1969年、フォーリーブスの『少年たち』

最近のジャニーズ舞台、おなじみ演目となった『少年たち』。2010年にA.B.C-ZKis-My-Ft2が演じてから定期的に公演されており、今年は戦争の要素が入ったことで話題となりました。関西担の友人たちとともにこの作品について調べているうち*1、初演の情報が少し集まってきましたので、ブログにまとめてみることにしました。情報だけを並べて、だからなんだという感じではあるのですが、誰かの作品解釈のお役にでも立てば……。

少年たち -小さな抵抗-
(1969年12月、大阪フェスティバルホール日生劇場、主催:民音、監修:萩原朔美)

第1幕 「少年たち」
第2幕 「おお・マイ・ママ」*2

記念すべき第1作目の『少年たち』、主演はフォーリーブスでした。現在上演されている『少年たち』の原型となっている作品と言えるでしょう。先日こちらの公演レコードを購入しましたので、そこに載っている歌詞情報などを見ていきたいと思います*3

■クレジット

出演:フォーリーブス、ザ・ハイソサエティ、ジューク・ボックス、(演劇実験室)天井桟敷
構成:ジャニー・喜多川
監修:萩原朔美
題字:石原慎太郎*4

■あらすじ

手元の本にあらすじがありましたので、引用いたします。だいたい今と同じ流れの話だったようです。

少年院から脱走を試みる少年たち。あるものは、親に会いたいと思い、あるものは限られた鉄の壁の生活から逃れたいと心に決め、あるものはひとりぼっちになる寂しさが恐くなって脱走をする。
が、年少のひとりが少年院の壁をとびそこねて宙ぶらりんとなる。ある少年(北公次が扮する)がみかねて助けようとするが、思いがけなく足をすべらせて転落。彼は息を引き取る。彼は本当は逃げたくなかったのだ。逃げても行くところがなかったからだ。でも、最後にはみんなといっしょに脱走しようとした。何故か。
ひとりぼっちになりたくなかったのだ。少年院にはいって、やっと友だちができた。その友だちと別れるのが悲しかったのだ。
少年は死んだ。
そして、時はすぎた。
そのとき脱走しようととした少年たちの数人が、晴れて出所を許される日がきた。
出て行く少年たちと、見送る少年たちと。いつか口をついて出た歌は、死んでいったあの孤独な少年の魂を慰めるような『あいつのぶんも生きる』であった。
*5 

■曲

  • ヤング・サプライズ 少年は今何を考える (白鳥八郎 作・編曲)
  • なぜっておいらに聞くのかい (寺山修司 作詞/白野隆一 作曲/白鳥八郎 編曲)
  • 抵抗のうた (加味優 作詩/白鳥八郎 作・編曲)
  • ある晴れた朝 (江木俊夫 作詩・作曲/白鳥八郎 編曲) 
  • ぼくは あそこで (高橋睦郎 作詩/中村八大 作・編曲)
  • ここは何処 (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • 脚のないケヤキ (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • 生と死のあいま (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • あいつのぶんも生きる (高橋睦郎 作詩/東海林修 作・編曲)
  • 少年たちの歩み -君にこの歌を、なぜっておいらに聞くのかい- (藤田敏雄・寺山修司 作詩/白鳥八郎・白野隆一 作曲/白鳥八郎 編曲)

全体の流れ

詩人・萩原朔太郎の孫であり、演劇実験室天井桟敷の演出をつとめていた萩原朔美*6が監修、寺山修司の詩を使用し、劇団員も出演していたらしい。かなりアングラな雰囲気を漂わせていたのではないかと思うと、当時のフォーリーブスファンは一体どういう気持ちで観ていたのだろうか、と気になりますね。

それでは、前述したレコードの歌詞を見ていくことによって、全体の流れを追っていきましょう。「ヤング・サプライズ 少年は今何を考える」は日記を書く少年の心の独白。続く寺山修司作詩の「なぜっておいらに聞くのかい」は、現在の『少年たち』で歌われている曲「僕に聞くのかい」と同じ位置付けの曲です。というかもう、こんな似てていいの!?ってフレーズが……オマージュってことでしょうか。

「なぜっておいらに聞くのかい」(フォーリーブス)

