長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行

ついにサブタイトルが坂本昌行になってしまった…。94年、95年はエピソードが多すぎてうまくまとめきれないので、前後編にわけます。11月1日に終わらせたかったのですがこれは全然間に合わない…。

・主なできごと

6月? 忍者から志賀泰伸、古川栄司脱退
7月 光GENJIから大沢樹生佐藤寛之脱退
9月 TOKIO「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー
10月 大野智入所
   光GENJI、「光GENJI SUPER5」名義でシングル発売
   忍者、「四銃士」名義でシングル発売

・世間のできごと
関西国際空港開港、松本サリン事件発生、PlayStation発売

・トニセンのできごと

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94年に入っても長野さんは『アイドルオンステージ』の収録をメインにいろいろなお仕事を行っています。1月26日放送の少年隊『Baby,Baby,Baby』『EXCUSE』ではアイオン初登場の坂本さんとともにバックをつとめました。これは直前まで少年隊ディナーショーに出ていたつながりかなと思います。そう坂本さん、アイオン登場遅かったんですね。井ノ原さんが「Jr.の中で僕と長野くんがツートップみたいになっちゃって」と言っていた*1のは、坂本さんが厳選された先輩のバックにしかつかなかったためなんじゃないかと。

坂本さんについては、付き人活動が活発化していたようです。1月1日にはドラマ『大忠臣蔵』放送。東山さんが浅野内匠頭役、内海さん松岡さんが赤穂浪士役で出演していたこのSPドラマ、坂本さんは(多分)付き人をしながら浅野内匠頭の家臣役でちょっとだけ出演していました。役でも実生活でも付き人だったのか。また2月からは帝国劇場と劇場飛天(現・梅田芸術劇場)で『御いのち』、ほぼ黒子として出演していたそうです*2

一方井ノ原さんは、舞台『春を待つ家』(1月9日~26日)に出演。長野さんが自腹で観に行ったというエピソードがあります。ちょうどその回、共演していた秋山純が風邪をひいたため関取のような声になって、舞台上で笑いが止まらなくなってしまったそうです*3

初の映画出演

3月からはSMAPの映画『シュート!』が公開。長野さんと井ノ原さん、そしてKinKi Kidsが出演しています。長野さんはライバル校のサッカー部員として草なぎさんを追いつめるなどけっこうおいしいところでしたが、役柄故にSMAPファンから嫌われてしまったらしい*4。長野さんって打率はそんなによくないんだけども、『金八先生』とか『シュート!』とか後々も話題になりやすいものに出演しているところはちょっと運がいいよなあと思ったりします。

井ノ原さんはそのままドラマ『アリよさらば』(4月15日〜6月)、『腕まくり看護婦物語2』(5月13日)出演。そして長野さんはSAY’Sコンサート『HAPPY ROAD SHOW』(3月28日〜31日)にバックで参加していました。こちらは映像化されています。Jr.の中でもだいぶ大御所だからかかなり良い位置で映っているし、『課外授業』という歌では学ランで踊ったりしていてかわいいんですよー!当時21歳ですが違和感ないです。後に『学校へ行こう!』で10年ほど学生服を着続けることを思えばどうってことないですね。

4月に行われた佐藤アツヒロFIRSTソロコンサートでは、ちびっこJr.時代の森田さんといっしょにバックについています。こちらも長野さんめちゃくちゃ良い位置で、まあそりゃよく考えたらメインの方より先輩なんでもうそれくらいの位置にはせめてつけてほしいわけですけども、ほかのJr.とアツヒロさんと3人で情感的なダンスを踊っていたりします。よくバラードのバックで白い服を着たJr.がくるくる踊ってたりするようなアレですね。この映像2回撮りだったためか、カットによってジャケットの下にインナーを着ていたり何も着てなかったりして面白いです。余談ですがこのコンサートで使われている曲、KinKi Kids Firstコンサートと同じものが多くて、これが元だったのか〜と面白かったです。92年の光GENJIコンサートも99年のKinKiコンと同じ演出が多かったし、初期のKinKiコンには光GENJIの影響もかなり大きかったのですね。

