V6担がJUMP担に紹介してみた。第3回「楽曲~V6前編~」

24時間TVを記念してHey! Say! JUMP担の千紘さんとお互いの好きなグループを紹介し合っていたこのシリーズ。今回のテーマは曲です!互いにおすすめしたい曲を10曲ずつ選びました。

※千紘さんの第2回はこちら

kagekina-replica.hatenablog.com


TOKIOKinKi Kids、V6の同年代3組はまとめてJ-FRIENDSというグループでしたが、この3組、実はそれぞれのスタンスで音楽を大切にしているグループなんです。TOKIOはバンドとして、KinKi Kidsは歌に磨きをかけ、V6はダンスミュージックにのって流行をおっかけてきました。なんてったってV6のデビュー曲が「MUSIC FOR THE PEOPLE*1ですから、MUSICがかなり重要であることは間違いありません。

しかし私は音楽というものにあまり詳しくありません。そこで今回はV6の楽曲たちをまとめた武井 六夫(ぶい ろくお)という一人の人間を仮定、歌詞や音楽の傾向を彼の半生に託して見ていくことで変遷を追っていくことにしましょう……。*2

今回は歌詞をすべて分析したわけではなく、大まかな流れを個人的に解釈したものです。歌詞の引用については、著作権上の引用ルールに基づいて行います。前回と同じく、また千紘さんからコメントももらいました。
ちなみに、ちょうど!V6のベストアルバム、『SUPER Very best』が発売されました。さらに、ジャニーズ楽曲大賞さんが「V6楽曲大賞」を企画されており、締め切りがせまっていますので、こちらもぜひ〜。日曜の夜までだよ!!

V6楽曲大賞1995-2015

トンガリ期(1995年~1999年)

六夫くん、中学生~高校生くらい。最初はとにかく電子楽器!ユーロビート命!チャカチャカした音楽がさいこーにかっこEジャン!コンクリート打ちっ放しの廃屋的なところでダンスするぜ!!といったノリです。好きな女もいるけど、それよりも飛ばなきゃいけないのは自分の空……(MUSIC FOR THE PEOPLE)。
しかし六夫くん、とにかくふわっふわしています。何がやりたいのかさっぱりわかっていません。

「何がやりたいのかよくわからない でも絶対何かできそうな気がする」(I CAN)
「まだこのてのひらにはなにもないけど なにもないところから夢はかなう」(いま!!!)
「たぶん見つかるよ ほんとのDream」(BEAT YOUR HEAT)
「僕だけに出来るコト 見つけたいよ」(Can do! Can go!)
「やってやろうぜBaby! やってやろうぜBaby! 結局何したいのか はっきりわかんないけど」(やってやろうぜBaby!)

本気で何も見つかってない!でも、これから探すんだもんね。更に少したつとヒップホップを取り入れたり、音がゆったりしてきて、WAになって踊ったり愛なんだと叫んだり、やたらパーティーをしたり(「Do IT」「DANCE!!」)と、仲間や恋を大事にしはじめます。たぶん高校生になったんでしょうね。ただずっと大人というか社会に対しては懐疑的であり、自分たちをわかってもらえない……という思いが根底にあるようです。

「もしも暗い明日を 大人が予言しても」(逃亡者)
「すべてを変えよう 平凡なんかはいらないから」(MASSIVE BOMB)
「押しつけだらけのGENERATION GAP ついてゆけない 僕らの時代なんだ」(GENERATION GAP)
「きっとみんな一人になると たまらなく恐くて 肩書きとかブームに 寄りかかるのか?」(Feelin' Alone)
「こう見えてけっこう頑張ってるんだ 顔に出さないだけなんだ」(翼になれ)

だいたい交差点ではイライラしたり駆け出したり、人混みの中落ち込んだり、文明社会の象徴・ビルをディスったり、大人になることに対しての不安と焦燥を抱いたまま、パーティーに明け暮れる六夫くんでした。
ここら辺の「反抗期」「焦燥感」は非常に90年代っぽいなというところもあり、おそらく平成 翔(へいせい じゃんぷ)くんのデビュー時と違う点なのではないでしょうか?

 

この時期おすすめしたい曲

  • BEAT YOUR HEART (アルバム『SUPER Very best』収録)

ユーロビート全開期の1曲。3枚目のシングルでほぼラップとは、かなり冒険してる気がします。あんまりラップはうまくないですが、今きいても気持ちがあがる。サビの「ナウゲッタチャーンス」のチャラさが光ります。

Rap楽しすぎる!ユーロビート武器にトンガってやるZE!っていうテーマをそのまま表したような感じが大好きです!いい意味で時代を感じる曲で、初期V6!ってイメージ通りの曲でした!!(千紘)

  • DO IT (アルバム『GREETING』収録)

初期コンサートの定番だった1曲。今聞くとちょっと古いけど、一時期のV6の空気をとてもよく表していると思います。90年代のパーティーピーポーだ!

ピコピコしたメロディとハーイエモーション♪がすごい耳に残る!夜は男も女も~ってすごい歌詞だ…!1.2.3.4.5.V.6!は高まりますね!ジャニヲタが大好きなやつ!(千紘)

リア充期(2000年~2005年)

六夫くん、大学に進学したのか、急にリア充めいてきます。あんなに大人に懐疑的だったのに!きっと真面目に進研ゼミやってたんですね!*3
まだ若干自分の道を探してはいるんですが、それまで繰り返し「何も持っていないけどなんかあるはず」と言っていた六夫くんが何か道だけは決まったっぽくなり、そこに向かって邁進していく明るく爽やか好青年になっています。きっと、大学デビューに成功したのでしょう。また、それまで電子音で尖っていた音楽は非常に軽めでポップになっていきます。

「傾斜90度の坂道だって もう駆け上がってかなくちゃ 本気出してかなくちゃね」(Life goes on)
「I WANT TO CHENGE THE WORLD 二度と迷わない」(CHENGE THE WORLD)
「飛び出せ僕らがRainbow 落ち込んでも 悩んだって問題ない」(情熱のRainbow)
イカロスだって届かなかった(Rising sun) だけど笑って夢に向かって踏み出せ」(Gravity Graffiti)
「行きつ戻りつ それでもゴールまで やっぱこの道を行くだろう」(wonder world)

一方、社会のつらさに直面したりもしているようです。ただ大人や社会を批判するだけではなくて、自分ががんばんなきゃだめだ!と言い聞かせています。きっとバイトリーダーがんばったり、就活に苦労したりしたんでしょうね……。でもちゃんと就職して、社会人になれたっぽい。いきってる若手社会人の姿も見え隠れしてきます。

「雨に打たれて陽に灼かれ 僕は歩いていく」(羽根~BEGINNING~)
「夢とリアルの間 どうにか折り合いつけては 過ごし」(A・SA・YA・KE)
「自分だけが大変なんて 思う弱さ蹴飛ばすんだ つかみとるまで」(強くなれ)
「平成の 波にのまれ、流されたって 雨に打たれ、ずぶ濡れだって Come on!×3 握った拳を突き上げろ」(Hard Luck Hero)

恋の歌もだんだんバリエーションが出てきます。気難しい相手、遠恋*4などいろいろな経験を積んでいるみたいです。

「”多分あなたを好きにならない”拒絶の態度 First time」(Ride on Love)
「思い出の数が支える恋だから 結ばれた二人の糸が絶えることのないように」(愛のMelody)
「忙しくて昨日も すれ違うくらいしか会えなくて」(キセキのはじまり)
「昨夜君がねだったのは アロマオイルみたいな嘘」(Darling)

さらに、地元の仲間たちと少しずつ道が違っていく姿も見えます。東京に進学して就職したのだろうな、六夫くん。

「『そのうち会おう』と笑って手を振った 『そのうち』なんてもう ないことわかってる」(出せない手紙)
「いつか想像してた未来といまがすこし違っていたって」(Feel Your Breeze)
「ありがとうと言わせて欲しい たとえば何年経っても きっと変わらず僕はまだ 今日を覚えているよ」(ありがとうのうた)

ちなみにパーティーはまだやっています!(JAM JAM NIGHT) しかし摩天楼やビルを肯定できるようになってきた六夫くんは、やっぱり確実に大人の階段を上っています。

 

