長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日

坂本昌行、井ノ原快彦、森田剛三宅健岡田准一…5人がそれぞれV6への道を歩んでいたころ、長野博は一体何をしていたのでしょうか。

 

6月時点で付き人期間を終えた長野さんは、前回もご紹介したとおり7月7日から少年隊『PLAYZONE ’95 KING&JOKER』に出演します。少年隊の錦織さんが脚本・演出を務めたこの作品では若い俳優役としてアンサンブルのような形での出演でしたが、「古い時代のスターの葛藤と新しいスターの交代」という内容、どのような気持ちで出演していたのでしょう。長野さんのセリフ「俺たちはいつまで主役を盛り立てていればいいんだよ!」…えらくリアルにきこえてしまいます。

井ノ原さんは別舞台のため大阪公演に出られない坂本さんとWキャスト、錦織さんにクビにされ恨みを抱くスタッフの役でした。Wキャストで暇だったため、自分の担当じゃない日も青山劇場に行って、坂本さんの楽屋でシャワーを浴びたりして怒られていました*1。7月13日、NHKのリハ室でバレーボールの練習でジャニーズJr.が集まったのはそんな時期だったのです。

はじめてのナンパ?

ちなみによく話題に出る、Jr.時代に井ノ原さんと長野さんが海へナンパに行った、というエピソード。私のメモに「95年のプレゾン東京公演と大阪公演の間」と書いてあるのですが、何がソースだったか忘れてしまいまして…。長野さんが「19歳か20歳のとき」とも言っているので*2若干あやしいかなと思いつつ、とりあえずメモにそってプレゾンの間だと仮定させてもらいます。

お年頃の井ノ原さん、ナンパをしてみたいと言って「Jr.なのに車持ち」だった長野さんにお願いして、2人でナンパに行くことになったのですが、2人とも誰にも声をかけられず、海にも入らなかった…というのです。アイドルの卵が2人もいたのに、なんて情けなくかわいらしいエピソードでしょうか。*3最終的には「帰ろっか」と焼き肉を食べて帰ったらしい。*4 しかし井ノ原さん、ちょうどこのころドラマ『終わらない夏』(1995年7月19日〜9月20日)で瀬戸朝香さんと出会っていたのです。ナンパ成功しなくて良かったのかもしれません。

大阪で事件は起こった

その後坂本さんは8月3日から30日まで劇場飛天(現・梅田芸術劇場)で『サウンド・オブ・ミュージック』、長野さん・井ノ原さんは8月9日から13日まで大阪フェスティバルホールでプレゾン。ほど近い距離にある2つの劇場に、トニセンの3人はそれぞれの舞台で立っていました。

一足先に終わったのはPLAYZONEでした。8月13日(か14日)、撤収時にハプニングは起こりました。出演者は劇場から車に乗せてもらって新幹線に乗るはずが、長野さんと井ノ原さんの2人は置いて行かれてしまったのです。Jr.として出演していたのが現・トニセンの3人(大阪では2人)だけだったことも原因だったのでしょう、誰も2人が乗り込んでいないことに気づいてくれなかったのです。井ノ原さんですら、後に「あれはちょっと悲惨だったよね」と話すくらいの本当に気の毒なできごと…自分の存在が忘れられるってつらいですよね。仕方なく電車に乗って新大阪へ向かうことにした2人、近くにいた坂本さんがかわいそうに思って、ごはんをおごってくれました。井ノ原さんは、泣きたい気持ちになったそうです。

なんとか無事に新大阪までたどり着き新幹線に乗り込むと、グリーン車を用意されている先輩方とは違い2人は普通車両、まわりの客はジャニーズファンばかりでした。先輩のファン達は容赦なく「長野と井ノ原だ〜」みたいな感じで居心地が悪く、車掌さんに言って車両を変えてもらう2人。グリーン車に移動するために通りかかった少年隊と、ちょうどコンサートで大阪に来ていたため帰りが一緒になったTOKIO*5に「お前らおっかけか?」とからかわれたという…気の毒(2回目)。「いつかグリーン車に乗ってやる」と誓ったのでした。*6

