我々はいつからアンダルシアに憧れていたのか

 さて、問題です。

Q.下記の選択肢より、●●に入る単語を答えよ。(ジャニヲタ正答率98%)

「アンダルシアに憧れて ●●をくわえて踊ってる」

A.指
B.薔薇
C.煙草

とまあジャニヲタであればほぼ即答間違いなしですが、「アンダルシアに憧れて」の映像を周囲の友達に見せたりカラオケで歌ったりしても「なにこれ?」「こんな歌知らない」となることが多いです。*1私自身はティーンのころ、周囲のジャニヲタが当然のように「アンダルシア」を知っていることに驚き、「この良さがわかったら一人前」と言われて衝撃的でした。でも今になると確かに……とうなずくところは大きい。

我々はなぜ、そしていつからアンダルシアに憧れてきたのか……今回はアンダルシアの歴史を紐解く旅へ参りましょう。

一応先にお断りしておきますが、これから話すアンダルシアの歴史は、ジャニーズ事務所の意図を推理して主張するようなものではありません。事務所やタレント、いろんな人の思惑や意思決定が少しずつ重なって生まれたであろう文化の流れについて、「こんな風な見方で語れるんじゃないかな」という内容を提示したいと思っております*2

アンダルシアの歴史

いつものごとく、簡単な年表です。網羅したいわけじゃなく、転機の話がしたかったので、適度に省いております。すみません。 

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「アンダルシアに憧れて」が世に出たのは、1989年10月のことでした。作詞・作曲は元THE BLUE HEARTS↑THE HIGH-LOWS↓、現クロマニヨンズ真島昌利さん。ソロアルバムの1曲を先行シングルカットする形で発売されたそうです。もともと在籍していたバンドTHE BREAKERSでも歌っていた曲で、1984年ごろからライブハウスなどで披露されていたものでした。
真島さんシングル発売の1カ月後、近藤真彦さんも「アンダルシアに憧れて」をシングルとして発売しています。光GENJI全盛期、当時のジャニヲタのテンションはわかりませんが、その前のシングル「Just For You」が43,000枚、「いいかげん」が61,000枚、そして「アンダルシア」が92,000枚のようですから*3、評判はよかったのかな?と思います。*4

発売から7年、「アンダルシア」に再び脚光があたったきっかけが、「少年隊 PLAYZONE ’96 RYTHME」でした(たぶん)。少年隊の東山紀之がソロナンバーとして選曲、新たなアレンジ・振り付けで披露したのです。そう、2015年の現在まで受け継がれているのがこの東山バージョンとなります。約20年前のものですが、今見てもほとんど振り付けは変わっていません。

東山紀之ソロ」というのはかなりの伝統メーカーで、披露された曲が振り付けごといくつも後輩たちに受け継がれています。「千年メドレー」「Before Fight」「Be COOL」「Back to Back」など、90年代のアイドル・オン・ステージ開始からJr.黄金期のミュージックステーションやコンサートまで、世代をまたがって披露される曲は東山さんによって生み出されることが多かったのです。しかし、グループを超えて世代を超えてジャニーズ全体の曲として浸透したのは「アンダルシアに憧れて」でした。その差はどこにあったのでしょうか。

転機1 PLAYZONE '96のダンスアレンジ

アンダルシアの転機は、まず先ほどの「少年隊 PLAYZONE ’96 RYTHME」にあるでしょう。年表を見ていただければわかるように、PLAYZONE’96後から坂本昌行堂本光一今井翼が相次いで披露しています*5。先ほどあげた「千年メドレー」「Before Fight」「Be COOL」もこのメンバーの誰かしらを通って降りてきて、アイドル・オン・ステージやミュージック・ジャンプ、Mステで披露されています。本人の意向か周囲の意向かわかりませんが、このメンバーが東山直系ルートのようになっていたことは確かだと思います。ただし坂本さんはその後、「東くんを超えられないから千年メドレーやアンダルシアはもうやらない」と言って、ルートを退いています*6

90年代のジャニーズといえば、大きくわけて「ちょっぴり現役退き世代(今のJ-STARS)」「現役デビュー組(SMAP&J-FRIENDS)」「ジャニーズJr.(滝翼、嵐、You&Jの上の方)」 3世代というシンプル構造でした。そのような状況で結ばれた東山紀之-堂本光一-今井翼というルートは、すべての世代をカバーしていたといえるでしょう。アンダルシアが全世代に普及する土台は、ここで固まっていたのです*7