この時期おすすめしたい曲

  • Don't Stop the refrain (アルバム『"HAPPY"Coming Century, 20th Century forever』収録)

これは完全に恋人同士の初めての夜の様子を描いた曲なんですが、めちゃくちゃおしゃれに仕上がっていて、リア充の極みって感じです。大好きです。

オシャレ~!!キラキラしたサウンドが結ばれた夜の浮遊感を表現してるみたいですごくいい!!素直な高揚感が歌詞やウォオオ♪ウォオオ♪に感じられて、大人ぶってなくて可愛い。これめちゃくちゃ好き! (千紘)

  • A・SA・YA・KE (アルバム『seVen』『Very bestⅡ 永続盤』収録)

爽やかさがカンストしている1曲!しかしどこか切なくもあり、夏の朝に聞きたいな~という気持ちになります。*5

大人の爽やかさがある。大人の朝焼け!間奏の吹奏楽器が効いてる…。バラードだと皆の声がじっくり聴けていいですね。歌詞も、ちょっと苦い感情を交えつつも前向きなことを言っていて、六男くん、大人になっていってる…。(千紘)

ちょっとまた長すぎるので、前後編にわけます……。順調に大人になってく六夫くんです。

*1:ちなみに、作曲は秋元康。やすすファミリーだったV6

*2:すべってない?これ大丈夫??

*3:チャレンジのCMやってました

*4:愛メロ失恋説もありますが、これは遠恋の歌だと思っています

*5:作詞の方はタッキー&翼の曲をすごく書かれてますね

ジャニーズアイドルの本から見る解散の歴史(前)

以前「西暦2014年、スマ歴24年」というタイトルのブログ記事を書きました。これは、SMAP以前はジャニーズのアイドルグループも解散することが当たり前だったことを記したものでした。まあ結局SMAPがすごい!という話だったわけですが、あれから周囲ではまた「どうして女子アイドルは解散・卒業するのに、男性アイドルは30代40代になってもアイドルを続けていられるのか」といったことが話題になったりしています。

アイドルの解散や脱退について考えるとき、「売れなかったので契約が更新されず、事務所を移ることになった」とか「プロデューサーに解散に追い込まれた」といったことがあるのではないかと想像してしまいます。しかし2012年にNEWSのメンバーが脱退した際のエピソードを見てみると、残った4人が「事務所からは解散を勧められたけど4人でやっていくことに決めた」と語っているのです。たとえ事務所から勧められても「解散しない」という選択肢はありなんだ、と驚きました。そして逆に、解散にいたる場合にはどのような理由があるのか、気になるようになりました。

そんなわけで、今回は元ジャニーズの方たちが書いたいくつもの「アイドル本(タレント本)」から解散・脱退・移籍に至る経緯を抜き出し、その原因を分析、「解散しない」ためにはどういった環境が必要なのかを探っていきたいな〜と思ってます。ただあくまでも本人たちの名を冠した著書にある記述を資料としているため、その真偽や裏事情などについては、私個人が判断できるところではありませんので、ご了承ください。

それでは、実際に資料を見ていきましょう。これだけでかなり長くなってしまっておりますので、全体の傾向などについて先に読みたい場合は後編へとんでいただければ幸いです。

1967年 ジャニーズ

最初のグループ「ジャニーズ」。人気の最盛期にアメリカへわたったものの、そこで発生した事務所との金銭トラブルからメンバーの真家ひろみが脱退を決意、そのまま解散となりました*1。ちなみに真家ひろみも本*2を出しており、ジャニーズ時代の話を書いていますが、解散についての記述はありません。

アメリカでの生活も終わりを告げようとしていたある日の午後……。私は、一人でマー坊(注:ジャニー喜多川氏の兄)宅の応接間に向かって歩いていました。その時です。
「……大変だ。もう、何もかも……」
声が小さいのでよく聞き取れませんでしたが、私にはだいたい察しがつく言葉でした。その声は真家で、その部屋にはあおいも飯野も一緒にいます。
「何を言うんだよ、突然!」
誰かが驚いた声をあげました。私は、胸が破裂しそうに高鳴りました。
(中略)
なぜ、なぜ、こんな時期に……解散なんてことが身にふりかかったのか。
しかし、どんなにみんなが引き留めようと、真家の決意は堅く、解散するということは現実になっていたのです。
仕事の予定が42年の11月までびっしり入っているので、それまでは解散は表明せずにやり通すということを約束して、我々は真家の独断を認めなければいけませんでした。(中谷良,1989年『ジャニーズの逆襲』データハウス,p160-)

1975年 郷ひろみ(移籍)

人気絶頂の中で事務所の移籍を決心したのが郷ひろみ

率直に言おう。仕事に対する考え方が事務所とぼくとでズレが生じてきたってことなんだ。
ぼくはファンの人達に夢を与えるアイドル・スターだ。でも、たんに夢をあたえるというだけでいいのだろうか。自分の人間的な面をふくらまして、ファンとコミュニケートするなかから、ファンの人達とぼくとがいっしょになって夢や喜びをつくっていく。そういう形にならなければ、まもなく壁にぶつかるのではないか。そのためには、もう少し余裕がほしい。自分の考えを基礎にして方針を立て、仕事の見通しをもちながらやっていきたい。そんな願いと不安が重くのしかかるようになってきた。
(中略)
そのときは人気がある。売れている。だが、それで押していっても、すぐ限界はくるような気がする。ぼくが進歩することで、ファンが進歩する。ファンが前進することで、ぼくが前進する。そういうかたちで楽しさや感動のエンターテインメントのかたちになっていない。そういう方向にもっていこうとする姿勢は、事務所にはない。
(中略)
事務所を変わって、精神的に自立する場を確立して、再出発しよう。考えはそういう方向に向かっていった。(郷ひろみ,1980年『たったひとり』小学館,P112-)

1978年 フォーリーブス(解散)

デビュー10年目で解散を決意したのがフォーリーブス。余談ですがメンバーの青山孝は解散直前に結婚し、TVで披露宴が中継された"既婚アイドル"でした。

インタビューのたびに、「解散なんか絶対しません」と言い続けてきた。だがメンバーの年齢を考えるといつまでもアイドルグループのまま歌って踊ることには無理がきていたのもまた事実だった。デビューの頃からのファンはすでに結婚して主婦となっているのも珍しくないほど年齢は上がっていたし、新しく誕生するアイドルに移っていくケースもある、当然コンサート会場の動員力も次第に落ちていった。
ジャニーズ事務所からも相次いでアイドルが登場してくるにつれて、フォーリーブスはだんだん肩身が狭くなる。
(中略)
グループでやっていると互いに甘えがでてくる、自分のやりたいことも仲間のことを考えるとついブレーキを踏んでしまう。(中略)4人のなかにちょっとずつ芽生えた独立心、それが微妙に4つのタイヤのバランスを狂わせるともうクルマは以前のようには走らなくなる」(北公次,1988年『光GENJIへ』データハウス,P167-)

「何歳までマネージメントをしてもらえるのですか」

こう聞かれても、わたしの経験では、「自分の判断で決める」とだけしか答えられません。
ジャニーズ事務所に"定年"はありません。ジャニーさんはけっして「やめなさい」とはいいません。すべて各個人の最終決断に任せているからです。
このままでいいのか……とタレント本人が意識する、または、ジャニーズ事務所の中での自分の位置や将来に関して"非常ベル"が鳴っている、そう感じたときが、やめるかやめないかの境目となるのです。(江木俊夫,1997『ジャニー喜多川さんを知ってますか』ベストセラーズ,P80)

1979年 豊川誕(移籍)

孤児であり、施設出身だったことを強調された売り出し方に疑問を持っていた豊川誕。

先に、売り出し方について自分自身、とても不満だった、と書いた。
それが表面化してしまったのである。
ぼくがジャニーズ事務所で出した最後のシングル・レコード『白い面影」が、事の起こりだった。
「親のない子は
 焼かないパンを喉に詰まらせ
 水を飲む」
(中略)
それまで不満を言いながらもジャニーズ事務所の宣伝をガマンしてきた僕も、この歌を唄い続けることには、どうしても耐えられなかったのだ。
自分自身に嫌気がさした。
ジャニーズ事務所に不信感が芽生えた。
これ以上「豊川誕」を演じることは、僕にとって重荷になっていた。(豊川誕,1975年『ひとりぼっちの旅立ち』,鹿砦社,P99-) 