教科書まくらに キスをした
学校さぼって 恋をした
なぜって おいらに聞くのかい
空がとっても青いから*7

「僕に聞くのかい」(現在の「少年たち」)
何故ここに来たのか
この僕に聞くのかい
答えは簡単さ
あの空が青いから 

「抵抗のうた」では3人の背景(それぞれ父親や教師や警官に抵抗している)が歌われ、「ある晴れた朝」は劇中の一人……おそらく江木俊夫が「なあおい!俺、歌を作ったんだ、聞いてくれよ!」と言って披露する歌。

「ぼくはあそこで」「ここは何処」の歌詞を見ると、囚われの身にどんどん悩み始めているので、ここら辺で脱走を企てるに至るのでしょう。そして「脚のないケヤキ」で北公次が転落してしまった様子が伺えます。「生と死のあいま」には、死に向かう北公次の歌パート(たぶん)と、少年たちの独白パートが*8。独白パートが誰のセリフかははっきりしないのですが、北公次→他の3人なのかな?

十八年前の一月に生まれ、十年間母さんのお世話になった。父さんのお世話になったのは、たった三年間だけ、それも僕の記憶にない。あの娘と知り合ったのが二年間、これから何十年も知り合っていたかったのに、それもとうとう出来なくなった。もう一度生まれてみたい、生きるために生まれてみたい。

そしてあいつは死んだ。あいつの日記も終った。それは、あいつが望んでいたことかもしれない。

この日記がいつか古いものになり一日もはやく俺の手から消えるのを願いながら、俺は書きつづける。

「あいつのぶんも生きる」は現在も歌われているのと同じ楽曲です。最後の「少年たちの歩み -君にこの歌を、なぜっておいらに聞くのかい-」*9では、出所する少年たちが新入りたちに日記を託す様子も入っています。

新入りか、みんな楽しそうだなあ。
俺達の歩んだ道をまた行く。
うん、苦しいんだよきっと、でも頑張るだろう。
若いんだもん。
おい、おい、これ、俺達の仲間が書いた日記なんだ。おまえたちにあげる。大事にしてくれよな。読んでくれよ。
うん、おまえ達にもわかる時がくるさ……
じゃあ元気でな、がんばれよ!

現在の『少年たち』でおなじみの対立シーンや、横暴な看守長の存在については、歌詞からは確認できません。メインの少年が4人しかいないので、対立も何も、という感じだったのかもしれないですね。

格子なき牢獄

劇中4曲の作詩を担当した詩人の高橋睦郎は下記のように語っています。

舞台は"格子なき牢獄"。こんな特殊な場所に「少年たち」をおいたのは、かれらの無垢な魂が非常な場にあることで、いっそう無垢なかたちであらわになると思ったからである。(高橋睦郎)

2010年『少年たち』が復活する際につけられた「格子無き牢獄」というサブタイトルは、この言葉から来ているのでしょう。

ちなみに「格子なき牢獄」で調べると、1938年公開のドイツ映画『格子なき牢獄』が出てきます。この映画は、日本でも戦前~戦後幾度となく再上映されたほどに人気だったらしい*10。映画の舞台は「少女感化院」……ちょっと道を踏み外してしまった少女を、自立できるように導く施設だったみたいで、これに影響されて少年院が舞台になったのかもしれません。でもよく考えたら少年院って、そもそも格子あるんじゃないの!?


というわけで、『少年たち』第1作目の情報でした。このあともフォーリーブスは「少年たちシリーズ」として6作、さらに10周年ライブで『少年たちパートⅡ』*11というミュージカルを披露したらしい。
先日購入した5作目のレコード『少年たち -明日なき友情-』を見ると、あらすじは全然違うものでした。『少年たち』という演目名は共通していても、都度新しい物語で展開していたみたいです。この形式が、少年隊の『PLAYZONE』に引き継がれたのかもしれませんね。

フォーリーブス担のお話

ちなみに、縁があって当時フォーリーブスファンだった方にお話を伺う機会がありましたので少し感想をきいてみました。『少年たちシリーズ〜 フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ』(1971年10月公演。ストーリーは『少年たち -小さな抵抗-』とは別物)を観に行ったことがあるそうです。個人の感想として伺ったものですが、とてもおもしろい……。


Q.アイドルの舞台なのに、ストーリーが暗いという印象はなかったですか?

