【ジャニヲタ怖い話】烏骨鶏と博の神隠し

8月22日、一人の人間が忽然と姿を消しました。彼は、約13時間後、何事もなかったかのように我々の前に現れました……。

今回は、晩夏にふさわしい、怖い話をお届けしましょう。

 

その日、私はお菓子やジュースを買い込んで、TVの前にスタンバイしていました。待ちに待った「24時間テレビ」放映日。今年のメインパーソナリティーはV6とHey! Say! JUMP、初の二世代パーソナリティーという触れ込みであり、総勢15名が毎日入れ替わりTVに出て、気合は十分だったのです。V6はデビュー20周年を目前にしたベテラン、Hey! Say! JUMPは全員が平成生まれの若者達。18時半からのOPは15名で歌う「WAになっておどろう」で飾られ、24時間彼らの華々しい活躍が見られると思っていました。そう、このときまでは……。

異変が起きたのは、20時半頃でした。「長野(博)くんがいない……」Twitter上にちらほらと見えるつぶやき。驚いて確認してみると、確かにいない。しかし、24時間もあるのです。途中で人が入れ替わり、少しずつ休憩をとっているのだろう。そのときはそう思っていました。
スペシャルドラマがはじまった21時半ごろより、現地の観覧終了組からのレポートが少しずつ入り始めるようになました。ドラマに切り替わる際に、V6とHey! Say! JUMPのミニライブがあったこと、そこに長野博の姿はなかったこと*1、ロケに行っていると説明があったこと。
今から、ロケ……?私は、いやな予感がしました。ドラマが終われば、お待ちかねのコーナーが待っています。「3世代ジャニーズ 真夏の生男子会しやがれ」と題されたトークコーナーでは、メインパーソナリティーの15名に加えて、天下のアイドル・嵐が参加することになっています。ジャニヲタが一番楽しみにしているコーナーといっても過言ではありません。いやだな〜、こわいな〜……そう思いながらも、ジャニーズ事務所に所属するグループが3つも集まるんだから、帰ってくるだろう、たかをくくっていました。

 

……懸命な読者の皆様にはもうおわかりでしょう。トークコーナーがはじまっても、長野博は、姿を消したままだったのです。「明日の中継のために用意しなきゃいけないんで、どうしても来れなかったらしいんだよ。まあ、本当かはわからないけど……」坂本昌行が説明をすると、自分の口から悲鳴が漏れるのがわかりました。ま、まさか……こんな、ジャニヲタ的に一番大切なコーナーに出ないなんて、そんなことがあっていいはずない……。

事前の情報によると、長野の担当しているコーナーは「イルカと泳ぎたい少女の夢を叶える」というもの。もしかして、イルカの島に向かっているんじゃ……?でもなんで抜けなければならないのか……?メインパーソナリティーなのに明日の朝までTVに出ないということ……?そんな気持ちを抱えながら、TVの中で繰り広げられる、3グループの楽しいトーク。ローションマット上で踊る深夜の見本のようなコーナー。極め付けは19人の心をひとつにして「WAになってアイスを食べる」世界記録に挑戦。そのどこにも長野博の姿はありません。もしかして、長野博って、我々の見ていた共同幻想だったのでは……?Twitter上の長野博担もまた、ひとりひとりと姿を消していき、静寂が訪れようとしていました。

 

忽然と姿を消した長野博……その行方が分かったのは、早朝5時ごろ。

 

TVの中には、石川県金沢市の竹林に佇む長野博の姿がありました。「とても風情のある、風通しのいい竹林なんですけれども!」にこやかに話す長野博。薄暗い竹林、白装束にも見えるような白つなぎに身を包んだ長野博の足元にはおびただしい数の白い物体がうごめいていました。「ヒッ……」私は思わず声を上げてしまいました。

 

「約2万羽の烏骨鶏が飼育されてるんですね〜!」

 

企業のコールセンターなどでは、話す人の笑顔がわかるような声を「笑声」と呼ぶのだといいます。長野博は間違いなく「笑声」を駆使しながら、TVの前の我々に向かって近づいてきます。
そのまま烏骨鶏の鶏舎に入った長野博は、生みたての卵を手に取り、「今温めてたのかな〜?これね〜?あ〜ごめんねごめんね!」と烏骨鶏に優しく話しかけつつ卵を強奪。ごはんにかけて食べ始めたのです……!

「黄身がまとわりつくような濃さで、おしょうゆも、うまみあるんですけど甘くて、素材を、じゃましないという!」

薄暗い竹林で行われる烏骨鶏レポ。中継時間、およそ10分。まるでそれは、神域からのメッセージのようでした。そしてまた長野博は消えました。

彼が再び現世*2に姿をあらわしたのは、それから約4時間後の、9時14分でした。

 

22日の20時15分ごろから、23日の9時14分ごろまで、約13時間に及ぶ神隠し。長野博は24時間中*3の13時間、神に隠されていました。

 

「楽しそうにしている姿を見れてよかったじゃないか」
「きっと卵かけごはんを食べたかったんだ」
「ロケに協力してくれる人にも感謝」
「裏で移動するなんて大変じゃないか」
「事前番組から約40時間も働いているのだから、おいしいものを食べられてよかった」

私の脳内ジャニヲタ大奥(長年ジャニヲタをやっていると、誰かが言いだしそうな意見がすぐに想像できるのです)でも、様々な意見が渦巻いていました。しかし、「しやがれの男子会に参加する自担の姿が見たかった」それがすべてだと言わざるを得ません。本人がどんなに TKG(卵かけごはん)を堪能していようが、見たかったものは見たかった。番組編成を、もっとなんとかしてくれていれば……自担がTVから消える恐怖を体験しなくてよかったのかもしれない……。

ちなみに、長野博がメインで担当した「イルカと泳ぎたい少女の夢を叶える」はすでに収録済だったため、武道館で映像を見るという形式でした。このロケ自体は素晴らしいものであり、さらに子供達とのSTOMPや2グループのメドレーライブ披露、どれも素敵な企画で、それだけに、この恐怖体験だけが我々に大きなトラウマを残しました。

 

これが、24時間テレビで起こったおそろしい神隠しの顛末です。自分には関係ないって?いやいや、お気をつけください。あなたの自担のすぐそばにも、別の世界は広がっているのですから……。

*1:和太鼓の途中から消えたらしい

*2:日本武道館

*3:正確に言うと、24時間テレビって27時間くらいやってるんですが

V6担がJUMP担に聞いてみた

24時間TVもうすぐおわる……ということで、V6担×JUMP担のコラボ企画もかけこみで最後更新をします。最後は「V6担がJUMP担に聞いてみたいこと」といったテーマで、いろいろ話を伺いました。しかし、3カ月くらい前に聞いたのをここまで寝かせており……発表当時の感想ということでね……。 しかもこれ、ファンから見たグループの動向となっており、読み返すとお前誰だよ感しかない……。でもせっかく聞いたし、むちゃくちゃ面白かったので、ま〜あくまでいちファンが聞いた、いちファンの目線から見たHey! Say! JUMPの話ということでおさめていただければ……。

Hey! Say! JUMPファンの印象とは 

ーー千紘さんからみて、今のJUMP担ってどんな人が多く見えますか?

