【歴史編】千年メドレーを千年保存する会

前回よりだいぶ時間が開いてしまいましたが…ちょっとクリエが忙しくて……。さて、歴史編です。「アンダルシア」東山バージョンが96年に披露されてからすぐに広まっていたのに対して、千年メドレーは最初に披露されてから後輩に受け継がれるまで若干時間が空いており、さらに時期もバラバラです。こちらの一覧よりご確認ください。

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時期に合わせて、状況を見ていきましょう。

  • 1990年

少年隊PLAYZONE’90 MASKにて、千年メドレー初披露。当時の反響はいかほどだったのでしょうか?でもこれだけ気合い入ってたんだから、ファンも興奮だったんだろうなあ。

  • 1992〜1993年

林田健司のシングル発売。「Jealousy In Love」はメナード化粧品のCM曲、「Heart Of Gold」はミラービールのCM曲だったそうです。当時の少年隊担はTV見てたら「千年メドレーのやつじゃん!!?」って驚いたのでは。

  • 1994年〜1995年「アイドル・オン・ステージ」需要

この時期は主に「アイドル・オン・ステージ」で歌われていました。現在放送中の「ザ・少年倶楽部」と構成はあまり変わらず、みんな自分の持ち歌だけでなく様々な曲を歌っており、その中には洋楽や先輩の曲が含まれていたために、レパートリーとして入ってきたのかな。KinKiの間で踊ってる小さな森田剛(ただし同い年)の動きがすでに素晴らしく、またその後見られないつよしの千年というのも趣深いです。ダンスうますぎる。

千年メドレーが歌われる前にKinKi Kidsが「Heart of gold」を歌っていることから、林田健司のシングル発売によって千年メドレーの存在が思い出されたのでは?などと想像もしてしまいます。実際、内海光司さんは光GENJIのコンサートで、林田健司バージョンでメドレーを披露したそうです。

  • 1997年〜1998年

こちらは明確に「KYO TO KYO」きっかけです。ジャニーズが京都のシアター1200公演として大々的に「KYO TO KYO」と銘打った、Jr.メインのショー公演をプロデュースしたわけですが、最初の2週間ほどを「こけらおとし公演」として、忍者、光GENJI(内海光司赤坂晃佐藤アツヒロ)、KinKi Kids、V6(20th Century、Coming Century)が出演する公演が行わたのです。各公演の中で、各グループのダンス選抜と言えそうなメンバーが披露したのが「千年メドレー」でした。

さらに、東京宝塚劇場のリニューアル前の一時閉館時に、少年隊、TOKIO、V6、KinKi Kidsが代わる代わる行った公演でも、各グループが千年メドレーを披露しています。最終日には、東山さんをメインに、バックが堂本光一森田剛坂本昌行長野博国分太一山口達也と、豪華すぎる選抜メンバー。この映像がなぜ残っていないのか……。ほとんどのグループが千年メドレーを踊っており、さらに黄金期Jr.がバックについてたりしたわけですから、全世代に広まった感があります。

前後しますが、Mステで披露されたのも大きいでしょう。堂本光一が多数のJr.を引き連れ、また途中からタッキー&翼も出てくる。これ、当時見ていたらどんな感想をいただいたのでしょう。かなり濃ゆい世界観だよ。

とにかく、KYO TO KYO東京宝塚劇場に行けなかった人でも「ああ、あの千年メドレーを劇場でやったんだね」と想像することができる状態になってたんじゃないかな?と思います。

ちなみに、マイファースト千年メドレーは、97年9月のMステか、98年発売のKinKi Kidsビデオ「us」に収録されていた、東京宝塚劇場のものだったと思います。ここら辺、記憶が曖昧……。さらにその後遡って買ったローソンコンサート、友達の家でKYO TO KYOなどの映像を立て続けに見て、昔のアイオンなどの映像も見せてもらうようになって「千年メドレーってなんなの!?」と心に引っかけたまま生きてきた感じです。

  • 2000年〜2004年

しかし、こんなにいろんなグループが披露していた千年メドレー、2000年代になるとピタリと継承が止まってしまいます。メドレーの名の通り、2〜3曲をつないで10分程度の長さ、さらにアンダルシアのように数人で踊れるようなナンバーではなかったので、しょうがないのかもしれません。

また、このころになるともう、各グループもコンサートで歌うのは基本的に自分たちの曲、さらにジャニーズJr.もSMAPKinKi KidsTOKIO・V6・嵐といまどきの先輩曲が豊富な中で、少年隊の曲をあまり歌わなくなってきて、だんだん「全世代が共通して歌う曲」というのが減ってきていたように思います。

  • 2005年〜2008年 思い出振り返り期?