 TOKIOに入れると思ってた坂本さん

5月3日〜5日には光GENJIコンサート『ヨーソロー!出航』開催、こちらにはなんと坂本さん、長野さん、三宅さんが出演しています。おそらく井ノ原さんと森田さんもいたはず…。このときのコンサートではちょっとしたエピソードがありまして。三宅さんが鯉のぼりを狙う黒猫の役をかーくんから指名されたんだけど、股間が目立つ全身タイツの衣装になってしまいへこんでしまったらしい。そしたら、そのころ面識がなかった坂本さんが「がんばれ、有名になれよ!」と励ましてくれたというのです*5。おやおや、ずいぶん余裕ですねマサは…。
また、坂本さんが自分の出番じゃないときにふざけてステージにあがり客席にお尻をむけて(出して、ではない)はしゃいでいたところ、それを見ていたジャニーさんが激怒!三宅さんの仕業だと思って追いかけ回すも、坂本さんが「俺だけど」と言うと「ああ…」ともごもごして怒れなかった…というエピソードもあります*6*7。これもたぶんこのときじゃないかな〜ちがったらすみません。
ここから先は完全に私の想像ですが…坂本さんが余裕だったのは、TOKIOとしてデビューできると思っていたからなのではないでしょうか?というのもその直後の5月15日、坂本さんはTOKIO松竹座公演にコーラスとして参加しているのです。山口さんも「坂本はTOKIOに入れると思っていたみたい*8*9と発言しています。もちろん、東山さんの付き人生活で気持ちが安定していたという可能性もありますが…。

サカモト&ナガノーズ

でもね、このときの坂本さんのシンメはやっぱり長野さんなんですよ。5月25日放送の『アイドル・オン・ステージ』では坂本さんと長野さんは赤坂さん『STILL I LOVE YOU』のバックをつとめ、2人して振りが飛んでしまったりして、いいシンメなんですよ。

長野:20秒くらい真っ白になって、踊りの振りをすっかり忘れちゃいました。
坂本:(長野くんと確認しながら)赤坂くんのは、1度まちがえると、もうわからなくなるような振り付けだったんだよな。イントロ踊って「アッッ」って…。そのままサビまで長野と二人でボーッと(笑)見つめ合って。開き直ってふたりで笑ってました。イイ笑顔になってたんじゃないですかねぇ(笑)。*10

更に7月からのPLAYZONE’94 MOONにもそろって出演。なんとJr.としてついていたのは坂本さんと長野さん2人だけで、東山さんから「サカモト&ナガノーズ」というユニット名をもらっています。この『MOON』の中で東山さん+坂本長野で踊っている「Cool」がそれはそれは良くて、見た目の均衡や青年期特有のすらっとしたしなやかさ、どれもシンメとしてお手本になりそうなすばらしさ、なんです…。このアダルトな妖しさが出せるシンメ、なかなかいないと思います。

 

ですが!が!!それだけ良い感じのシンメを置いて坂本さん、TOKIOデビュー会見(8月21日)の前日に社長に電話をかけているんです。

こちらはコメントでいただいた情報ですが*11、そもそもジャニーさんからTOKIOにボーカルとして入らないかと打診されたも坂本さん、即答できずに悩んだ末、とにかくデビュー出来ることのほうが大事と思い直してジャニーさんに受諾の電話をしたのだそうです。