まず、ここ1年くらいで、FC会員が4万人くらい増えているんですね。本当にここ1〜2年くらいで増えてるから、「今のJUMP担はこうです」と言うことが難しい。

最初の方はつなぎをきて、イッピ袋*1と4連うちわ*2を持った、ファンサ厨*3みたいな子が多かったのかなと思うんですが(笑)。去年のドームコンサートで、知念くんが客席をみて「みんな大人になったよね」と言ったんですよ。その言葉の通り、JUMPがデビューして7年、ファンもいま大人になってきている。JUMP本人たちがすごくまじめなグループだと思うので、ファンもまじめであろうとする、わりと熱い気質になっている気はします。担タレ*4なところはありますね。

 

ーー学級会*5はよくあるんですか?

よく見ますね。マナー破るのやめようよみたいな。

 

ーーFCから「僕たちの通っている学校の前で待つのはやめてね」とお知らせがきたりもしていましたよね

そうですね……裏ではあるのかもしれないけど、今は表立ってはいないと思う。JUMPがデビューしてから7年だから、まだファンの年齢は若いけど、ファン歴が長くなってくると落ち着きますよね。学級会が多いと言いながら「相場理解」や「早売り」という言葉、そして放送中にもリアルタイムでアップされる動画がJUMP担の私のTLには頻出しているので(笑)、正義感があるとかっていうよりも、JUMPを愛することに対して真面目で素直で熱いというか……。

 

ーー担降りしていく子もけっこういるんですか?

めっちゃいましたね。2012年くらいが多かったかな。当時流行っていたインタビューズなどで、「なぜ皆JUMPから担降りしていくと思いますか?」って質問が飛び交っているのをよく見かけました。デビューした頃についたファンが飽きて、SexyZone、ジャニーズJr.などの降り先が育ってきた感じはあったんじゃないかな。

あとは、JUMPの活躍を期待して楽しみに待っていたのに一向にTVに出なくて、「見るものジャニワ(舞台『Johnny’s world』2012年11月~2013年1月)しかねーな」みたいな(笑)。ファンの心も離れていくくらい、JUMPに新しい仕事があまり来ない時期だったように思います。

Jr.時代やデビュー直後からファンになると、メンバーの成長スピードが楽しいんですよ。全てが目新しくて、目に見えて成長を楽しめる。でも5年も経つと、「急激にできていく」ことがなくなっていく寂しさがありましたね。綱渡り*6とかできるようになってもな〜と思ったり(笑)

 

ーーある意味空白の期間と。一体どのようなものだったのですか?

JUMPがデビュー直後の華やかな道を逸れ始めたのは、2009年、NYC*7がデビューする頃ですね。JUMPの活動がすごく減っていて、1年半シングルが出なかったりとか……。そのときはコンサートをひたすらやっていました。

 

ーーその時期のJUMPとファンはどんな感じだったんですか?

SUMMARYを2010年、2011年と続けていて、箱庭感が醸成されていました。コンサートツアーではJr.もバックにつかなくなっていって、JUMPだけの現場が増えていく中で、メンバーの絆の深まりも感じたし、狭い箱でファンだけが愛でるみたいな状態(笑)。ファンだけがJUMPを楽しめる、ほんとにお得意様だけのせまい空間にいく感覚が高まりました。

JUMPも毎日舞台に立ってるからだんだんダンスが揃っていったり、いま振り返ると下積み時代みたいでしたね。活動内容がJr.みたいな現場ばっかりだったかもしれない。

 

ーーファンから見て、その時期が今に生きているように思いますか?

やっぱりその時期の前までは、Hey! Say! JUMPの良さがなんですかというのが、なかったし……。今は、メンバーほぼみんな口をそろえて「仲の良さとダンスです」と言える。ダンスという大きな武器ができたのはすごい価値があったんじゃないかなと思っています。

 

ーージャニワとかSUMMARYとか、ジャニーズの伝統的なものに関わることの高まりは、ファンにはなかったんですか?

ジャニーズ伝統への高まりはあんまりないかな(笑)。SUMMARYはダンスを手に入れたことではすごく良かったけど、やっぱりファン的には「どこに向かってるんだ」って気持ちがすごく大きかった公演でもあって。NYCとかキスマイとかがTVに出てるときに、犬の芸を見せるとか、おじさんと空中ブランコをするとか、綱渡りを逆から歩くとか、それできるようになってどうなんの!?みたいな(笑)。初日を観に行った時も「こんな演目に何のメリットが……」と思ったんだけど、最後のあいさつでメンバーが次々泣き出して。練習が大変でプレッシャーが大きかったから、本番が終わってほっとして泣いてしまったみたいなんだけど、その時に、成果物とか結果だけじゃなくて「がんばってる姿」を愛する、それこそがアイドルファンの醍醐味なのかな、と思わせられました。

Hey! Say! JUMPの時代が来ている

ーーJUMPファンにとっての、先輩グループってどんな印象ですか?

デビューのときはからんだりしてたけど、その後先輩グループとの交流が少なくなっていったと本人たちも雑誌で言っていました。ドラマでの先輩との共演は『左目探偵EYE』『オルトロスの犬』『任侠ヘルパー』『37歳で医者になった僕』など、ちょこちょことあったのですが、2013年以降急激に増えていきました。24時間TVのドラマ(『今日の日はさようなら』)に嵐の大野(智)くんと山ちゃん(山田涼介)が出たりとか、(中島)裕翔がニノ(二宮和也)のドラマ(『弱くても勝てます』2014年)に出たり。最近は多いんですけど、今までほんとに先輩グループと関わってこなかったので、エピソードはこれからどんどん増えるかもしれませんね。

私がJUMPオンリーファンをフォローしてることが多いからか、この辺りの事情に詳しくなくて申し訳ないです…。ただ最近だとやっぱり嵐からJUMPに来る人は多い気がします。単純に嵐ファンの母数が多いっていう話かも。

 

ーーJUMPファンは、V6のこと知ってるんでしょうか……

メンバーの名前は知ってるでしょ(笑)。かけもちの方もいらっしゃると思いますが、24時間TV発表のときも、反応するほど詳しくないという人が多かったのかな、と思いました。それよりも、JUMPが24時間TV!?という驚きに 埋め尽くされていたので。光くんのファンの人は、光くんがやたら岡田くんと共演したいって言ってたから、よかったねという話にはなっていました。

 

ーー24時間TVはないと思ってた?

そうですね。もう!?みたいな。くるかな〜とさえ言ってなかった気がする。

 

ーーJUMPって、今きてるような気がするけど、ファン的にはどうなんです?

きてると思ってます。

 

ーーいつから?