勝手にこんな名前をつけてしまっていいのか、というところですが、要は「黄金期に千年メドレーを後ろで踊っていた(もしくは踊れなかった)Jr.たちが、デビューしてから思い出の曲を披露しているのがこの時期……なのかな!?という、推測です。

トップバッターを務めたのが村上信五というところがまた驚きです。やっぱりダークホース村上信五!!大宮SKは最初千年メドレーをやっていたものの、あまり客席に伝わらなかったため、ツアー後半は曲を変えてしまったらしい。悲しみ。

東山さんもPLAYZONEで披露するものの、2008年を最後に後輩に舞台を譲り、少年隊が新たなパフォーマンスを披露することはほとんどなくなってしまいました。

  • 2010年以降

東山さんが2回披露していますが、両方とも少クラプレミアムで「あのころすごかった伝説の1曲」としての扱い。そして、平家派の千年メドレーが、現在のラスト千年メドレーとなっています。このまま千年メドレーは途絶えてしまうのか?誰かがその沈黙を破ることはあるのでしょうか?

千年メドレーを受け継ぐ者たち

  • 言わずと知れた東山ライン

やっぱり欠かせない堂本光一、そして内海光司大野智。さらに坂本昌行さんですが、KYO TO KYOでは骨折して踊れず、後には「アンダルシアと千年メドレーは東山さんを超えられないからもうやらない」と宣言しており、もっと受け継いでくれてもいいんYA・DE!と言いたくなります。なんでまーくんすぐ楽曲封印してしまうん?

光一さんは、アンダルシアもきっちり受け継いでいるわけですが、この2曲をJフレ&黄金期Jr.に根付かせ、後進にも見せつけた功績は大きいように思います。自ら行っていたのか、それともなんらかの事務所の流れがあったのか、いつか誰か出世して聞いてみてください。

これ書き出しながらびっくりしたのですが、長野博、どんだけ千年バックやってるの!?という……。もちろん、回数的にはKYO TO KYOメンバーの方が多いと思いますが、「内海光司」「東山紀之」「坂本昌行」バックで千年を行うだけでなく、KYO TO KYOこけらおとし公演では自ら真ん中で千年メドレーを!*1 影の千年メドレニストである。98年の東京宝塚劇場では、原くんとシンメで坂本さんのバックを務めており、デビューしてるのになんでJr.に混じってメンバーのバックやってるの!?と突っ込んでしまうほどの職人です。

ここでもってくる!?って感じですが、なぜか一人だけ千年の季節を歌っており、さらにエイターに「ぶぶぶ」と印象付けるなど、影響力は強い!振り付けは全然違うのですが、我々保存会が重視している、「メドレーをつなぐ間奏の手の動きの中に地球が見えるか」を微妙に再現しているところもポイントが高いです*2

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↑こういうやつ

ちなみに村上さんはアンダルシアパロディも舞台『if or・・・』の中で披露したそうで、在野の東山フォロワーと言えるのかもしれません。というかジャニーズギャグの体現者なのか?

今後の展望

どうでしょうね〜。千年メドレー、誰かがやってくれたら面白いですが。おそらく、今のJr.でやったことあるのはふぉ〜ゆ〜、They武道、松本幸太、MADEあたりが最後。意外とA.B.C-Zも通ってないのですが、黄金期の最後の方を過ごしていた彼らは絶対知ってるはずなので、どっかでやってくれたらいいのになあ。後は、我らが勝手にジャニーさんの後継者として期待を寄せている佐藤勝利くんあたりはどうか。本当に勝手に見たいだけなので、該当担の方には申し訳ありません。

  

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*1:坂本さんが骨折したためと言われている

*2:余談ですがこの動き、最近のJr.がジャニワや紅白でやってる玉を転がす動きに似てませんか!