる名言です。

平家派以来のグループ入り

12月にはJリーグ開設でわいていた世間にのっかって『J-ELEVEN』というグループが結成。そのなかには、なんと長野博森田剛の名前が!長野さんがユニットに名を連ねるのは、おそらく平家派以来のこと。サッカーが得意なJr.を集めたというところで、中学時代サッカー部だった長野さん森田さんに白羽の矢がたった模様でした。しかしこのJ-ELEVEN、とりあえず11人いればいい、いや11人いなくてもいい、というくらいのアバウトさだったらしく、井ノ原さんや三宅さんも流動的なメンバーとして雑誌に掲載されていました*17。しかもサッカーは一度もやっていない。「KINKI KIDS&J-ELEVEN」表記でミュージックステーション紅白歌合戦などでバック仕事をがんばっています。

ちなみにこの時坂本さんは伝説のドラマ『同窓会』に出演、高島兄を襲うシーンで自前のパンツを披露していました。同窓会、一度は見ておかなければ…と思っています。

 

・これまでの記事 

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

 

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:『今日は一日"ザ・少年倶楽部"三昧』NHK-FM/2012年6月17日

*2:『V6 10th Anniversary musicmind』長野ビックハット2部/2005年11月13日

*3:これ、自分用年表で93年と書いてあるのですが、なんでそう判断したのか忘れました…すみません…

*4:『うたばん』TBS/1997年5月6日

*5:稲垣吾郎STOP THE SMAP文化放送/2012年7月19日

*6:『ザ・少年俱楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2007年1月21日

*7:ザ・少年俱楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2013年11月20日

*8:V6 NEXT GENERATIONJFN系列/2011年7月23日

*9:SAY'S『Summer Concert』1993年7月21日~8月26日

*10:光GENJI『BOYS IN August』1993年8月3日~8月31日

*11:KinKi Kids どんなもんヤ!』文化放送/1998年11月、『KinKi Kids DONNAMONYA!』P222/ワニブックス/1999年12月

*12:『ザ・少年俱楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2014年7月16日

*13:『シューイチ』日本テレビ/2014年9年28日

*14:『ポテCHAN』学研/1997年4月号

*15:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2009年2月15日

*16:『速報!歌の大辞テン』NTV/2003年7月2日

*17:『今日は一日"ザ・少年倶楽部"三昧』NHK-FM/2012年6月17日