2013年あたりから、先輩のバーターを中心にテレビの仕事を極端にいただくようになり……。わかりやすい例を出すと、2014年って、Hey! Say! JUMPの9人全員がドラマに出たんですよ。それって、マネジメント側がやろうと思わないとできないんじゃないかなと。全員出そうっていう目標がないと、なかなかね、できないことだと思うし。

そのころやっぱり楽曲にも恵まれて、Come on a my Houseに始まり、ウィークエンダーなど、ネットのジャニヲタの心をつかむ曲を出し、いろんなものがうまくまわりだしたんじゃないかなと。一般的な波は少しずつしかきてないだろうけど、ジャニヲタの中での存在感が増してきていると思いました。山田くんも2014年を「息をしていた1年」と表現してたんです(笑)。

ファンが持っていた、運営への不信感 

ーーJUMPはいろいろ自分たちでお仕事に関わったりしているんですか?

JUMPが最初に出たアルバムにはみんな関わっていて、光くんでいえば、1曲作詞、1曲Rap詞の作詞、1曲作詞作曲、と一番積極的に関わっていました。他のメンバーも作詞や編曲に関わったりと、みんな何か役割を持って、タンバリンってクレジットに名前が乗るメンバーもいたり(笑)。良く言えば「本人たちにやらせてる」だけど、大人はちゃんと考えてくれてるのかなぁと思うこともありました。

びっくりしたのは、コンサートMC時に山田くんが「これ本当に深い意味はないんですけど、今から言う3曲の中で一番好きな曲に拍手してください!何に使うとかじゃないんですが!」と言ってきたことがあって。何だったのかなと思ったら、割とすぐ新曲のカップリングが決定!拍手が大きい曲だったっていう(笑)。それくらい、ファンと一緒にHey! Say! JUMPをつくっていく、地下アイドルみたいな感じがありました。逆に言うと、大人がプロデュースしてくれてないんじゃないかという不信感もあった。

そう、運営に対する不信感は強くて、例えばSUMMARY2011では、その日の幕があかないと光くんが出演しているかどうかわからなかったんですよ。ドラマの撮影とダブルブッキングになっていた。

 

ーーそれは怖すぎる……。モンペ*8も多い?

多いですね(笑)。今は環境が良くなってそう思うことはほとんどなくなりましたが、これまでは、大人がちゃんとやってくれないという意識が強かったなぁSUMMARY2011の一件にしても、大人がちゃんとスケジューリングしなかったのに、あとあと雑誌とかで光くん本人が「全部出たかった」「僕のファンには土下座して謝りたい」「何でもやってあげたい」とか言っていると、「くそ運営〜〜!!なんで本人に謝らせるの?私たちが守らなきゃ!!」って、学級委員総会(笑)。

 

ーーなんでそんなことに……

大人の方にも言い分はあって、JUMPがあまりにも何も言わなかったと思うんですよ。2012年春にアジアコンサートをやるはずだったのが、延期や中止が相次いで、ある公演なんかは、1週間前に中止になったことがあって。メンバーはリハ中に呼ばれて「今度のツアーなんだけど、やらないことになったから」「じゃ、リハに戻って〜」と言われて、誰一人その場を動かなくて「なんでなんですか!」と説明を求めたらしいんです。それが、言うことを素直に聞いていただけのJUMPが、初めてちゃんと大人と話した、というエピソード。

今までJUMPって中学生もいて、今まで言われたことに「はい」と言うだけだったんじゃないかな、大人も、JUMPが何言っても「はい」って言うから、最低限の説明でいいというイメージがついていたんじゃないかなと、雑誌で語られていました

 

ーーでもそれはファンも怒りますよね

でも、ファンがよりいっそうかわいいって思うために、自分たちのストーリーを思い描いてたところもあったんじゃないかな。そうやって運営のせいにすることが、より本人を守ってあげたい、尊いって思うためのエッセンスみたいな。

 

ーー急にシビア!JUMPさんたちはそのエピソードをきっかけに変わったように感じますか?

関わり方が変わって来たとは思います。でも最初の内は、ペンライトも暗い部屋で光り方を見て皆で決めました!とか(笑)。わかってない部分はあるのかもしれないですよね。説明がなくて丸投げ状態だった以前とは違うんだろうなとは感じています。

コンサートの構成は、光くんは初期から任されていたのですが、最近は山田くんと二人で軸を作っています。山田くんは今回のツアーから衣装にも関わっていますね。

今は、マネージャーさんとこんなことした!っていうエピソードもかなり頻繁に出て来るようになりましたし、おい運営~!と思うことはほぼありません。これは地下アイドル時代のお話ということで……。

JUMPの変遷

ーー最近10代の男性タレントがブレイクしづらい気がするけどどうです?

それを私に聞かれてもなかなか答えは出ないと思いますが(笑)。個人的な考えで言えば、環境の問題として、嵐の一極集中みたいなところはあるんじゃないかなあ。若い子が若いグループではなく、30代のグループを好きになる選択肢も増えて。あと、若い女の子たちが、10代の女子アイドルにもいってるんじゃないかと、個人的には思ったりもします。

 

ーー山田涼介くんは若手俳優の中でも主演の数など頭一つ抜けてたのかなあと 

JUMPのセンターとして、ドラマ回数も多いですよね。ただバンバン出てるわけではないかなと思います。年に1回くらいかな。

 

ーーJUMPの恋愛事情に対するファンの反応とかって

JUMPは下ネタとかも今までほぼほぼ言わなかったので、ファンも処女崇拝みたいなところがあったかもしれません、処女崇拝というか、少女漫画の王子様というか。男性ファンが女性ファンに求めるものに似ているな、と女子アイドルが好きな私は思っていました。最近は、伊野尾くんが下ネタとか、そういうことを妄想させるようなギリギリの発言をするようになってきましたけどね。山田くんも貞操観念が強くて、ファンも全員本気でJUMPに恋してると思ってるような発言をしていて、山田くんがファンに求めてる分、ファンも山田くんに求めてるんじゃないかなと思うから、もしエースの山田くんに何かあったら大変なことになると思いますね……。

 

ーーコンサートの変遷などについてはいかがですか?

最初の方はすごくテーマを大切にしていたかな。2008〜2009年にやってたコンサートだと、TV番組という設定で、「"ジャンステ"という架空の番組の収録がはじまりま〜す!」というOPで、途中「中継でーす!」とコーナーが始まったり。そのあとも「JUMP天国」ってタイトルのRPG風コンサートで、ひとりひとり武器があって、光の国を目指すんですよ。最後に竜に乗って、Jr.と戦いながら光の水を取り戻す……。

 

ーーメルヘンダナ〜

他にも、今流行ってるものはなんだ、中学生のメンバーが「くまが流行っている」と言いだして、でっかいくまを追いかけていたら人形の国?おもちゃの国?に迷い込んじゃった!ってなったりとか、宇宙船設定だったりとか、2次元コンサートがずっと(笑)。2011年頃までそういうコンサートが続いてたんだけど、そのあとは震災があったから節電でセットも最小限になり、そこからぱたりとなくなりましたね。パフォーマンスを追求するグループになっていったこともあり、ひたすら歌とダンスを見せて行くコンサートに変わっていきました。

V6はTVタレント

ーーJUMP担から見て、V6に対する印象っていかがですか?