運命の新幹線

…と、まあこのエピソードだけ見ればちょっと笑える苦労話なんですけど、ここに実は他の証言が重なってきます。

井ノ原:V6に誰が入るってまだ決まってなくて、ちょっとまだだからこの2人で話してるとおれが気になるし、俺全然違う件で坂本くんのとこいっても長野くんがすーっと来るんですよ
坂本:そうそうそうそう。
長野:大阪にいなかった?
井ノ原:帰りの新幹線俺と長野くん一緒だったんですよ。そのとき「なんかそういう話ってきいてる?」って長野くん言って来て。
長野:そうだっけ?
井ノ原:いやまだわかんないみたいなこと言ったら、長野くんその足で、社長のとこ行ったんですよ
長野:そう、大阪帰りに。家帰らずにそのまま。*7

そうです。この、大阪帰り、というのがさっきの新幹線だったのです。

長野:V6は、夏前くらいに「バレーボールのワールドカップが11月にあって、それのイメージキャラクターとして、何かグループをつくる」って話になってて、噂は流れて来てて、それで1番はじめになんか、誰ってわけでもなく絵コンテを事務所の方にみせられて。(中略)夏の時点で少年隊のミュージカルで井ノ原と大阪行って、坂本くんは自分で違うミュージカルで大阪にいたのかな。
国分:サウンドオブミュージックだ。
長野:その時期に、なんかね坂本くんと井ノ原はもう入るような感じの会話をしてるのを、見ててわかるでしょ?で、ちらちら見えてたりとかして、ああ入るのかなーみたいな感じもあり。でももう年も23だし、さすがにそのへん、苦楽をともにしてきたメンバーも入るわけだし、そこでもうはいんなかったら、もうほんとにないなと思ったりもしてて。
国分:長野くんは振り返ってみると、ずーっと自分が押すってことをしてないでしょ?あまり。最後の、ラストチャンスだと思った時はアピールするの?
長野:したねー。あの、社長のとこに行ってー、まあ、今度V6ってグループを、つくるんだよね、って話、できたらやりたいなってことをね、言った覚えがある。ほんとにこれでなければないなと思ったし、うん。言わない方がいいこととかもあるじゃない?今まで見てきたわけよ、昔Jr.の子とかが、あまりに言いすぎて、あれってなっちゃう人たちがいたわけじゃないですか。そういうところも見てきたから、すごい自分で悩んだそこは。そこででもほんとに、これは最後のチャンスだなと思ってほんとに。これは、言わないよりは言った方が自分のためになる。言ってだめならだめだし、ってのはすごい思ったのそん時。言わなかったらわかんなかったよ、入ってたかもしれないし入ってなかったかもしれないし。*8

「坂本くんと井ノ原はもう入るような感じの会話をしてる」というのが、同じ日かはわかりません。が、別々の舞台に出ている3人が一緒にごはん食べる機会もそんなにないだろう…などと推測しこの際同じ日だと仮定してしまいます。撤収も最終日だと仮定してしまいまして、まあ時間設定に若干無理あるかもしれないけど全部乗せにすると長野さんの8月13日はこんな感じに。

・11時〜 プレゾン マチネ
・16時〜 プレゾン ソワレ
長野「俺たちはいつまで主役を盛り立てていればいいんだよ!」


・20時ごろ?
車で撤収のはずが、存在を忘れられ会場に置いて行かれる


・21時ごろ?
2人を気の毒に思った坂本さんがごはんをおごってくれる。
坂本さん井ノ原さんが話しているのをきいて「どうやら2人は決まってそうだ」と思う長野さん。
(実は違う話題だった by井ノ原さん)


・22時ごろ?
新幹線の中で先輩ファンに囲まれ気まずい思い。席を替えてもらう。
グリーン車に向かう少年隊とTOKIOに見つかる。「お前らおっかけか?」とからかわれる。
東京への道中、長野「そういう(デビューの)話ってきいてる?」井ノ原「いやまだわかんない」


・24時ごろ?
東京に戻ったその足で社長に「新しいグループ、やりたい」と直談判 

…泣いてもいいですか?