1988年 シブがき隊(解散)

ぐっと年代が下がったシブがき隊*3。今も活躍している3人はかなりの円満退社だったようです。

徐々にグループの活動が少なくなり、僕たち三人の中に、"解散"という文字が浮かびあがってきた。(中略)レコード会社の人たちとの雑談の中で、"解散"という雰囲気が漂った。誰ひとりとして"解散"という言葉は使わなかったが、誰しも感じていた。(中略)
それからぼくはいろいろ考えた。シブがき隊というのは自分たちの財産でもあるし、武器にもなると思った。ドリフターズみたいに、個々の活動をしながら『ドリフの大爆笑』(フジテレビ系)で年に何回か集まるというスタイルが、ぼくは絶対に好ましいと思った。(中略)
初めて"解散"という言葉を口にしたのも本木だった。僕は、「解散はしないで、ドリフターズみたいなスタイルで……」と主張したが、本木の意志は固かった。布川も悩んでいたが、どちらかと言うと、本木の意見に賛成していた。(中略)
解隊が決まってから、僕の場合は最後まで、ジャニーズ事務所に残るという話はあった。でも、このまま残っても、トシちゃん、マッチがいて、少年隊や男闘呼組もいたし、ちょうど光GENJIの人気が出てきたときだったから、"こういう中で、自分がひとりで残ったとして、どこのポジションに入れるのだろう?"と考えた。(薬丸裕英,1998年『パパははなまる主夫』集英社文庫,P125-)

1989年 川崎麻世

フォーリーブスの後にソロアイドルとして活躍していた川崎麻世。たのきんが出てきてからはアイドルを脱皮し、東宝や四季と舞台に立つなど息の長い活動をしていました。しかし、交際していたカイヤの妊娠が発覚、事務所を辞める決心をします。かなり情報はしぼっていたようで、周囲にも内緒のままアメリカで第一子誕生。結婚していなかったため、帰国時には「川崎麻世、未婚の父に」と話題になったそうです。

「ここまできたら、産むしかない」
アイドルで売る事務所が、未婚の父親を認めるわけにはいかないことは容易に予想できた。
「事務所を辞めさせてください。ここまで大きく育てていただいたにもかかわらず、こんなことになって申し訳ありません。ぼくはもっと成長するために勉強をしにアメリカに行きます」
ジャニーズ事務所に、自分の方から契約を打ち切ってもらうようお願いにあがった。(川崎麻世,1999年『カイヤへ!』マガジンハウス,p29)

1994年 田原俊彦

たのきんトリオとしてジャニーズを支えた田原俊彦は33歳の時にジャニーズ事務所から移籍。

僕は基本的にジャニーズ事務所ティーンエイジャーのための会社であるべきだと、思っている。今も三十代のタレントがいないわけではないし、いろいろな考え方があってもいいとは思うが、あくまでも、僕個人としては30歳をすぎたら事務所にお世話になるべきではないと考えていた。
もし、僕があのまま事務所にのこった場合、どうなっていただろうと考えることがある。現役を引退して後輩を指導したり、管理職的な立場になったりということもあるかもしれないが、そういう考えにはなれなかったのだ。(田原俊彦,2009年「職業=田原俊彦」ロング新書,P100)

1994年 光GENJI(脱退)

光GENJIは1994年に大沢樹生佐藤寛之が脱退、5名で活動を続けるも翌年に解散となっています。

アーティストが年をとっていけば、ファンも年をとっていく。成長していくファンに合わせて、アーティストもまた成長していかなければならない、というのが俺の考えだった。だが信じられないような成功を収めてしまった光GENJIは、いつしか新しい方向を探すのをやめ、かつて成功したパターンを繰り返しているだけになってしまったように俺には見えた。古いファンが光GENJIに関心を失っていっても構わず、小・中学生の新たなファンが寄ってくるのを待ち構えているーー後期の光GENJIの戦略を、オレはそんなふうに受け止めるようになっていった。
だが今にして思えばアイドルが、もしくはアイドルを抱える事務所が、そっちの戦略のほうを選択したとしても、責められるような話ではない。たぶん俺はアイドルになりきれなかったアイドル、光GENJIを演じきれなかった光GENJIなのだろう。
その頃から次第に”脱退”の二文字が、頭の中でちらつくようになった。(中略)
本当にジャニーズ事務所がタレントにやりたいことをさせない、懐の狭い事務所かどうかは、今のジャニーズタレントを見ればわかることだ。つまり俺が事務所を説得する努力を放棄して、一方的にきれてしまったというのが脱退の真相なのかもしれない。(大沢樹生,2008年『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』カンゼン,p75-)

1995年 光GENJI(解散)

94年、光GENJIから大沢と佐藤寛之が抜けて、SUPER5が結成されたが、オレは、自分たちのグループが7人でなければ、「心の体力」がもたないと感じていた。頭ではなく身体がそれを感じ取っていたのだ。(中略)
俺たちはある意味で、アイドル界のトップの座をとってしまった。そうなったら、後は落ちていくしかない。そんな恐怖感を抱いていた。それはたぶん、他のメンバーも感じていたに違いない。このまま走れるわけがない、滑り続けられるわけがない、と。(中略)
俺が(解散コンサートをするかの)即答を避けていたのは、さっきも書いた「あの二人はいらなかった」という(レコード会社の)発言に対しての引っかかりと、解散を思い止まれという声と、解散コンサートをやれという2つの声が同時に聴こえてくることに対する不信感があったからだ。
周りの人は俺をなんとか説得しようとはするけれど、ちゃんと納得させてくれる人は誰もいなかった。おだてるだけで、誰一人、殴ってでも解散を阻止してやるという人はいなかった。(諸星和己,2004年『くそ長〜いプロフィール』主婦と生活社.P117-)

はい、いろいろな解散・脱退・移籍の形がありましたね。読んでいるとなかなか辛い気持ちになってきますが……全体の傾向については、次の記事へ!お願いします!

*1:余談ですが、解散を決意→帰国→アソシエイションがNever My love発売……という流れだったらしい

*2:『ハイ!どうぞ、ジャニーズタクシー奮闘記』

*3:この間もいろいろいましたが、本を出してはいない

ジャニーズアイドルの本から見る解散の歴史(後)

さてそれでは、Before SMAPの解散が一体どのようなものだったのか、考えていきたいと思います。資料については、前回の記事をご参照ください。

  • 解散は常に浮上する

当時の空気としては、解散するのが当然だった。だから、解散は前提として「いつ解散するのか」「何をきっかけに解散するのか」といったところがポイントだったように感じました。人気が落ちてきた、グループ活動が減ってきた……そういった変化があれば、すぐに「解散」という文字が浮かんできていたようです。ただ、元シブがき隊・薬丸裕英の著書を見ると「個人活動を充実させて、年に2〜3回グループ活動を行う」というスタイルもありだったこともわかります。TOKIOも最近「目指す目標はドリフターズ」と発言しておりましたが、個人活動とグループ活動を両立させる、音楽活動もバラエティもドラマ出演もするなど、芸能界にロールモデルのいなかったジャニーズグループにとってドリフターズは心強い先輩だったのかもしれません。

この空気はSMAP以降で大きな転換が行われており、今度は逆に「解散しない」方が主流となりました。最初に触れたNEWSの例のように、また同じくメンバーが4人になっても続けるKAT-TUNのように、たとえ解散の可能性が浮上しても、なるべく解散しない方へ舵を切っているように見えます。今も昔もグループに解散という選択肢が出るのであれば、どちらか迷った時に「解散に向かう方が当然」という空気と、「解散しない方が当然」という空気では結果が違ってくることでしょう。

 

  • 金銭問題

実際に本を出している中には金銭問題でもめた人はあまりいない、どころか「世間的に金銭問題が原因と言われているが実は違う」と否定する人もいるのですが、あまりお金をもらってなかったのは事実のようです。「少年たちに大金を渡してはいけない」という信条があったり、衣食住を面倒見る、プロデュースに金をかける、など別のところにお金をかけていたからというのが理由らしい。ただし何かほしいときは言えば言うだけお金をもらえたそうで、元フォーリーブス北公次は競走馬を買ったりしています。相当なおこづかいです。とても家族的な感覚だったのでしょうが、自由に使えないのはやっぱりつらいだろう……。