私はやっぱり中学生のときに「学校へ行こう!」を見てたし、好きなドラマの主題歌がV6だったりもあって、「V6=TVタレント」というイメージがすごいついてました。2008年にはじめてV6コン*9にいったとき、「TVの人だ〜!『本気がいっぱい』だ〜!」と興奮した(笑)。

そのコンサートを見たときに「Hey! Say! JUMPもV6を目指してほしいな」と思ったんですよね。パフォーマンスもすごくて、メンバーのバックをメンバーがやってくれたりして、代々木という場所をホームのように自在に使ってていて……。そのときのJUMPはJr.とごっちゃに出ていたから、V6のファンだけがV6のことだけを見ているコンサート、すごいなって。

JUMPもだんだんバックのJr.をつけなくなって、ある程度それに近しい環境になったかなと思うけど、これからもV6のようにパフォーマンスをすごく大切にして、ずっと歌ったり踊ったりしてくれたらいいなと思っています。だから24時間TVで共演してくれるのはすごく楽しみ。年齢も離れてるからどんな感じになるんだろう?って。JUMPも内弁慶というか、ガツガツはいかないので……。『百識』で共演していたイノッチと圭人あたりから、行ってくれればと思うんですけど。まずはV6の姿を見て、想像したい*10。勉強の機会と思ってます(笑)。

 

ーー24時間TVについては、どうとらえていますか?

顔を売る機会なのと、24時間TVをやったっていう実績がつくことが嬉しいです。どれだけ効果があるかわからないけど、見ようと思わなくてもTVをつけたらやってて、Hey! Say! JUMPってこういう番組やるんだ、くらいの大きい番組に出るのって本当にすごいと思う。

 

ーーいちファンとして、これからどんなJUMPになってほしいですか?

とうとうJUMPの順番が来たって思うから、仕事をとにかくたくさんやって、結果を出して、間違えずに、道を外すことなく国民的アイドルグループへの道を登ってほしいなって。何が売れるかわからない時代だけど……たとえば自分が会社の人とカラオケに行ったとき、JUMPの歌を自然に選んで歌ってくれる日が来たら、そんな実感が持てるのかな。

でもやっぱり時が経てば経つほど、成長のスピード感が遅くなるみたいなデメリットもある。TVに出てコンサートの数が減るとメンバーが会う機会が少なくなっていくし、メンバーの友情もピークが過ぎていくのかもしれないと思うと寂しさはあります。

 

ーー形が変わることに対しての複雑な思いが

そうですね。本当に今までのJUMPは会いに行けるアイドルで、目の前のファンの願いを叶えてた。これからは、TVタレントのJUMPの時代が始まります。私はアイドル自体が好きだから、「自分のやりたいこと」より、「ファンの望むこと」をやってくれるアイドルが好きで、その好みに沿っていたJUMPのファンになったんです。そういう意味では、やっぱり寂しい。でも今は、アイドルという大きなくくりや概念よりもHey! Say! JUMPという1つのグループが好き。だから、JUMPがどんな形になろうが、こっちが合わせて、私が好みやファンとしての形を変えて、ついていきたいと思います。

感想

千紘さんとは出会って8年?いろいろな話をしてきたと思ってたけど、他のグループの事情など、知らないことが多くてとても面白かったです。しかしこれほんとお前誰だよ感大丈夫ですかね……!?

ちなみに千紘さんについては、こちらでもインタビューされてるので、あわせて読むとかなり千紘担になれるかもしれません*11

 

jw.hatenablog.jp

 

・私が聞かれた方はこちらでした

kagekina-replica.hatenablog.com

*1:クラフトの袋に自分の好きなアイドルの切り抜きのコピーを貼りまくる、コンサート会場でよく見た痛バッグ的なもの。最近見かけないですね

*2:文字が連続した4枚のうちわ。最近は進化して、人と被らない4文字を持つ文化となっているため、コピーの著作権を主張している若いファンがたくさんいる

*3:ファンサービス厨。アイドルに見つけてもらい、手を振ってもらったりかまってもらったりすることに命をかけている人たち

*4:「担当はタレントに似る」ことを略した言葉。「ペットは飼い主に似る」的な話

*5:ファンが議論すること

*6:2010年、2011年のコンサートショー『SUMMARY』で毎回サーカスの技を披露していた

*7:Hey! Say! JUMPの山田涼介、知念侑李、さらに現在ソロで活躍する中山優馬の3人で組んだユニット

*8:モンスターペアレンツ的なファン

*9:『VIBES』コン

*10:話を聞いたのが6月だった

*11:話きいてみて思ったけど、取材を受けるのがやたらうまい千紘

V6担がJUMP担に紹介してみた。第3回「楽曲~V6後編~」

24時間TVを記念してHey! Say! JUMP担の千紘さんとお互いの好きなグループを紹介し合っていたこのシリーズ。互いにおすすめしたい曲を10曲ずつ選びましたが、いろいろあって、V6の楽曲たちをまとめた武井 六夫(ぶい ろくお)という一人の人間を仮定、歌詞や音楽の傾向を彼の半生に託して見ていくことで変遷を追っていくこといたしました。前編&JUMP編はこちらです。

sasagimame.hatenablog.com

kagekina-replica.hatenablog.com


歌詞をすべて分析したわけではなく、大まかな流れを個人的に解釈したものです。歌詞の引用については、著作権上の引用ルールに基づいて行います。前回と同じく、また千紘さんからコメントももらいました。ついにはじまってしまう24時間TV、V6とJUMPちゃんもどんどん距離を縮めているようで、楽しみですね〜!

応援期(2006年~2010年)

これまで自分の人生に悩んでいた武井 六夫。就活に成功したせいか、どんどん周りの人を励ますようになります。余裕が出てきたんですね!また、生っぽいサウンド、重厚感のある音楽に変わってきたのもこの頃でした。下記の言葉(歌詞)はだいたい六夫くんが「君」に向かって言ってるものです。

「あぁ誰かのために 生きたって君は君だよ 笑って×6」(HONEY BEAT)
「君が択び君が歩んだ その道を後悔するな」(スピリット)
「シンデレラもジャンヌダルクも 一歩前に出たオンナの『正解』そーでしょ?なんも気にする事はない」(CHANCE!)
「見えない明日は見なくていいんだ 今日はきっと綺麗だから」(きっとよくなる)
「少しタチの悪い風邪がほら 長引いたから 心がぬくもりに気づかないだけ」(Bouquet)
「”ほほえむことが きっと君の役目”そう教えてくれるような めくるほど笑顔のフォトグラフ」(Portrait)