転機2 「MILLENIUM SHOCK」による複数人アレンジ

先ほどあげたとおり「千年メドレー」「Be Cool」など、同ルートの曲はいくつかありました。そこで2つめの転機が、「MILLENIUM SHOCK」です。出演していた東山紀之赤坂晃(現在は退所)、堂本光一今井翼の4人で「アンダルシアに憧れて」を披露したのです。のちに「アンダルシアユニット」という名前で近藤真彦トリビュートアルバムでもアンダルシアに憧れている4人は、「ダンス四天王」とも呼ばれていました。ダンスが上手い人はたくさんいましたが、この4人はヒップホップやハウスなどのストリート系ではなく、ミュージカル映えするダンスという意味で「正統派ジャニーズ」ととらえられていたように記憶しています*8。ともかくこのSHOCKによってアンダルシアを複数人で歌い継ぐスタイルが定着したことは、アンダルシア史*9においてかなり大きなできごとだったのではないかと考えられます。

このようにして、アンダルシアには「正統派選抜ジャニーズ曲」「選ばれし数人が歌い継ぐ」という要素がつくことになりました。「いつから憧れていたのか」という問いに答えるとしたら、2000〜2001年ごろという回答が適切であるように思います。しかし、アンダルシアはこのままでは終わりません。まだ形態を残していたのです。

転機3 起源の再発見

3つ目の転機となったのが、2003年12月31日に行われた「ジャニーズカウントダウンコンサート」でした。TV放映もされたカウントダウンコンサートで、総勢…えーと…20名くらいで行った非常に豪華なアンダルシア。そう、アンダルシアが残していた形態とは「ジャニーズ全体のアンセム」。彼らが歌い踊る姿は熱狂的な視線を集め、ファン一同には「ジャニーズ全員集合はアンダルシア!!」という意識が刻まれたのです。
ただ実際は、2003-2004カウコンに出演していた全員がアンダルシアを歌って踊ったわけではありません。出演者の約半数はその次の曲「ミッドナイト・シャッフル」を歌っていました。

さて、ここで唐突にまた問題です。

Q.下記の選択肢より、ジャニーズのTOPを答えよ。(ジャニヲタ正答率100%)

 

A.嵐

B.SMAP

C.近藤真彦 

そうです。近藤真彦です。

2003-2004年のカウントダウンでのアンダルシアは、完全に「近藤真彦コーナー」として披露されていました。

もちろん、いくら色んな後輩が歌っていてもちょっと調べればアンダルシアが近藤真彦さんの歌ということはわかります。そもそも東山さんが最初に披露した「PLAYZONE’96 RYTHM」自体が「古今東西のジャニーズソングを盛り込んだダンスショー」であり、近藤真彦さんの曲であることは意識されていました*10。しかし、その後はこれまで紹介した通り”東山の系譜”として選ばれし正統派ジャニーズに歌い継がれるようになっていた。
それがカウコンの試みによって、アンダルシアの起源にもう一度近藤真彦が刻まれ、名実ともにジャニーズ事務所のアンセムとして存在することになったのではないか?と思うのです。いくら東山さんが伝統メーカーだといっても、「千年メドレー」や「Be COOL」では、事務所全体の曲として存在できなかった。また、近藤真彦曲というだけでも、だめだった。東山さんが後輩に継承し、更に近藤真彦という起源を持っていたからこそ、アンダルシアは全員集合曲として機能することができたのではないでしょうか。

その後「アンダルシア」はカウコンでもおなじみの曲となり、あの2014-2015コンサートでもイントロで歓声があがったほど浸透しています。またいろいろなアンダルシアが観れることを願っています。あ、千年メドレーもね!