 

  • アイドルは子供のもの

「アイドルは子供のものである」という前提も見てとれます。郷ひろみ北公次大沢樹生などの語る心情はどれも共通しており、どんどん大人になるアイドルたちと、事務所側が進めるパフォーマンスのバランスがとれていなかったのではないかと推測できますね。事務所側としても、大人のアイドルを世に出すノウハウがなかったのかもしれません。田原俊彦にいたっては自身も「事務所はティーンエイジャーのための会社であるべきだ」と言っていますし、「アイドルは子供を相手にしたパフォーマンスをするものだ」といった前提が内面化していたのではないかと思われます。

 

  • やりたいことをやれない

「やりたいことをやれない」という葛藤もいくつか語られています。これはけっこう複雑で、前述の「事務所側に大人のアイドルを世に出すノウハウがなかった」こと、豊川誕や大沢樹生が感じていたように「アイドルを演じ(させられ)ていた」こと、郷ひろみのように「忙しすぎて立ち止まる余裕がなかった」こと、いろんな背景が集約されているように思います。
またアイドルの「やりたいこと」と言われると、「本当はロックがやりたいのに俺は……!」といった感じのイメージがあるのですが、それだけではなく、自分たちの人気の下降を肌で感じて危機感を覚える姿が見えます。世間からいい評価を得られていないことや、ファンがどんどん離れていくことに対して、誰もが「年齢によってパフォーマンスを変えていかなければならない」「時代から乗り遅れてはならない」と感じていたと告白しているのです。そして、このまま事務所にいたら成長できない、だめになる、と考え解散や脱退に至ります。これはまるで「この会社はだめだ!」「上司がだめだ!」と言って転職する会社員ではないですか……。*1

あの東山紀之ですら、デビュー5年後くらいには「これからは自分たちで曲を作らなければ」と考え、プロデュースに不満を抱いていたと語っています*2。世間がロックバンドブームの中で、歌って踊る自分たちは時代から取り残されるのではないか、という不安があったのです。その後は結局「時流にはどうしようもなかったが、僕らには僕らのやるべきことがあると思った」「グループが存続する以上、グループのためにもソロ活動を頑張らなければいけないと僕は思った」と気持ちを切り替えています。*3

 

  • 事務所の対応は?

事務所側も何もしていなかったわけではありません。60〜70年代にはいくつか楽器もできるグループを発表、更に80年代後半から90年代にかけては男闘呼組TOKIOといったバンドグループへつながっていきます。近藤真彦や少年隊も、大人の楽曲へシフトさせるなど試行錯誤を行っており、考えられない人しかいなかったわけではなかったのでは……とも思えてきます。

また川崎麻世については、元から「麻世は、武道館をいっぱいにするアーチストでなくて、ひとつひとつの小屋(劇場)を一カ月間満員にさせるようなアーチストになってほしい」「麻世には将来、舞台俳優として成功してほしいのだ」*4と言って、そのための人脈づくりが行われていたそうです。たのきん人気に火がつき”最も輝ける場所”を後輩たちに譲った川崎の心情を心配して、一人暮らしのマンションを用意し、舞台の勉強をしなさいと海外へ送り出したりしていました。大人タレントが育たないこと、後輩に人気を譲ったアイドルがすぐに辞めてしまうことなどについて、実は危機感を抱いていたのかもしれません*5

過去の状況に比べれば、現在はライブハウスでソロライブを行うことも可能ではあるし、小劇場で尖った舞台をやることはむしろ推奨されてるんじゃ?というくらい定期的に行われています。アイドル側が持っている焦燥をある程度受け止めることができるようになったこと、またアイドル側も企画書を会社に提示するなど、社会人としての能力を発揮できるくらい大人になってきている(大人になっても辞めない)、アイドル側の偏差値が上がっていること(高等教育は大事……)で、少しずつ変化しているのではないでしょうか。本人たちがやりたい方向で成功してくれたほうが、メリットであることは間違いないわけですし。

 

解散しないグループでいるためには

では実際にこれまでの解散理由から、逆に「解散しないためにどのような環境が必要か」を考えていきたいと思います。

 

  • 解散しないグループが存在する

これはもう大原則すぎてなんとも言えないですが……「解散しない」という前例があれば、後続はどんどん出てくることがわかっています。ただ最初の1グループになるのが、本当に難しいのだろうと思います。ジャニーズも、設立から20年間は解散し続けたわけですから。現在は解散しなくても働ける、さらに再浮上の可能性もあるとなれば、解散するのは損となります。

 

  • グループ(ジャニーズ)でいることが個人活動を阻害しない

音楽をやりたい、芝居を極めたいといった場合に「ジャニーズ」という肩書やイメージが邪魔であったり、グループの活動によって個人活動に制限が生じたりする場合に脱退のリスク、ひいては解散のリスクが高まります。

自分が好きな分野でなかなか世間から認められない原因を「グループの活動のせいだ」とか「ジャニーズというブランドがじゃまだ」と考えてしまうと、どうしたって脱退や解散が頭をよぎってしまうでしょう。逆に個人活動を充実化させ、自分が認められたい方向で認められた場合、無理してジャニーズを抜けたりグループを解散したりする必要がなくなるのではないでしょうか。また、気持ちに余裕ができると、今度はグループでもっと面白いことをやりたい、と思うようにもなるかもしれません。

って勝手に考えただけなんですが、今のV6やKinKi Kidsを見ているとそこまで間違ってもいない気がします。この仮定が正しいなら、メンバーが個人活動を始めたり成功したりした場合に「脱退か!?解散か!?」と騒ぐ必要はなくなるかもしれませんね。

逆にグループ愛が強くて、グループ活動が少ないことに不満を覚えるタイプもいますが、こういった人はまず解散を主張しないと思います。個人活動を望む人がいるならその希望をたてて、年に2〜3回はコンサート、シングル発売、などで集まるドリフ形式が良いのかも。みんながグループ活動を大事にするタイプならこの項目に関する不安はそこまでないですが、どちらにしても個人活動の充実はアイドルの心の余裕につながると思われます。

 

  • ジャニーズ自体が好きなこと

SMAPや嵐の縦横無尽の活躍、また世間のアイドルブームにより、"アイドルが好きなアイドル""アイドルを極めたいアイドル"も増えてきています。憧れの先輩をファンのように慕う若手ジャニーズがとても多いのです。
またベテラン勢も、他の音楽ジャンルとは違った「エンタテインメント」としてのコンサート構築を楽しんでいるように見えます。それは世間から「エンタテインメント性」がある程度評価されるようになったのも大きいかもしれません。最近はロックバンドの人たちが「ジャニーズはやっぱりすごいな」と言ったりしますもんね。

ちなみに私少年隊も好きなので言ってしまうけど、やっぱり少年隊の存在って大きかったんじゃ……と思っています。Before SMAPで唯一解散していないグループだし*6、何より今のJr.も少年隊のパフォーマンスが好きだとあげる人がけっこういる。特に舞台系の人たちは少年隊の歌を歌い続けているため、Jr.の楽屋に少年隊のアルバムが流れていて、曲を聴いた他のJr.が「かっこいいな」と思って披露したりするわけですよ。嵐だって、VS嵐の前室で少年隊のDVDを見て「かっこいいな」と言っているらしいのです。それまで解散していったジャニーズはつまり、自分たちのパフォーマンスをだんだん「子供向け」と思うようになっていったわけですが、先輩のパフォーマンスをすごいと思っていられたら、状況は変わるのではないでしょうか。ふつうの会社員だって、だめな先輩しか残ってないぜ!と思ったら、転職したくなりますし……。

 

  • 事務所の信頼度

やはり「会社への不信感」が大きな理由となりうるわけですから、大事だと思います。

現状はたぶん給料も良いし、マネジメントもそこそこしっかりしてそうだし、何かアイドルにやりたいことがあった場合実現できるような大きな力を持った事務所……のように見えます。今の所50歳くらいまではなんとか働けそうだし、転職などはあんまり考えないでしょう。

ただし、今後の展開次第ではわかりません。今後何か事務所に変化が起こったとして、物理的に割れたりするよりも、そこでぐだぐだして「だめだこりゃ」って思って離脱することの方があるかもしれない……*7