さらに自分自身も新しいステージへ行くぜ!という意気込みがすごい。次のステージへ行きすぎです……!*1

「走り行けLife Train 地図はいらない ほら未来が僕らに手をかざしてるだろう」(Train)
「そうさLife as a Voyager その先へ いつか描いた次のステージへ」(Voyager)
「始まりだすNext Stage,Goes on」(NEXPLOSION)
「崩れ行く歴史の音 聞こえたら 次のステージへ行く時だ」(will)

また、仲間や父親、さらにはミュージックにも感謝し始める。

「あの頃の幼い僕に 今なら言えることがある そうさ僕らは ひとりきりで強くなる必要なんてないさ」(僕と僕らの明日へ))
「感謝しているよ こうして今は男どうし肩を並べて」(BRAND NEW DAY,BRAND NEW LIFE)
「サンキュー!ミュージック!For my life」(サンキュー!ミュージック)

それもそのはず、六夫くんたぶん結婚しました。

「目覚めた時から自然に僕の傍に居る それがなんだか凄く当たり前さ」(グッデイ!!)
「ありのままの君でずっとそばにいてよ 世界の誰よりも愛するから」(Air)
「歩いてきた一本道が 君の道と重なってく 今日からはどうぞ 末永くたくさんよろしく」(明日の傘)

ななななんと……冒頭で励ましていた「君」が結婚相手だとしたら、けっこう情緒不安定なお相手ですね(いやこの結婚相手も、ファンの総体を概念化したものだと思ってますけども)。まあそれだけではなく、きっと転職したとか、管理職になったとか、いろんな転機のあるアラサー時代をすごしていたのでしょう。

しかしこのころも!定期的にパーティはしていました!(Crank it up!!) そして人妻と不倫(GUILTY)、相手の浮気(蝶)、ワンナイトラブ(OK)と、少しずつ影も見せる六夫くんでした。大人にはいろいろあるね。

この時期おすすめしたい曲

  • Voyager (アルバム『Voyager』収録)

ご存知、Hikariさん作詞作曲の人生旅立ちソング。この時期はかなりHikariさん翔(じゃんぷ)くんの「Aino Arika」とセットで聞きたいというか、シンメ的存在なのではないかと思います。

Hikari先生~!!!あぁもう良曲すぎる!壮大で静かだけどすごく広がりがあって、その広がりはきっとグループのまだ見ぬ明日!メロディーにメリハリと物語があって涙を誘います。歌うほうも聴くほうもグループの今を重ね合わせること不可避の曲というポジションなのでしょうか…?確かにHikari先生の作品だけあって、AinoArikaが好きな方は好きそう。(千紘)

  • Swing! (アルバム『READY?』収録)

こちらもまたごきげんなパーティーソングだぜ!ですが、タイトルどおりビッグバンド形式のスウィング・ジャズ風のアレンジとなっており、どこか上品さを感じる1曲となっています。更に歌詞にも「気分ジーン・ケリー」「アステアのタップ」などMGMミュージカルのスター*2の名前が入っていてにやっとさせられる、さすが井手コウジさんです*3

えーーーーめっちゃ好きずるい!!!!ください!!!カバーさせて!!!聴き始めた瞬間自然に音に乗っていた!!!ほんと上品って表現がぴったり。パーティーソングっていうともうミラーボールギラギラなDisco!!って先入観があるけど、これはもう上流階級のパーティーですね…。ダンスも見たけどラフだけどミュージカルっぽくてめっちゃ可愛い!!!「世知辛い 浮世笑い Floorを揺らせよ Break out」が好き。(千紘)

いけない大人期(2011年〜)

う~~~Sexy!ということで、ついにはじけてワンナイトラブを繰り返す六夫くん。でも、しょうがないです。だって最初とんがってたじゃない。しかも、さわやか好青年になったあともずっとパーティーはしてたし……。

これまでの相手は清楚系、真面目系っぽかったのに、一気にどんどん小悪魔系を狙い始めます。たぶんハーフ読モだろうな。

「One Nightのつもりが…ハマる!」(Sexy.Honey.Bunny!)
「一夜だけのSUPERNOVA 感じるだろwe’re so fly」
「よく似合うよ本当に ぼくのあげたピアスより」(Perfect Lady)
POISON PEACH 君を食べちゃいたい POISON PEACH でもね 駄目駄目駄目」
「騙されてもいい 君の素肌へ 愛憎を とどけたい」(D.I.S)
「AH あの時紳士出せば ジラフ DIAMOND 君 すべて僕のモノ そんで揉んで…」(BING♂)

しかし妻(仮)を裏切ったことにめっちゃ後悔したりもしている。また、ずっと愛する系のことも定期的に歌っているので、忙しいですね。

「いまぼくは抜け殻の fake 愛される fake 価値のない fake でも離したくない」(fAKE)
「もう一度だけ君のもとへ 愛をこめて行くから」(愛をこめて)
「一生で最後の恋だから 君を死ぬまで愛しぬきたい」(一生で最後の恋)

世の流行にあわせて、EDM、四つ打ち系を好み始めた六夫くん。これも、そもそもユーロビートの電子音から始まったことを考えれば、ある種の原点回帰と言えるのかもしれませんね。
そんな感じで弾けはじめた六夫くんですが、たぶん仕事や人生に自信がついてきたからなのでしょう。このまま上を目指す!!という意気込みがかなり伝わってきます。

「駆け抜ける鼓動 止まるまで 僕のミュージック・ライフ」(ミュージック・ライフ)
「荒れた道 転ぶたび 何度でも叫びな、坊主!」(kEEP oN.)
「Sky’s The Limit 辛い時にも 限界なんてないさきっと」
「笑われても けなされても 歩き続けるよ」(明日は来るから)
「終わらない夢を僕らは ずっと描いてゆくだろう」(Timeless)
「あの上 もっともっと上」(Wait For you)

そして、楽観的、強気にもなってきます。でも別にただ楽観的なわけではなくて、大変なことがあってもどうにかなるしどうにかできる……といった自信を感じる歌詞が多くなっていきます。

「心のチャージを忘れないで しんどいことは無理すんな」(バリバリBUDDy!)
「晴れバレするような 1DAY生きまSHOW!」(Hands UP! OK?)
「重い荷物置いて出掛けたなら…OK 踊ろう!」(FLASH BACK)
「弱気な世の中は 相手にしないから 俺達の手の平で 結局世界は 回ってくんだぜ」(大人Guyz)

この時期おすすめしたい曲

  • Supernova (アルバム『Oh! My! Goodness!』収録)

ワンナイトラブソングといえば……セクバニとも迷ったのですが、こちらで。ジャニヲタが絶対好きなやつ。2011年のコンサートでは、ポールダンス(もどき)も披露しました。

噂のスパノバ!もちろん存じ上げております!
かっこよすぎるー!!!!!抱いてー!!!!!ほんとこれ嫌いなジャニヲタいないでしょうよ!!!歌詞がストレートにワンナイトラブを描いててSexyさに溢れてるのがたまらないですね。うわーこれもJUMPにやってほしい…。

  • ミュージック・ライフ (シングル『ROCK YOUR SOUL』収録)

MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビューしたV6が歌うミュージック・ライフだよ〜!このおもちゃ箱みたいなキラキラ感最高です。剛健のキャラメルボイスを全面に出すと、ここまで突き抜けられる。

いつまでも聴いていたい…!この軽やかさでどこまでも歩いていけそう。V6のグループ人生はミュージックと共にあるんですね。こんなに可愛い声のまま大人になるなんて夢広がるな~!