黒柳徹子:あなたもしかしたらTOKIOに入ってたかも(笑)…すごいんだけど。TOKIOに入って…ギリギリのところで。
坂本:そうなんですよね。あの、TOKIOがデビューする2か月ぐらい前にお話を頂いて。こういうグループがデビューするんだけど、どう?みたいな。もちろんその前にTOKIOというグループはあったんですけど、いきなり僕も言われて、いや、でもTOKIOってバンドのグループだし…
黒柳:みんな音楽ね、できるからね。楽器できるからね
坂本:ええ、僕できないし、踊りばっかりだったのでどうしようかな、どうしようかなってずっと悩んでて、でもやっぱりせっかくデビューっていう素晴らしいお話ですんで、やっぱりこれはデビューしたい!と思ってジャニーさんに電話したら「ユー、遅いよ」って。「明日記者発表だよ」って言われて
黒柳:(笑) そうだってね
坂本:ええ。それでもうあっさりその話はなくなったんですけど*12

ジャニーさんは「遅いよ」と言いつつもちょっとその気になってしまい、城島さんに坂本さんのデモテープを聞かせて「長瀬と坂本、ツインボーカルでやっちゃえば?」と提案。城島さん大慌て*13

言いだしたのが会見前日だし、結局TOKIOのメンバー構成が覆ることはなかったですが…2カ月も悩んで「デビューが大事」と思ったのだから、よっぽどの決意だったことでしょう。坂本さんは90年にも「坂本昌行(TOKIO)」として野球大会に出ていますから、2回TOKIOに入りかけてどちらも入れなかったということになります。井ノ原さんもKinKiとグループ組めると思ってたと言っていたし、トニセンの3人ってそれぞれ仲良い割に、ある意味誰が出し抜いてもおかしくないし自分がデビューできるならそれでいいと思っていたふしがあります。最近の1万字インタビューなどを見ると、やっぱりJr.でユニットを組んでる子達は「このメンバーでデビューしたい」という気持ちが強いですよね。トニセンはそこまでではなく、きっと周りにもほかに仲の良いJr.はたくさんいたんだろうけど、最後に残ったのが3人だったんだなあ。縁だな、と思った次第です。

相変わらずバックをつとめる長野さん

そんな坂本さんの行動を知っていたのか知らなかったのか。長野さんと井ノ原さんは光GENJIコンサート『FOREVER YOURS』(8月3日〜8月27日)、佐藤アツヒロソロコンサート『無力な僕の小さな抵抗』(8月16日〜17日)に出演。『FOREVER YOURS』は光GENJIメンバーの大沢樹生さんと佐藤ひろゆきさんが卒業するときのコンサートで、映像化されています。山本淳一さんソロ曲後半ほぼ1人でバックをつとめるちびっこ森田さん、内海光司さんソロ曲でコーラスとしてマイクを持ちながら踊る長野さんなどを確認することができます。また、メンバー卒業の場面が映っているのはなかなか貴重かもしれない…。みんな、送り出せず辞めちゃいますからね〜。光GENJIメンバー脱退のコンサートMCで、TOKIOが「9月にデビューします!」と告知しているのもなかなかファンに取っては残酷な話に思えますが、どうだったのでしょうか。気になります。

佐藤アツヒロさんのソロコンサートでは、長野さんと井ノ原さんの花火事件が勃発。

井ノ原:(長野くんとは)部屋もずーっと一緒で、しかも佐藤アツヒロくんのコンサートで、楽屋で花火やっちゃったことあって。そしたら大変なことになって
長野:消防車きちゃったよね
井ノ原:2つ劇場重なってるとこあって、上の楽屋で、ぽーんぽーんって出る花火をやってみたくなっちゃって。(中略)したらその間に大騒ぎになって、社長があたふたしちゃって「ねえ、YOUたちまさかとは思うけど、すごいんだよ今、火事だって大騒ぎで、まさか花火やってないよね」っていったら、(長野くんが)「やったよ〜」とかいって普通に言っちゃって、(社長は)「ふざけんなよ」つって
長野:社長は俺たちをかばってくれてたんだよね(笑)
井ノ原:うちの子達がするわけないって!で消防隊員が楽屋入ったら(花火のゴミが)バリバリ捨ててあるんですよ!「あんたんとこの子じゃないか!」って話になって*14

うう、かわいい…かわいい…。これちょうど坂本さんがTOKIOに入りたくて社長に電話しているころだと思うとよけいにかわいい。のんきか!!