……全体読むとなんか持ち上げすぎでは、という感じですよね。「解散しないこと」を良いことととらえると、そういうトーンになってしまう。でもまあ言ってしまえば逆に、解散しないことによるデメリットも発生しているだろうなとは思います。たとえば若手がなかなか活躍できないとか、事務所が社員を抱えるコストはどうするとか、ずっとアイドルでいつづけることは本人たちにとってつらいのではないかとか。これはもう、若くして活躍できるけどどんどん転職を重ねて働きたいか、なかなか昇格できないし役割から逃げられないけど定年まで勤めるか、そういった選択の話になってくるのではないでしょうか。
ずっとこのままでいられるわけでもないとは思うのですが、それでも私は、君と好きな人が千年続きますように……*8と祈らずにはいられません。

*1:今回のような自著を出している人はだいたい芸能界を引退せずに働いているわけで、「芸能人であることにつかれた」みたいな理由がないですから、それもまた当たり前なのかもしれませんが

*2:東山紀之,2010年『カワサキ・キッド朝日新聞出版,p146

*3:ちなみに同書では「お金と女性について揉めることがいっさいなかったというのが、グループ長続きの秘訣かもしれない」とも書かれています

*4:川崎麻世,1999年『カイヤへ!』マガジンハウス,p85

*5:単純に川崎麻世がすごくお気に入りだったという線もある

*6:ただしAfter少年隊はいくつかグループが解散しているので、少年隊でわけることはできないと思っています

*7:奥歯にもののはさまったような言い方

*8:千年メドレーも続いてほしい

V6担がJUMP担に紹介してみた。第2回「兄組弟組~V6編~」

24時間TVでV6とHey! Say! JUMPが共演することを祝してJUMP担の千紘さんとはじめたこの企画。第1回を発表してから仕事が忙しくなってほんともうこのあと続かないんじゃないかと思いましたがなんとか続けられてよかったです。今回のテーマは「兄組弟組」です。

・第1回

さて知念さんが「BESTと7、トニセンとカミセンに分かれてる。僕らはV6を意識してできたグループなんだよね」と発言されていたとのことでJUMP担の方もご存知かと思いますが、V6も兄組の20th Century(平均年齢41歳)と弟組のComing Century(平均年齢35歳)に分かれています*1

グループ平均でも6歳離れておりますが、一番年長の坂本昌行さんが1971年生まれ、最年少の岡田准一さんが1980年生まれですので、年齢差は約10歳。デビュー当時は岡田さん14歳、坂本さん24歳!わかりやすく言うと、現在のHey! Say! BESTとデビュー当時のHey! Say! 7が同じグループでデビューした、という感じです。むちゃくちゃだ。

それだけ年齢差があったわけですから、やんちゃ盛り生意気盛りチャラ盛りのカミセンとすでに何度も挫折を味わっているトニセンの間にはだいぶ認識の差、経験の差があった……というのが、JUMPとV6の大きな違いかもしれません。現在30代、40代となったことで差はなくなりましたが、6人でいるところを見ると高校生トニセンお兄ちゃんと園児カミセンみたいな感じのイメージを抱かずにはいられないのです。
カミセンは全員160cm台、トニセンは170cm台と身長にも差があることがまた年齢差のイメージを支えています。年下=ちっちゃい、年上=大きいという刷り込みでグループを見ているV6ファンがJUMPさんを見ると、いったい誰がBESTで誰が7なんだ……!?と混乱してしまうことでしょう。

ともかくトニセンカミセンは「大人」「少年(若者)」の役割分担が強固であり、ユニット活動においても色濃く反映されています。トニセンもカミセンもそれぞれシングルやアルバムを出したり、3人舞台や3人ドラマをやったりしていますが、たとえば青春・成長をテーマにした作品であっても、トニセンは「世の中のしくみに従いながらも自分らしく生きようと足掻く大人」、カミセンは「自分らしく生きるためにはみ出しながらもどこか居場所を探す青年」と別の物語になるのです。

デビュー当時の格差について

昨今何かと話題になる「格差」ですが、V6にも存在していました。CDジャケットでも前面に出ているのはカミセン、シングルのカップリング曲もカミセンのみ、新しくはじまるラジオもカミセン。そもそもトニセンはしばらく名前がついておらず、「アダルトチーム」と呼ばれていたくらいです。扱いに対して井ノ原さんは当時から「なんでだよ!」と思っていたそうですが、上の2人は「そういうものなんだ」「いつか報われる」といった態度だったといいます。しかし最近のラジオや雑誌なんかでは坂本さんが「ほんとによく(トニセンは)ここまで来たと言いたい!」としみじみ話していたり、「当時の見た目は……年上3人で舞祭組やれるね(笑)」と発言していたり、思うところはあったのだろうな〜。

ただ格差とはいっても歌割にすごく差があるわけでもなく*2、ダンスパートの振り分けも衣装の違いも活動の違いもすぐに「ユニットの個性による」といえるようなものになったのではないかと思います。私がファンになった2001年頃になると、すでにジャケット写真にも差は見られなくなっていました。坂本さんが「V6のスタッフは平等が好きだから」と言っているように、意外と配慮されてたのかなと。

20th Century

アダルトチームのお兄さんたち。下積みが(当時にしては)長い人たちでした。そこらへんについては私がたっぷり語っていますので、お時間ある人いたらどうぞ。

20th Centuryという名前は「20世紀」「20代*3」といった意味が込められていたそうですが、デビューから数年で20世紀でも20代でもなくなってしまいました。ちなみに「トニセン」という愛称は、ジャニーさんが「トゥウェニーだから”トニ”でいいじゃない!」とつけてくれたそうです。その後、「Johnny’s 2020 world(ジャニーズトニトニワールド)」なんて舞台をやっていたりするから、実は気に入ってたのだろうかジャニーさん。

トニセン3人は少年隊のバックについていたわけですが、95年にデビューしてからも2000年までプレゾンに出続け、準主役級の役をもらいながら少年隊のバックで踊っていました。そういった背景からかコンサートでもジャニーズ伝統芸をふんだんに盛り込み、MASK芸に縁日のお面を組み込んだりとパロディにしてコントまで行ってしまいます*4

シングル3枚、アルバム3枚、他グループのカップリング曲などで約60曲ほどありますが、だいたいの歌のシチュエーションがやたらリアルな上に身近。同棲してそうなラブソング、仕事に追われる日常、どうにもならない人生だけどもがいてみよう……といった内容が多いです。夜更けの自販機に「お前も大変だな」と話しかけたりするんすよ……*5。あとはR&Bっぽいかっこいい歌もあります。そもそもの声質が大人なんですよね。そんなトニセンの曲、断腸の思いでJUMPファンにすすめるならこれってやつを3曲選んでみました。そしてコラボ感を出すため唐突にJUMP担の千紘さんからも感想をもらいましたのであわせてお届けします。

  • Working man (アルバム『Replay〜Best of 20th Century〜』収録)

イントロで「働け~」と言ってくるこの歌の作詞はトニセン。17年前の曲だけど、個人的にはトニセンの基本イメージが詰まってるなあと思います。「笑い返してやる」って感じがとても良い。

千紘:楽しい曲!こういう曲調JUMPにない感じがするなぁ。わーこの曲好きです!ソロのRapやユニゾンの楽しさは、今BESTがカバーしてもすごくハマりそう。だけどこのトニセン作詞の歌詞は平成生まれには歌えない。あくまで「曲の世界を演じる」に留まってしまうと思います。

  • 逢いに行こう (シングル『オレじゃなきゃ、キミじゃなきゃ』収録)

まっすぐに切なく大人なラブソング。BESTさんもこんな歌をうたうようになるんだろうか……!?

千紘:声が超大人だ!何歳からこんな大人っぽい声になるんですか?

*6 物語は違うけど、Hey!Say!BESTの「スルー」と曲調やラブソング度合いは似てるので聴き比べて欲しい!聴く比べるとBESTの声が子供っぽすぎて歌う恋愛がままごとみたいに思えて来たよ!

  • DANCING MACHINE (V6アルバム『READY?』収録)

トニセンに珍しいパーティーソング。すごく好き。

千紘:何で断腸の思いで選んだ曲なのに説明が1行なのか不明ですが*7オシャレなディスコソングですね。ドライブしながら聴きたいくらい耳に軽くて心地良くてこんな曲うちにも欲しい!歌詞のちょっぴりセクシーな感じがいい、そういう意味でもBESTに欲しいです。健全卒業希望!