 

何ができるかもわからなかった六夫くん、だんだん仕事に自信をつけて、いろんな女性とわたりあっていく姿は、V6が仕事の力をつけて、いろいろなファンを獲得していく姿に、少しずつ重なるようでした。この地に足のついた生活を予想できる楽曲陣だということが、V6の歌の特徴でもあると言えるのかもしれません*4。例えば「この曲は前に候補に上がってきてたけど、少しサウンドが古くなっちゃったからアレンジを変えて……」と話すことがあるように、流行を取り入れた音になっていることでまた余計に、時代が見えるような気がしてくるのかもしれません。

20周年では、「Timeless」「Hello」「〜此処から〜」「Wait for you」など、これまでの時の流れを感じさせるような楽曲を次々と披露してくれました。特に「〜此処から〜」は、6人で作詞しており、V6のファンでなくともアイドルファンならぐっときてしまうこと間違いなしです。節目となった2015年から先、どんな姿を見せてくれるのか。またいつか振り返ってみたいな〜と思います。 

おまけ JUMPと歌ってほしい曲

まじで迫ってきてしまった24時間TV、ぜひJUMPと歌ってほしい曲を実現性を考えずに選びました。

  • 羽根 (アルバム『Volume6』収録)

どこか切なく透明感のある曲をぜひ15人で……。2003年のコンサートで、6人の周りに円形に雨をふらせ、虹色の照明を映した演出が最高だったのでそれでお願いします。

時間の儚さを感じる…好きにならなければ知らずに済んだのにっていうくらい、切なさを孕む曲ですね。

その演出最高!その上をJUMPがSUMMARYでお馴染みの円形フライングしましょうか?

  • SP (アルバム『SUPER Very best』通常盤ボーナストラック)

サンプリング担当☆Taku Takahashi、振付s**t kingzという、じゃんぷくんのRide With Meとも共通点があるこの曲。15人でがっしがし踊ってほしい。

かっこよすぎる!!! s**t kingz様最高!!! はっ!この振り付けRide With Meのあそこと似てる!?っていう部分がちょこちょこあったので、RWM好きのJUMP担には是非見てほしい1曲!!
途中SPのメロディが入って来て岡田くんがソロでRap始めるのがすっごく高まります。
15人のフォーメーションダンス、見てみたいですね。

 

*1:実際のところ、「学校へいこう!」がリニューアルして、より学生を応援する内容に変わったこと、「早稲田アカデミー」のCMタイアップを定期的にやることにより、応援ソングが増えていったという背景があります

*2:余談ですが、この2人が演じた役を両方やったことあるのが坂本昌行だ!

*3:ジャニヲタが大好きなKinKiのボニバタなども井手コウジさん

*4:実際のV6はすごい二次元感あるんですが

V6担がJUMP担に紹介してみた。第3回「楽曲~V6前編~」

24時間TVを記念してHey! Say! JUMP担の千紘さんとお互いの好きなグループを紹介し合っていたこのシリーズ。今回のテーマは曲です!互いにおすすめしたい曲を10曲ずつ選びました。

※千紘さんの第2回はこちら

kagekina-replica.hatenablog.com


TOKIOKinKi Kids、V6の同年代3組はまとめてJ-FRIENDSというグループでしたが、この3組、実はそれぞれのスタンスで音楽を大切にしているグループなんです。TOKIOはバンドとして、KinKi Kidsは歌に磨きをかけ、V6はダンスミュージックにのって流行をおっかけてきました。なんてったってV6のデビュー曲が「MUSIC FOR THE PEOPLE*1ですから、MUSICがかなり重要であることは間違いありません。

しかし私は音楽というものにあまり詳しくありません。そこで今回はV6の楽曲たちをまとめた武井 六夫(ぶい ろくお)という一人の人間を仮定、歌詞や音楽の傾向を彼の半生に託して見ていくことで変遷を追っていくことにしましょう……。*2

今回は歌詞をすべて分析したわけではなく、大まかな流れを個人的に解釈したものです。歌詞の引用については、著作権上の引用ルールに基づいて行います。前回と同じく、また千紘さんからコメントももらいました。
ちなみに、ちょうど!V6のベストアルバム、『SUPER Very best』が発売されました。さらに、ジャニーズ楽曲大賞さんが「V6楽曲大賞」を企画されており、締め切りがせまっていますので、こちらもぜひ〜。日曜の夜までだよ!!

V6楽曲大賞1995-2015

トンガリ期(1995年~1999年)

六夫くん、中学生~高校生くらい。最初はとにかく電子楽器!ユーロビート命!チャカチャカした音楽がさいこーにかっこEジャン!コンクリート打ちっ放しの廃屋的なところでダンスするぜ!!といったノリです。好きな女もいるけど、それよりも飛ばなきゃいけないのは自分の空……(MUSIC FOR THE PEOPLE)。
しかし六夫くん、とにかくふわっふわしています。何がやりたいのかさっぱりわかっていません。

「何がやりたいのかよくわからない でも絶対何かできそうな気がする」(I CAN)
「まだこのてのひらにはなにもないけど なにもないところから夢はかなう」(いま!!!)
「たぶん見つかるよ ほんとのDream」(BEAT YOUR HEAT)
「僕だけに出来るコト 見つけたいよ」(Can do! Can go!)
「やってやろうぜBaby! やってやろうぜBaby! 結局何したいのか はっきりわかんないけど」(やってやろうぜBaby!)

本気で何も見つかってない!でも、これから探すんだもんね。更に少したつとヒップホップを取り入れたり、音がゆったりしてきて、WAになって踊ったり愛なんだと叫んだり、やたらパーティーをしたり(「Do IT」「DANCE!!」)と、仲間や恋を大事にしはじめます。たぶん高校生になったんでしょうね。ただずっと大人というか社会に対しては懐疑的であり、自分たちをわかってもらえない……という思いが根底にあるようです。

「もしも暗い明日を 大人が予言しても」(逃亡者)
「すべてを変えよう 平凡なんかはいらないから」(MASSIVE BOMB)
「押しつけだらけのGENERATION GAP ついてゆけない 僕らの時代なんだ」(GENERATION GAP)
「きっとみんな一人になると たまらなく恐くて 肩書きとかブームに 寄りかかるのか?」(Feelin' Alone)
「こう見えてけっこう頑張ってるんだ 顔に出さないだけなんだ」(翼になれ)

だいたい交差点ではイライラしたり駆け出したり、人混みの中落ち込んだり、文明社会の象徴・ビルをディスったり、大人になることに対しての不安と焦燥を抱いたまま、パーティーに明け暮れる六夫くんでした。
ここら辺の「反抗期」「焦燥感」は非常に90年代っぽいなというところもあり、おそらく平成 翔(へいせい じゃんぷ)くんのデビュー時と違う点なのではないでしょうか?