余談

この記事は完全に事務所におけるアンダルシアの「使われ方」の面から流れを見ていきましたが、もちろん曲自体、振り付け自体にアンダルシアが受け継がれる要素があったことは見逃せませんね。そもそも後輩に受け継がれなかったら、上記のようなジャニーズ事務所全体に広がる流れはなかったわけです。

曲構成

他の曲に比べて、アンダルシアがAメロを繰り返す構成だったため、複数人スタイルにうまくはまったのではないかと思います。同じメロディーのフレーズをリレーすることができるんですね。

歌詞の内容

ジャニーズは「ウエスト・サイド物語」に憧れて結成されただけあり、コンサートでも舞台でも大抵誰かが戦って死んで昇天したり墓場で踊ったりしています。アンダルシア〜の歌詞でも主人公(ギャング?)は死んでおり、ジャニーズ伝統の舞台構成と合致しているといえるでしょう。

というか、調べていてびっくり! 1984年頃、THE BREAKERS時代のアンダルシアでは、歌詞が「シャーク団が言うことには 今夜港で決着を」だったらしい。シャーク団といえば、ウエスト・サイド物語に出てくる非行グループではないですか。ということは、しくじったトニーは……!?まあストーリーとは合わないのでそのままつなげているわけではないでしょうけど、意識していたのだろうか?偶然なんてことある??*11

ちなみにスタッガーリーは誰なのか、というのはこちらの方が調べられてました。元の人物いたのか……!!!

(追記)日活映画に『拳銃(コルト)は俺のパスポート』って作品があったそうです……! 

振付など

スペインを意識した振り付け。これもSUMMARYやSHOCKなどジャニーズ舞台では世界旅行要素が頻出であることを考えると、非常に使いやすいですよね*12。中でもスパニッシュは見せ場に使われることが多いように思います。これはアンダルシアの影響なのかな?
ジャケット振り回す振り付けはまあ無条件にかっこいいですよね……。余談の余談ですが、ミュージカル「ON THE TOWN」に出てくるアイヴィーがやっていたバイト「エロいダンサー」の内容が、床に落ちたハンカチを加える振り付けで、「アンダルシアじゃん……!」と思いました。

ちなみに振り付けについて、東山さんは下記のように語っています。

マッチさんに敬意を表して、僕なりの形を創りあげた作品なんですが、この振り付けをした日のことは今でも鮮明に覚えています。その日は、とてもいいリズムで振り付けが進んでいて、没頭していくうちにいつもとは違う"ノッテいる"感覚、すべての感性が研ぎすまされていく不思議な感覚を覚えたんです。いわゆる"ZONEに入る"ということだと思うんですが。今、この瞬間にしか生み出せないもの、今を逃したら生み出すのが難しいものがこみ上げてくる。その瞬間を逃したくなくて、その日はわがままを言って、時間の際限なく最後まで振り付けを続けさせてもらったんです。

 (少年隊PLAYZONE FINAL「Change」パンフレットより) 

振り付け担当の方と一緒に振りを作っていた時の話なのかな?そんな状態でできたものだから、こうやって長く受け継がれるようになったんですね。

 

アンダルシア年表詳細版
一応、年表の頑張った版もあるんですが、とうていすべてのアンダルシアをフォローできるものではなかった……。もし情報がありましたらそっと教えてください。

http://f.st-hatena.com/images/fotolife/s/sasagimame/20150411/20150411211318_original.jpg?1428754432

*1:もちろん「自分の周りは大体わかる」という年代の方もいらっしゃると思いますが、ジャニヲタの全年代には普及しているのにジャニヲタ以外では特定の年代にしか通じないということで許していただきたい

*2:「●●にそういう意図はないと思う」とか言われても、知らんがな……となるので……

*3:中森明菜事件後の初シングルだったらしい

*4:ちなみにその後96年の「ミッドナイト・シャッフル」は70万枚を売り上げており、やっぱりマッチさんの底力はすごいんだな……と思いました

*5:むしろマッチさんもMステで披露している

*6:V6 ファンクラブ会報より

*7:SMAPには伝わってなかったのかもしれないですが……

*8:ここらへんからは自分がもうちゃんとジャニヲタだった

*9:自分で書いてて、何言ってんだ…?とは思っています!大丈夫です!

*10:ちなみに98年の宝塚劇場でも、マッチさんコーナーとして行われていたらしいです

*11:東さまマッチさん云々よりもこのウエストサイドとのつながりのが重要なんじゃ……という気もしてきた。

*12:バレエのくるみ割り人形とかでも、各国の人がお祝いに来て「●●の踊り」を披露したりしますよね