Coming Century

カミングセンチュリー、略してカミセン。「来るべき新世紀」という意味を名前にかかげた3人組です。

特徴としては、あまりジャニーズ伝統芸に触れていないところかな?と思っています。剛健はジャニーさん演出舞台に全然立っていないんですよね。岡田さんは一応「MASK」をやっているのですが、Jr.時代が短いためかあまりジャニーズ文化の洗礼にそまっていないように思います。カミセン3人でのパフォーマンスを見ると「ジャニーズぽくないな」と思うことが多いです。圧倒的に華があるんだけど、クラスの真ん中にはいない感じ。

デビュー当初が10代前半・今が30代なかばですのでどんどん成長・変化していますが、トニセンと一緒にいるためか、身長が伸びなかったためか、3分の2の声が高い(剛健)ためか、いつまでも若くてやんちゃ、そしてチャラいイメージがあります。スキンシップが過剰気味で、デビュー直後はお尻を噛み合ったりしていたそうです。子犬のようでほほえましいですね!

単独コンサートももちろん行っています。カミセンのコンサートは、クラブ文化を取り入れてる感じ……たぶん……。むかし千紘さんにちょこっと見せたときには「EXILEみたいやな」と言われました。時代時代で流行のダンスミュージックを追いかけ、どこか少し一般社会からはみ出して生きてる感じの曲が多いです。こちらもアルバム2枚、シングル1枚、ほか多数の楽曲50曲ほどからJUMP担に進めたい3曲選んでみました。

  • SPEEDERS HIGH (アルバム『Best of Coming Century 〜Together〜』収録)

「モラルは焼いてしまえ」とか言い出すスタイリッシュオラオラ曲。初めて聞いたとき、カミセンのギャング感におののいたし、鉄パイプを持って戦っててやばい(その後田中聖が継承)。ちょうど今のJUMPさんたちと同じ20代前後のカミセン代表曲だと思う。

千紘:わ、悪ィイイイイイ!!!!!!ほんとJUMPどころかこういうジャンルがどんどんなくなっていくね。鉄パイプもさることながら「ナックルヘッド」という単語も出て来て……若者のバイク離れが気になってきました。ちょっと映像を拝見したのですが、鉄パイプとヌンチャクの殺陣が印象的でした。

  • Hello-Goodbye (アルバム『Hello-Goodbye』収録)

かわいくさわやかなカミセンも!

千紘:可愛い!楽しい!ほっこりする曲*8。この曲は特にですが、ブイは他の曲もいい意味でアイドルっぽくなくて、アイドル以外の普通の?バンドやボーカルグループが歌ってそうな曲が多い印象。上で紹介したスルーと同じく最新シングルと比較しますがHey!Say!7の「KAZEKAORU」もこういう爽やかな曲です。

  • ファイト (アルバム『Hello-Goodbye』収録)

「みなさんがつらいときにがんばれる曲を作りました」というから聴いたらすごい戦えって言ってくるからカミセンらしいな……と思いました。ぜひ7の「ガンバレッツゴー!」と聴き比べてみてください。

千紘:声がめちゃくちゃ可愛い!!天使か!!声の可愛さ7は負けてるのでは!!本人たちが作る応援ソング*9ってとてもいいですね。アイドルの本分。改めてガンバレッツゴーの歌詞を見ると特に誰も励ましてない…*10。「足枷」とか「都会の波」とか7が歌わなそうな単語。やっぱり生きて来た時代の違いを感じます。

まあそんな感じでした!てか平成生まれアイドルと昭和生まれアイドルってそんなに世の中に感じてるつらさが違うの……!?!?JUMP担のみなさま、ふわふわしてないトニセンカミセンのことよろしくね。

*1:そもそもは光GENJIが「光」と「GENJI」にわかれていたのがはじまりなのでしょうか

*2:長野くんだけずっとシングルのソロパートがなかったらしいですが、私もファンなのに全然気づいてなかった

*3:Century関係なくなってる

*4:ここらへんA.B.C-Zと通じるところがある気がする

*5:これは『夜汽車ライダー』

*6:デビュー前から……

*7:曲紹介慣れてなくてつかれたんだ…ごめん…

*8:意外と歌詞はほっこりしないよ!

*9:正確に言うと、プロデュース的な感じで作ったみたいです

*10:そ、そんなことないよ

V6担がJUMP担に紹介してみた。第1回「呼び名~V6編~」

Hey! Say! JUMPとV6が一緒に24時間TVのパーソナリティーを行うと知って、友達の千紘と連絡を取り合っていたら、千紘「JUMPとV6がコラボするなら私たちもコラボしようよ」私「まじか。やるか」といった感じで互いの好きなグループを紹介していくことになりました。構想からすでに約2カ月経っているところに不安がありますが、せっかくの機会なのでなんとか続けていきたいと思います。

あと、24時間TVが決まった瞬間にTwitterで「Hey! Say! JUMP担の皆様へ」とか「V6ファンの皆様へ」みたいなタグが盛り上がり、苦々しく見る人多数、みたいな図式があったので、こんな記事アップしていいのかよ……という不安もあります*1。でも紹介し合ってると「そうだったんだー!」ってことがたくさんあってすごくたのしかったのできっと面白いよきっと…。

千紘さんの第1回目はこちらです。

第1回のテーマは「呼び名」。こういう紹介記事って、とても昔のファンサイトっぽくてノスタルジーだなあ。

ファンの呼び名

エイター、アラシックといったファンの呼び名、実はV6にはありません。多分ファンに名前をつけよう、となってるのは嵐以下なんじゃないかな……?*2
Twitter上ではブイクラ(V6クラスタ)という呼び名もありますが、これは「V6担」「V6ファン」「V6クラスタ」どれを使う?くらいの違いだから、やっぱり特別な呼び名はないですね。そして特に古参ファンは個人主義者で「ファンの名前でひとくくりにしないでほしい」と思ってる人が多いので、今後も定着しない気がしています。
ちなみに私も昔は「なくていい」と思ってたんですが、最近はせっかく流行ってるんだからつけてくれてもいいのになーと思ってます。

ファン→V6の呼び方

だいたい「ブイ」です!ブイ、V担、Vコン。

コンビ・トリオなど

基本は名前+名前(年齢順)ですが、V6ファンの間で使われているコンビ名がたくさんあります。SMAP、嵐、KAT-TUN関ジャニ∞などでもよく「ロハス」「山」「市ヶ谷」「気まずい」とか使われているのを見ますよね。逆に、JUMPファンの間ではあまりそういう事例はないそうです。自分のTLをさかのぼってみると、そもそもはコンビ曲やバラエティでのエピソードを由来として「●●コンビ」という使い方をされていたものが、2011年ごろから「コンビ」という言葉が省略されていき、ここ2年ほどで一気に定着する流れを確認できました。他のグループの場合はどうなのか、そしてなぜJUMP以下のグループではあまり浸透していないのか、気になりますね。
まあともかくV6の場合はどうなのか、ご紹介していきましょう。正しいとか正しくないとか、”この言葉を使う人は新規”とか話題になることもありますが、個人としては判断がつきませんので、観測できる範囲で見たものをフラットに集めてみます。

 

  • 坂長(さかなが/坂本、長野)

いきなり特別な呼び名でなく恐縮ですが、外せないかなと思いまして、現存する最古のシンメと呼ばれる2名です*3。2人とも実家がお店だったり3人兄弟の末っ子だったり一時期ジャニーズを辞めていたり復帰してから先輩の付き人をつとめたり、なんでか共通点も多いです。
V6を家族に例えたときにお父さんとお母さん、夫婦、などと言われることもありますが、嫌がる人もいます。またツートップと呼ばれることもありましたが、SMAPの木村さん中居さんもツートップ(つとぷ)と呼ばれているので肩身がせまい気がします。長老組、年長組、などもさまざまありつつ、結局坂長って呼ぶのが一番楽かも。

  • 剛健(ごうけん/森田、三宅)