 

この時期おすすめしたい曲

  • BEAT YOUR HEART (アルバム『SUPER Very best』収録)

ユーロビート全開期の1曲。3枚目のシングルでほぼラップとは、かなり冒険してる気がします。あんまりラップはうまくないですが、今きいても気持ちがあがる。サビの「ナウゲッタチャーンス」のチャラさが光ります。

Rap楽しすぎる!ユーロビート武器にトンガってやるZE!っていうテーマをそのまま表したような感じが大好きです!いい意味で時代を感じる曲で、初期V6!ってイメージ通りの曲でした!!(千紘)

  • DO IT (アルバム『GREETING』収録)

初期コンサートの定番だった1曲。今聞くとちょっと古いけど、一時期のV6の空気をとてもよく表していると思います。90年代のパーティーピーポーだ!

ピコピコしたメロディとハーイエモーション♪がすごい耳に残る!夜は男も女も~ってすごい歌詞だ…!1.2.3.4.5.V.6!は高まりますね!ジャニヲタが大好きなやつ!(千紘)

リア充期(2000年~2005年)

六夫くん、大学に進学したのか、急にリア充めいてきます。あんなに大人に懐疑的だったのに!きっと真面目に進研ゼミやってたんですね!*3
まだ若干自分の道を探してはいるんですが、それまで繰り返し「何も持っていないけどなんかあるはず」と言っていた六夫くんが何か道だけは決まったっぽくなり、そこに向かって邁進していく明るく爽やか好青年になっています。きっと、大学デビューに成功したのでしょう。また、それまで電子音で尖っていた音楽は非常に軽めでポップになっていきます。

「傾斜90度の坂道だって もう駆け上がってかなくちゃ 本気出してかなくちゃね」(Life goes on)
「I WANT TO CHENGE THE WORLD 二度と迷わない」(CHENGE THE WORLD)
「飛び出せ僕らがRainbow 落ち込んでも 悩んだって問題ない」(情熱のRainbow)
イカロスだって届かなかった(Rising sun) だけど笑って夢に向かって踏み出せ」(Gravity Graffiti)
「行きつ戻りつ それでもゴールまで やっぱこの道を行くだろう」(wonder world)

一方、社会のつらさに直面したりもしているようです。ただ大人や社会を批判するだけではなくて、自分ががんばんなきゃだめだ!と言い聞かせています。きっとバイトリーダーがんばったり、就活に苦労したりしたんでしょうね……。でもちゃんと就職して、社会人になれたっぽい。いきってる若手社会人の姿も見え隠れしてきます。

「雨に打たれて陽に灼かれ 僕は歩いていく」(羽根~BEGINNING~)
「夢とリアルの間 どうにか折り合いつけては 過ごし」(A・SA・YA・KE)
「自分だけが大変なんて 思う弱さ蹴飛ばすんだ つかみとるまで」(強くなれ)
「平成の 波にのまれ、流されたって 雨に打たれ、ずぶ濡れだって Come on!×3 握った拳を突き上げろ」(Hard Luck Hero)

恋の歌もだんだんバリエーションが出てきます。気難しい相手、遠恋*4などいろいろな経験を積んでいるみたいです。

「”多分あなたを好きにならない”拒絶の態度 First time」(Ride on Love)
「思い出の数が支える恋だから 結ばれた二人の糸が絶えることのないように」(愛のMelody)
「忙しくて昨日も すれ違うくらいしか会えなくて」(キセキのはじまり)
「昨夜君がねだったのは アロマオイルみたいな嘘」(Darling)

さらに、地元の仲間たちと少しずつ道が違っていく姿も見えます。東京に進学して就職したのだろうな、六夫くん。

「『そのうち会おう』と笑って手を振った 『そのうち』なんてもう ないことわかってる」(出せない手紙)
「いつか想像してた未来といまがすこし違っていたって」(Feel Your Breeze)
「ありがとうと言わせて欲しい たとえば何年経っても きっと変わらず僕はまだ 今日を覚えているよ」(ありがとうのうた)

ちなみにパーティーはまだやっています!(JAM JAM NIGHT) しかし摩天楼やビルを肯定できるようになってきた六夫くんは、やっぱり確実に大人の階段を上っています。

 

この時期おすすめしたい曲

  • Don't Stop the refrain (アルバム『"HAPPY"Coming Century, 20th Century forever』収録)

これは完全に恋人同士の初めての夜の様子を描いた曲なんですが、めちゃくちゃおしゃれに仕上がっていて、リア充の極みって感じです。大好きです。

オシャレ~!!キラキラしたサウンドが結ばれた夜の浮遊感を表現してるみたいですごくいい!!素直な高揚感が歌詞やウォオオ♪ウォオオ♪に感じられて、大人ぶってなくて可愛い。これめちゃくちゃ好き! (千紘)

  • A・SA・YA・KE (アルバム『seVen』『Very bestⅡ 永続盤』収録)

爽やかさがカンストしている1曲!しかしどこか切なくもあり、夏の朝に聞きたいな~という気持ちになります。*5

大人の爽やかさがある。大人の朝焼け!間奏の吹奏楽器が効いてる…。バラードだと皆の声がじっくり聴けていいですね。歌詞も、ちょっと苦い感情を交えつつも前向きなことを言っていて、六男くん、大人になっていってる…。(千紘)

ちょっとまた長すぎるので、前後編にわけます……。順調に大人になってく六夫くんです。

*1:ちなみに、作曲は秋元康。やすすファミリーだったV6

*2:すべってない?これ大丈夫??

*3:チャレンジのCMやってました

*4:愛メロ失恋説もありますが、これは遠恋の歌だと思っています

*5:作詞の方はタッキー&翼の曲をすごく書かれてますね

ジャニーズアイドルの本から見る解散の歴史(前)

以前「西暦2014年、スマ歴24年」というタイトルのブログ記事を書きました。これは、SMAP以前はジャニーズのアイドルグループも解散することが当たり前だったことを記したものでした。まあ結局SMAPがすごい!という話だったわけですが、あれから周囲ではまた「どうして女子アイドルは解散・卒業するのに、男性アイドルは30代40代になってもアイドルを続けていられるのか」といったことが話題になったりしています。

アイドルの解散や脱退について考えるとき、「売れなかったので契約が更新されず、事務所を移ることになった」とか「プロデューサーに解散に追い込まれた」といったことがあるのではないかと想像してしまいます。しかし2012年にNEWSのメンバーが脱退した際のエピソードを見てみると、残った4人が「事務所からは解散を勧められたけど4人でやっていくことに決めた」と語っているのです。たとえ事務所から勧められても「解散しない」という選択肢はありなんだ、と驚きました。そして逆に、解散にいたる場合にはどのような理由があるのか、気になるようになりました。