もちろん撤収が14日だった可能性や、坂本さんと井ノ原さんが話していたのが別日だった可能性もあります。しかし、それらも数日の間に起こったできごとには違いなく。思い起こせば長野さんは6月まで付き人をやっていたし、ついでに言えば後輩にせがまれて行ったナンパも失敗しているのです。付き人は本人にとってそりゃ良い経験だったろうとは思いますが、95年の流れとして見ると、相当きつい。ただ逆に考えると、これだけ追いつめられてはじめて、長野さんも社長のところへ行こうという気持ちになれたのかもしれません。この背景をふまえての、「言わないよりは言った方が自分のためになる。言ってだめならだめだし」という発言の重さ。

直後に行われた8月17日と18日のSMAPコンサートの横浜アリーナ公演では、長野、井ノ原、森田、三宅がJr.としてバックについて、個人名で紹介されていたそうです。デビューメンバーとして決定に近い状態だったのではないかと思われます。これは本当に、13日の直談判で動いた可能性もありますよね。

Myojoで紹介されるV-Six

更に押さえておきたいのは、8月23日に発売されたMyojo‘95 8月号*9。次号予告で「V-Six」のメンバーとして坂本さん、井ノ原さん、原知宏さんの写真があがっていたというのです。Myojoの誌面校了日がさっぱりわかりませんが、だいたい発売の10日前くらい前?などと考えると、13日時点で「坂本・井ノ原が決まってそうだけど自分はわからないぞ」という感触もあながち長野さんの勘違いでなかったのかもしれません。ここらへんの経緯については、既に調べてらっしゃる方がいるので、こちらを参考に…。

「残りの3人」としてシルエットで写っているうちに限りなく長野さん・三宅さんぽい人がいる気はするのですが、全然違うかもしれないし適当なシルエットを選んでいる可能性も否定できない…。また、なぜ原さんが候補からいなくなってしまったのかはわかりません。ただそれだけ誰が入ってもおかしくない状態であれば、長野さんの意思表示は本当にプラスに働いたのではないかなと思うのです。

余談ですが、最近披露された滝沢秀明さんのこんな証言もあります。

滝沢:なんかちょうどV6がデビューする前に、その、ジャニーさんがV6のメンバーを選んでいた会議があったんですよね。ちょうど僕もその近くにいて、あーなんか次のデビューするグループの会議してる〜ってのは知ってたんですけど、他のメンバーの写真の資料はなんか揃ってたらしいんですけど、長野君の資料だけがその時なかったらしいのたまたま。で、ジャニーさんにその会議の時に呼ばれたんですよ、僕。(ジャニーさん)「滝沢!」…マジか!?と。俺、入ってまだ1年…え、俺デビューもう!?みたいな。次の新しいグループでデビューすんの!?みたいな勘違いするじゃないですか!わかんないから!「滝沢!」って呼ばれて。

でね、色んなお偉いさんがバーッといるわけですよ。たぶん色んなテレビ局の方とかすごい会議してるわけですよ。で、「この子が滝沢っていうんだ」って紹介を僕、されたんです。(中略)そしたらメンバーに入ってなくて、「あれ何だったの?」ってあとあと聞いたら実はまあ、(ジャニーさんが)「(長野の)顔写真がなくて、滝沢に似てるからこういう顔だよって皆さんに見せた」って。見せただけだったんだよって話だったんですけど*10

そんな…天使のようなビジュアルの、1995年の滝沢さんが出てきて「長野はこういう顔だよ」って言われたら、テレビ局のお偉い様方も「いいじゃん!!!」となりますよね!?ジャニーさん、テレビ局の人に紹介するほど「この2人は似ている!!」と思っていたのでしょうか。ねえ長野さんのことも天使に見えていたの?このとき、1人だけ資料がなかったというのも若干気になる…。