こちらもJr.時代から”剛健コンビ”として大人気だったらしい。”質実剛健”って熟語にもなる2人がずっとコンビってすごくないですか!?森田さんのソロ曲に「質実剛健 常に冒険」という歌詞がありますが、10代の頃の岡田さんが「質実剛健”准”っていれて!」と言ったかわいらしいエピソードもあります。剛健についてはとにかくいい話がたくさんあるので気になったらググってください。個人的にお気に入りな2人の言葉↓

三宅「ベリーベリースイートキャラメルチョコミントファッジな剛と僕」
森田「健は、俺にとって駐車場みたいなもの。俺が何処に行ってても絶対に俺のスペースを開けててくれるの」

  • Go僕(ごーぼく/井ノ原、岡田)

1999年、及び2002年コンサートにて「Go Go 僕たち」というユニットを組んだことから。グループ内にJr.時代のシンメがいない2人でもあります。V6結成当初経験のなかった岡田をかまいたおした井ノ原さん、岡田さんも井ノ原さんを頼りにしてた感じがあって、本当に兄弟っぽい2人です。
先日の日本アカデミー賞では「メンバーから『誇りに思う』とメールを送った」と話す岡田さんでしたが、そのメールをくれたのが何をかくそう井ノ原さんでした。ちなみに坂長も送ったんだけど、戻ってきちゃったんだって……切ない。

  • 恋弾(こいだん/坂本、三宅)

アルバム『musicmind』収録曲「恋と弾丸」を歌った2人。だいたいノリがパパと幼稚園児。先日の雑誌では2人でリボンを巻いた撮影をするのに、坂本さんが「よぉーし!ほーら、健!俺も巻かれちゃうぞ~♪」と発言していたことが裏話として暴露されています。「恋と弾丸」はDVD『musicmind』でも歌ってますので機会があったらぜひ見てほしい!こちらはホストクラブの店長と新人って感じです。

  • 夕ドロ(ゆうどろ/長野、井ノ原)

アルバム『musicmind』収録曲「夕焼けドロップ」を歌った2人。Jr.時代は「なーのくん」「おチビちゃん」と呼び合っていた仲です。普通に仲が良く、Jr.時代は特にあらゆるグループのバックについたり遊びに行ったりずっと一緒に過ごしていたらしい。主に井ノ原さんから「ながのくんあれやって!!」とおねだりが飛ぶことが多く、長野さんの舞台の大阪千秋楽にサプライズで井ノ原さんが現れたことなんかもあります。
ちなみにアルバムmusicmindにはコンビ曲としてもう1つ、森田・岡田の「ずっと僕らは」という曲があったのですが、ずっ僕コンビとは言わないですね。バラード系は呼び名として定着しにくい傾向にあります。

  • 歌うま(うたうま/坂本、井ノ原)

比較的最近に広まった呼称。誰が呼び出したのか、その名の通り歌がうまい2人。歌がうまくないメンバーの気持ちも考えてください!(クソリプ)トニ担の中では付き人コンビと呼ばれることもあります。こちらの由来はトニセンコンサート中の映像コントで、2人が大御所長野様の付き人という設定だったため。
お酒の飲める2人ですので、井ノ原さん成人後はプライベートでよくお酒を飲んだりしていたそうです。デビュー時、リーダーを任された坂本さんが「自信がないから井ノ原にやってもらえないか頼んだ」というエピソードもあります。

  • 新旧(しんきゅう/坂本、岡田)

最年少と最年長の2名、その年の差はほぼ10歳。2008年のコンサート、MC中のじゃんけんで勝った2人が残されてトークする……という流れでこの2名が残ったとき、メンバーが「デジタルとアナログみたいな」といったことを受けた、坂本さんの「これからは新旧で」という言葉が由来。こちらも使われはじめたのが比較的最近、2013年頃から観測されています。ただし、坂本さんを「旧」扱いするのがいやだという人もちらほら見かけます。
この2人もガチで保護者と子供だった時代がありまして、学校→事務所→坂本さん経由で岡田さんが高校に遅刻気味であると連絡がいき、坂本さんがMステのリハか何かの時に岡田さんを呼び出し「1回休んだら1回ひっぱたくからな」と言ったんですって……すごい時代……。

  • オバドラ(おばどら/長野、森田)

アルバム『Volume6』収録の「Over Drive」というコンビ曲から。オバさんとドラ息子の略ではない。2002~3年頃から一部ファンサイトなどで「Over Driveコンビ」「オバドラコンビ」という使われ方をしていたので、呼び名の中ではけっこう古参かもしれません。
この2人は同じフットサルチームに所属していたことがあり、意外とつながりがあります。鋭い空気をまとう森田さんですが、オバドラでいるときはめちゃくちゃやわらかく、ファンから「平和……」「尊い……」と拝まれていることが多いコンビです。森田さんはロケに祖母の手作りベビーカステラを持参するようなおばあちゃん子であり、長野さんのことを「ババア!」と呼ぶので、まさか本気でおばあちゃんと思ってないよね?とちょっと不安です。

  • 本番ボーイズ(ほんばんぼーいず/井ノ原、森田)

クロバットのリハを行わず、本番だけで乗り切ろうとする2人。2003年Darlingで壁宙を披露する際に「俺たち本番ボーイズだから!」と言っていたことが語源です。その後のコンサートのペアアクロでも「本番ボーイズ」を自称していたのがこの井ノ原森田コンビでした。とにかく2人が組むとおちゃらけがひどく、下ネタにも積極的です。

学校へ行こう!MAX」V6の夏休み’08において、夜の学校での肝試しロケの際怖がりすぎてモニターを見る森田さんから「バカ兄弟だ!バカ兄弟!」と呼ばれていた2人。こちらもとにかくおふざけがすぎるコンビですが、本番ボーイズよりも三宅さんが井ノ原さんに甘えている図式。

  • アンリミ(あんりみ/坂本、森田、三宅)

アルバム『∞ INFINITY〜LOVE&LIFE』収録「UNLIMITED」を歌っていた3人。コンサートで現れたときは、身長差や声の違いも相まって見た目が親子すぎて騒然となりました。
同じアルバムに長野・井ノ原・岡田の「君に会えない日も」という曲もあるのですが、こちらは特にトリオ名で呼ばれたりはしていないんですよね。やはり、バラード系は呼び名になりにくいのか。

  • 井ノ原組(いのはらぐみ/井ノ原、森田、三宅)

「学校へいこう!MAX」V6の夏休み'05のエンディングで「井ノ原組 組長 井ノ原快彦」「井ノ原組 若頭 森田剛」とテロップが流れたことから「井ノ原組」という言葉が発生。そこへ、いつの間にか三宅さんも加わって「井ノ原組」と称されるようになりました。「本番ボーイズ」+「バカ兄弟」ですのでまあどんなトリオとなるかは……わかりますよね?


JUMP担が一番わからないのはV6担のなかで使われている呼び名かなあと思いご紹介してきましたが、もちろん変わった呼び名がなくともそれぞれ素敵な組み合わせです。V6は「学校へ行こう!」「VVV6」、そして今やっている「アメージパング!」(やってるんですよ実は!)といったレギュラーのバラエティ番組において、大体コンビで行動していたので、どの組み合わせでもまんべんなくエピソードがあったり、かわいさが知られていたりします。ぜひ24時間TVでも注目してみてください!

おまけ よくある質問

Q:まーくんって誰のこと?まーくんさんって何なの?
A:坂本昌行さんのことです。まーくんさんというのは、”さかなクンさん”みたいなものじゃないかな、多分。

Q:ロシ担って誰のこと?
A:長野博担のことです。なんとなく語感が良いのでつかってます。舞台『フォーティンブラス』のカーテンコールでロシーって言われてたこととは関係……ない?

Q:よっちゃん、よしくん、よったんとか見るけどそんな人いたっけ?
A:みんな大好きイノッチは井ノ原快彦(いのはらよしひこ)っていうんだよ!

Q:なんで森田剛のこと剛つんって呼ぶの?
A:ファンになってみたらわかるよ!あと健ちゃんが呼んでたからだよ!