ジャニーズ舞台は大抵人が刺されたり死んだりするので、明るい舞台なんてないのでは。∞みたいなものは昔はなく、全体的に大人しい印象でした。舞台で流れる音楽は当時のハードロックのようなものであったため、そこは当時としては明るかったかもしれません。

Q.舞台の演出などはいかがでしたか

舞台の後にショータイムがあるため、舞台の記憶が全て吹っ飛びました。同じ舞台内容で全国ツアーを行っていました*12。後に発売された舞台の写真(当時はモノクロでした)を見て、公演のレコードを聴きながら舞台の記憶に浸る形。地方を回って公演を行うため、セットは机と椅子くらいのもので、それでも演技力で背景が見えました。

Q.コント的な要素はあったのですか?

当時は「雲の上の人」だから、今みたいなことはしませんでした。時折マー坊(おりも政夫)がアドリブをいれることはありました。

Q.フォーリーブスの印象について教えて下さい

グループサウンズの終わり頃に登場したフォーリーブスは、優等生的なイメージで売り出され、髪型もサッパリしていました。フォーリーブスの世代は自分より少し上、姉くらいがドンピシャでした。当時は「コンサートへ行く」こと自体が「不良のすること」という認識をされるため、文句を言われないよう、成績を上位に保っていました。

フォーリーブス担さんの担当遍歴

図々しくも、担当遍歴まで伺いました。昔からファンは事務所ぐるみで応援していたのかと感慨深いような。フォーリーブスのバックにいた郷ひろみを好きになってバスツアー参加とか最高だ……。

  • 幼稚園頃は俳優の西郷輝彦が好きだった。
  • フォーリーブスではマー坊(おりも政夫)が好き。姉はター坊(青山孝)ファンで、ファンクラブに入会。
  • その弟分ジュークボックスでは小谷純が好き。

--このあたりで初めてリサイタルに参加。--

--結婚、出産--

  • 光GENJIなどはテレビで見ている程度。
  • 93年 SMAPとかを見始める。
  • 95年 KinKi Kids。(光一さん寄りのftr派が現在のスタンス)。Jr.番組やスマスマなどありとあらゆる番組をビデオに録画しだす。
  • 96年 「堂本剛のDO-YA!」で披露された、村上信五のセーラー服姿が可愛かった。
  • 97年 「なんじゃにカンジャニ」で「BOYS IN WEST SIDE」を歌う横山裕が好き。
  • 04年 ドリボ、やぐらダンスあたりで関ジャニ∞熱が高まる。夏の松竹座「Summer Storm」にも参加。
  • 現在 村上信五錦戸亮が好き。舞台の生田斗真も好き。

※担降りではなく掛け持ちだそうです。
※ちなみにお姉さまはフォーリーブスではター坊、ハイソサエティではギターの高橋洋一KinKi Kids堂本光一、嵐は相葉雅紀らしい。「姉は今でもター坊」(フォーリーブス担さん・談)
※12月に大阪で行れるフォーリーブスのディナーショー(鬼籍の二名は映像出演)のチケットを無事ゲットできたそうです!

おまけ

実際にレコードを聴いた方の記事を見つけましたので……。

yotsuba4ever.blog.fc2.com

yotsuba4ever.blog.fc2.com

*1:ちなみに私は観ていないんですが!DVDは持ってるよ!看守の安井のために

*2:参考:ジャニーズ百科事典

*3:再生機器がないので中身は聴けない……

*4:石原慎太郎は、ジャニーズの舞台『太陽の季節』原作者でもありますね

*5:和泉ヒロシ『ジャニーズ・ファミリー ―裸になった少年たち―』オリオン出版,1976

*6:説明が乱暴すぎてすみません

*7:ちなみにこの詞は、江夏圭介『新 初恋』(1968年)の歌詞でもあるようです。

*8:ミュージカルのレコードなので、歌の前後のセリフが少しずつ入ってるのだと思われる

*9:「君にこの歌を」「なぜっておいらに聞くのかい」を一緒に歌ってるぽい

*10:ソース:Wikipediaですが……

*11:内容は不明

*12:東京の帝国劇場、大阪、名古屋で公演