ともあれ6人は8月中に顔を合わせることとなります。前回ご紹介した通り8月中に大阪の体育館で顔合わせの機会があり(全員揃っていたかは謎)、岡田さんはその後東京に呼ばれ、夏休みが終わって帰ろうとしたら転校していたことを知らされていた…ということを考えると、Myojo発売日前後でいったんメンバーは本決まりだったのではないかな、などと推理しています。

そしてデビューへ

9月4日にはついに六本木のディスコ、ヴェルファーレでデビュー会見。長野さんが入れなかった光GENJI解散は9月3日に解散…V6の会見はその翌日のできごとでした。

「社会現象まで起こした光GENJIが解散した後にデビューすることは複雑な気持ち。でも光GENJIのように一世を風靡し新しい時代をつくって行きたい」と長野は話した。(中略)ジャニー喜多川社長は「ヤングチームの新鮮さとアダルトチームのキャリアをブレンドし、一人ひとりの個性を生かしたグループにしたい」と話している。*11

光GENJIにきちんと触れている長野さん。長野さんのJr.時代は光GENJIとともにあり、ともに終わったと言っても良いのかもしれません。

その後はみなさんご存知の通り、ドラマ『Vの炎』(10月9日〜11月2日)に出演、バレー特番に出演等を経て、11月1日にシングル『MUSIC FOR THE PEOPLE』でデビューを果たします。9年半かけてのデビュー、しかしありきたりな表現ですがそれはゴールではなくスタートで…ここからはまた別の話ですね。V6は第一線で活躍し新しいことに挑戦し続け、まさかの20年目で紅白歌合戦初出場というユニークな経歴を残すことになります。

振り返れば、オーディションでは何を聞かれても「できません」としか言えず、一度は芸能人になることをあきらめ、デビュー直前まで追いつめられていた長野さん。当時の年齢のリミットや露出の少なさに漂っているどん詰まり感、エピソードを追っているだけで苦しい気持ちになってしまいます。絶対デビューするってわかっているのにね。正直な感想を言えば、長野さんのJr.時代は全然スマートでも華やかでもありません。でもたとえ後輩のバックであってもきっちりつとめ上げ、なんだかんだハングリーに食らいつく姿は、やっぱりかっこいいじゃないかと思わずにはいられないのです。

 

さあ長野さんの長い長い9年半*12のエピソードもこれで終わり。ここまでおつきあいいただきまして本当にありがとうございました。最後にひとつ言いたいのは、とにかく長野博の、いやトニセンのJr.時代をドラマ化してくれということです!!いや、アニメ化舞台化小説化でもいい!なんなら別にファンが書いたやつでもいい!ほんと、それだけ!!もし万が一これを読んだ中に金や権力のある方がいましたら、トニセンに綿密な取材を行った上でぜひとも形にしていだければ幸いです。本当に、私はただ事実から推測したことを言っただけなので、誰かが同じ結論に至ったとしても全く一切思うところはありません。現場からは以上です。これからも、飄々と進化し続けるだろうV6の姿を楽しく見守って行く所存です。

 

・これまでの記事 

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

 

*1:V6 Next GenerationJFN/2011年7月26日

*2:『V6 live tour 2011 Sexy.Honey.Bunny! (Sexy盤)』avex trax/2012年1月18日発売

*3:「前日に長野くんの実家に泊まった」という話もあったような気がしているのですがソースがどこだかさっぱりわからず、記憶がごっちゃなのかも…

*4:V6 Next GenerationJFN/2008年8月30日

*5:TOKIO LIVE TOUR 1995夏 “Bad Boys Bound”』1995年8月13日19時〜

*6:『俺たち×××やってまーす』MBSラジオ/1999年12月28日

*7:『ザ少年俱楽部プレミアム』NHK BSプレミアム/2009年12月23日

*8:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2007年9月16日

*9:95年の発売日、多分変わってないはず

*10:滝沢電波城ニッポン放送/2014年7月12日

*11:『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社/1995年9月5日

*12:触れられなかったですが、いまやもっとJr.歴の長い人がたくさんいるからすごいなあと思います