忍者に誘われる坂本さんと井ノ原さん

6月には忍者からも脱退者が出ていたこの年のジャニーズ事務所、なかなか揺れていました。TOKIO記者会見の話と前後するかもしれないですが、実は坂本さん井ノ原さんが忍者のメンバーに誘われていた、というエピソードもあります。もともと6人いた忍者から2人辞めることになってしまって、ジャニーさんが「坂本、井ノ原、ちょっと忍者やる気ないの?」と呼び出したそうです。2人は迷いつつも「一瞬にして、SMAPの先輩になっちゃうな」と断ったらしい*15。今となっては良かったと言うほかありません。そこで2人が忍者に入ってたら残った長野さんはやめてたかもしれないし、そもそも忍者自体がいま残っていないから坂本さん井ノ原さんもいなかったかもしれない。

しかしこうして振り返ると、坂本さんはSMAPTOKIO・忍者とさまざまなグループに入りかけているんですよ。一方、と言ってしまっては失礼かもしれませんが、長野さんはそのどれも候補になっていない…ように見える。せ、切ない。歌・踊り・野球何をやらせても才能のある坂本さんと、『お金がない!』『世にも奇妙な物語』『家族A』『若者のすべて』と立て続けに大きめのドラマに出演していた井ノ原さん。うーん忍者に誘うかもしれないな…。この話しているときの長野さんは普通に知っている感じで相づちをうってはいますが、「『自分だけ呼ばれなかった』ということが何度もある」という中には、こういうのも入っているのかな、などと思います*16
ただ最近きいたのですが、実は長野・遠藤・渡辺・坂本の頭文字をとって「NEWS」というユニットがあったとか…!?噂レベルなのかな?遠藤さんは忍者の遠藤さんだというので、もしあるとしたら忍者CDデビューの90年より前の話なのかもしれない。渡辺というのは、坂本さんと舞台『阿国』に出て、TOKIOバンドにも所属していたという渡辺一久さん*17かと思われます。真相を知ってる方教えてください。あと長野さんが忍者正木さんの付き人をしていたというのも本当なのだろうか…。まだまだ謎が多いのです。

ちなみに忍者の志賀さん、脱退の理由は「デビュー当時から結婚していたことが発覚した」なんだって!すごいな。

 

・これまでの記事 

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2009年2月15日

*2:V6 NEXT GENERATIONJFN系列/2011年7月23日

*3:『20th Century 「10」TONITEN』ぴあ/2005年

*4:『うたばん』TBS/1997年5月6日

*5:『V6 10th Anniversary musicmind』長野ビックハット2部/2005年11月13日

*6:『V6 LIVE TOUR 2013 Oh! My! Goodness!』代々木競技場第一体育館/2013年4月21日

*7:『ザ少年俱楽部プレミアム』NHK BSプレミアム/2008年3月17日

*8:『V6 10th Anniversary musicmind』VTR/2005年

*9:TOKIO LIVE TOUR2004 AMBITIOUS JAPAN!』新潟県民会館/2004年2月1日

*10:『ポテCHAN』学研/1997年4月号

*11:2014年11月12日追記:このエントリーのコメント欄をご覧ください

*12:徹子の部屋テレビ朝日/2012年3月6日

*13:『ポポロ』麻布台出版/2008年12月号

*14:『ザ少年俱楽部プレミアム』NHK BSプレミアム/2008年3月17日

*15:TOKIOナイトクラブ』/ニッポン放送/2009年8月22日

*16:誘われなくてよかった〜と思ってた可能性もありますよもちろん

*17:格闘家とは別の方