Q:三宅健担がときどきつけてる「卍」って?
A:少林寺拳法をやってた健ちゃんが自分の名前を書く時「健卍」「KEN卍」(バリエーションあり)って書いてるためです。

Q:ジュンピーって誰のこと?
A:日本アカデミー賞俳優岡田准一のことだよ!塚本高史さんがそう呼んでるらしく広まりました。

*1:あれは内容のアレさもあったと思うけど

*2:KinKi担の"図書委員"もTwitterでの流行でしたし

*3:ここそう呼んでいいのかちょっと疑問もあります

V6新曲「Timeless」のフォーメーションがたぶんすごい

V6の新曲「Timeless」のダンスとフォーメーションがすごい、と思う。

といっても私は素人だから専門的なところはわからないしそもそもほんとにすごいのかもわからないのですが(弱気)、すごいと感じたポイントをきちんと残しておきたいなと思ったので書いときます。

アイドルのダンスとフォーメーション

どこが一番良いと思ったかというと、やはりフォーメーションです。このフォーメーションという代物は、男女問わず昨今のアイドルダンスを語る上でひとつのキーワードになっているように思います。一番わかりやすいところでは、モーニング娘。さんでしょうか。あとはHey! Say! JUMPもよくフォーメーションダンスが話題になっていますね。
V6も昔から「フォーメーションが細かい」「くるくる変わるフォーメーション」等と動きについて言及されることが多かったのですが、これは「立ち位置移動」とか「歌う人をどう強調するか」に近い意味だったのではないかと思います。わかりやすいのは「サンダーバード -your voice-」あたりで、Aメロ〜はワンフレーズずつ2人ずつ×3でせり出してきて、Bメロは坂本さんを真ん中に囲んで5人が周りを踊って……と歌う人をどう見せるかを主軸に置いた、立ち位置の移り変わりが激しいものを”フォーメーションがすごい”と言っていました。トニセン・カミセンとグループ内ユニットにわかれていたり、アクロバットを盛んに取り入れたりしていたことで、フォーメーションに力を入れる振り付けになっていったのかな。
一方、モーニング娘。Hey! Say! JUMPのフォーメーションというのは人数を生かしたマスゲーム的な群舞を指していて、全員がひとつのかたまりになって動いたり、少しずつ列がずれて陣形ができたり、その動きのそろいようを楽しむフォーメーションです。EXILEとかも実はこれに近いのかもしれません。こういった群舞は派手だし華やかだし、誰が見ても「すごい!」とわかるものだから、「V6はフォーメーションがいいとか言われてたけどこんなのに勝てないわ……フォーメーション王の座は譲るわ……」と打ちひしがれたものです。
さらに最近はA.B.C-Zもアクロバットを駆使しながらワンカメショーを行っており、これもフォーメーションをひとつ極めた形だよな〜と思っておりました。V6も初期はアクロバットを多用していたものですが、最近は「A.B.C-Zがやるからいいでしょ(笑)」的な言葉も出てきており、そうですよね……平均年齢38歳だもんね……と少しだけ寂しく思っていたのです。
……いやちょっと盛ってるんでここまで深く考えてはいなかったし別のグループと勝ち負けを競う気もないんですけど、いわゆる「フォーメーションダンスを得意とするアイドル」が多くいる中で、この先V6が表してくれるものってなんなんだろうな〜とぼんやり考えてはいました。だってJ-FRIENDS時代なんて、「TOKIOはバンド、KinKi Kidsは歌、V6はダンス、そしてSMAPは別格!」ってすごくシンプルだったわけですし。

幾何学模様的フォーメーション

で、やっと新曲「Timeless」の話題に戻ってくるわけですが。先日「魁!音楽の時間」という歌番組で披露されたこの曲のダンスフォーメーションがすごかった。数がいないと難しいマスゲーム的な群舞とも、立ち位置重視のダンスフォーメーションとも違った。1秒と同じところにとどまらない複雑な動線で、個々人の動きは少しずつ違うのに、スピログラフで幾何学模様を描くように、全体の動きが設計された美しさがありました。そろえた陣形ではなく、流れるようになめらかにどんどん6人の動きが表情を変えていく様子、何度見ても飽きなくて……。
V6って年齢差があってそれぞれバックグラウンドが違うから、めちゃくちゃにそろったダンスというわけではないんですよ。みんなうまいから踊ってるときの印象としてはまとまりがあるんだけど、一時停止してみたら全員違うポーズになってる!みたいなこともよくあります。そろった群舞はなかなか難しいだろうな〜と思っていたので、こんな手があったか、と驚いたんです。

ちなみに好きなところ↓

  • 森田さんがソロパート歌って踊りながら横移動するときに、どんどん振りが後ろの5人に伝播してくところ
  • 岡田ソロ後に手をはらはらとするところ
  • 長野・三宅・坂本と井ノ原・森田・岡田が対角から斜めに合流してくるところ
  • 6人横並びで交互に横に入り込んでいくところ(どう表現したら……)
  • 「肩を並べて歩く日々が〜」で肩を並べて歩くところ

いやー全然伝わる気がしない。絵とかかけたらね……と今ほど思ったことはありません。

曲線的な振りと動線

こういう入り組んだフォーメーションって、ジャニーズ舞台でおなじみのトラヴィス・ペイン氏振り付けにも近い気がするのですが、あれも大人数を想定している上に、ジャニーズのダンス見せ場って鋭い曲が多いからか、かなり直線的なんですよね。今回のV6「Timeless」はミディアムバラードにがっつりフォーメーションつけているので、振り自体も動線も曲線的になっている部分が多い。円からはじまるところが象徴的です。しかもV6ってあの歳でみんなすらっとしている二次元体型集団なので曲線的な動きも映えるんですよ!
さらに言えば、そもそもの振り付け自体がもうめちゃくちゃ細かい。動きが細かすぎる。それを力入りきらずさらっと、しかしキレキレ優雅に踊っているV6、かなり高いレベルにいる……(気がする)*1。ここ数年、特にs**t kingzさん振り付け曲に顕著な立体的フォーメーションをコンサート等で披露し、世界観をつくりこんだ演出を行ってきた成果がシングル曲へ存分に注がれていることに胸がいっぱいになりました。ちなみに今回もs**t kingzメンバーのkazukiさんが振り付けてくれたそうです。

 

アイドルグループの”フォーメーションダンス”に新しい方向性を示し*2、曲線的な動線を取り入れたV6。もうすぐ20周年をむかえようとしているのに、また新たなパフォーマンスの扉を開けることができるんだ……と、ファンとしても驚くやら嬉しいやらです。*3

ああもう、自分の語彙のなさ&どんなに語っても動画を張れないところが口惜しい……。一応公式サイトでPVを使用したスポット映像はアップされています。なんか特殊カメラで踊るV6が増えていく映像のため、フォーメーションの良さがよくわからないつくりに……いや、これはこれでかっこいいしフルで見たらちゃんと映ってるのかもしれないんですけど。とりあえずまだ歌番組が残ってるのでぜひ周りの人にも見てねって言いたいなー!

*1:といっても他のアイドルのことをそれほど知っているわけではないので、「そんなのうちもありますし?」と言われると謝ることしかできない

*2:ダンス界のことはわからないので、こういったダンスがたくさんあるのかもしれないんですが、よそのかっこいいものをどれだけうまく輸入できるかがアイドルの面白いところのひとつだと思うので

*3:ただ、今後もシングルがバラードだらけになるのは微妙だよ〜

2014年参戦ステージ記録

2015年も4ヶ月すぎて今更だけど出すの忘れてたから……。

今までの。
2008年 
2009年 
2010年
2011年 
2012年
2013年

2014年の半券は全部で30枚。

  • その他:4(ミュージカル×3、その他×1)

ステージの種類で言うと

  • コンサート・ライブ:10 
  • 舞台:20(ミュージカル×15、ストレートプレイ×4、バレエ×1)

一番行った会場は青山劇場(8回)でした。東京ドーム(5回)、Bunkamuraシアターコクーン(2回)が続きます。一番リピったのは、「ON THE TOWN」(7回)。ほかリピったのは「ガムシャラ Sexy 夏祭り!!」(2回)のみという…。どう考えてもON THE TOWNに行きすぎた。青山劇場も、最後だったから…(言い訳)。ただでさえ劇中で「ニューヨークニューヨーク〜♪」が繰り返されるのに、さらに通ったから、まったく同じ1日が繰り返されるようで途中恐怖を感じましたわ。

ジャニーズ以外の公演が減っている点は、大いに反省すべしと思っております。もっといろいろ見なきゃだなーと思いつつ、ジャニーズだけでもすごい数やってるので手がまわらないということもある。


以下一覧

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