そんなわけで、今回は元ジャニーズの方たちが書いたいくつもの「アイドル本(タレント本)」から解散・脱退・移籍に至る経緯を抜き出し、その原因を分析、「解散しない」ためにはどういった環境が必要なのかを探っていきたいな〜と思ってます。ただあくまでも本人たちの名を冠した著書にある記述を資料としているため、その真偽や裏事情などについては、私個人が判断できるところではありませんので、ご了承ください。

それでは、実際に資料を見ていきましょう。これだけでかなり長くなってしまっておりますので、全体の傾向などについて先に読みたい場合は後編へとんでいただければ幸いです。

1967年 ジャニーズ

最初のグループ「ジャニーズ」。人気の最盛期にアメリカへわたったものの、そこで発生した事務所との金銭トラブルからメンバーの真家ひろみが脱退を決意、そのまま解散となりました*1。ちなみに真家ひろみも本*2を出しており、ジャニーズ時代の話を書いていますが、解散についての記述はありません。

アメリカでの生活も終わりを告げようとしていたある日の午後……。私は、一人でマー坊(注:ジャニー喜多川氏の兄)宅の応接間に向かって歩いていました。その時です。
「……大変だ。もう、何もかも……」
声が小さいのでよく聞き取れませんでしたが、私にはだいたい察しがつく言葉でした。その声は真家で、その部屋にはあおいも飯野も一緒にいます。
「何を言うんだよ、突然!」
誰かが驚いた声をあげました。私は、胸が破裂しそうに高鳴りました。
(中略)
なぜ、なぜ、こんな時期に……解散なんてことが身にふりかかったのか。
しかし、どんなにみんなが引き留めようと、真家の決意は堅く、解散するということは現実になっていたのです。
仕事の予定が42年の11月までびっしり入っているので、それまでは解散は表明せずにやり通すということを約束して、我々は真家の独断を認めなければいけませんでした。(中谷良,1989年『ジャニーズの逆襲』データハウス,p160-)

1975年 郷ひろみ(移籍)

人気絶頂の中で事務所の移籍を決心したのが郷ひろみ

率直に言おう。仕事に対する考え方が事務所とぼくとでズレが生じてきたってことなんだ。
ぼくはファンの人達に夢を与えるアイドル・スターだ。でも、たんに夢をあたえるというだけでいいのだろうか。自分の人間的な面をふくらまして、ファンとコミュニケートするなかから、ファンの人達とぼくとがいっしょになって夢や喜びをつくっていく。そういう形にならなければ、まもなく壁にぶつかるのではないか。そのためには、もう少し余裕がほしい。自分の考えを基礎にして方針を立て、仕事の見通しをもちながらやっていきたい。そんな願いと不安が重くのしかかるようになってきた。
(中略)
そのときは人気がある。売れている。だが、それで押していっても、すぐ限界はくるような気がする。ぼくが進歩することで、ファンが進歩する。ファンが前進することで、ぼくが前進する。そういうかたちで楽しさや感動のエンターテインメントのかたちになっていない。そういう方向にもっていこうとする姿勢は、事務所にはない。
(中略)
事務所を変わって、精神的に自立する場を確立して、再出発しよう。考えはそういう方向に向かっていった。(郷ひろみ,1980年『たったひとり』小学館,P112-)

1978年 フォーリーブス(解散)

デビュー10年目で解散を決意したのがフォーリーブス。余談ですがメンバーの青山孝は解散直前に結婚し、TVで披露宴が中継された"既婚アイドル"でした。

インタビューのたびに、「解散なんか絶対しません」と言い続けてきた。だがメンバーの年齢を考えるといつまでもアイドルグループのまま歌って踊ることには無理がきていたのもまた事実だった。デビューの頃からのファンはすでに結婚して主婦となっているのも珍しくないほど年齢は上がっていたし、新しく誕生するアイドルに移っていくケースもある、当然コンサート会場の動員力も次第に落ちていった。
ジャニーズ事務所からも相次いでアイドルが登場してくるにつれて、フォーリーブスはだんだん肩身が狭くなる。
(中略)
グループでやっていると互いに甘えがでてくる、自分のやりたいことも仲間のことを考えるとついブレーキを踏んでしまう。(中略)4人のなかにちょっとずつ芽生えた独立心、それが微妙に4つのタイヤのバランスを狂わせるともうクルマは以前のようには走らなくなる」(北公次,1988年『光GENJIへ』データハウス,P167-)

「何歳までマネージメントをしてもらえるのですか」

こう聞かれても、わたしの経験では、「自分の判断で決める」とだけしか答えられません。
ジャニーズ事務所に"定年"はありません。ジャニーさんはけっして「やめなさい」とはいいません。すべて各個人の最終決断に任せているからです。
このままでいいのか……とタレント本人が意識する、または、ジャニーズ事務所の中での自分の位置や将来に関して"非常ベル"が鳴っている、そう感じたときが、やめるかやめないかの境目となるのです。(江木俊夫,1997『ジャニー喜多川さんを知ってますか』ベストセラーズ,P80)

1979年 豊川誕(移籍)

孤児であり、施設出身だったことを強調された売り出し方に疑問を持っていた豊川誕。

先に、売り出し方について自分自身、とても不満だった、と書いた。
それが表面化してしまったのである。
ぼくがジャニーズ事務所で出した最後のシングル・レコード『白い面影」が、事の起こりだった。
「親のない子は
 焼かないパンを喉に詰まらせ
 水を飲む」
(中略)
それまで不満を言いながらもジャニーズ事務所の宣伝をガマンしてきた僕も、この歌を唄い続けることには、どうしても耐えられなかったのだ。
自分自身に嫌気がさした。
ジャニーズ事務所に不信感が芽生えた。
これ以上「豊川誕」を演じることは、僕にとって重荷になっていた。(豊川誕,1975年『ひとりぼっちの旅立ち』,鹿砦社,P99-) 

1988年 シブがき隊(解散)

ぐっと年代が下がったシブがき隊*3。今も活躍している3人はかなりの円満退社だったようです。

徐々にグループの活動が少なくなり、僕たち三人の中に、"解散"という文字が浮かびあがってきた。(中略)レコード会社の人たちとの雑談の中で、"解散"という雰囲気が漂った。誰ひとりとして"解散"という言葉は使わなかったが、誰しも感じていた。(中略)
それからぼくはいろいろ考えた。シブがき隊というのは自分たちの財産でもあるし、武器にもなると思った。ドリフターズみたいに、個々の活動をしながら『ドリフの大爆笑』(フジテレビ系)で年に何回か集まるというスタイルが、ぼくは絶対に好ましいと思った。(中略)
初めて"解散"という言葉を口にしたのも本木だった。僕は、「解散はしないで、ドリフターズみたいなスタイルで……」と主張したが、本木の意志は固かった。布川も悩んでいたが、どちらかと言うと、本木の意見に賛成していた。(中略)
解隊が決まってから、僕の場合は最後まで、ジャニーズ事務所に残るという話はあった。でも、このまま残っても、トシちゃん、マッチがいて、少年隊や男闘呼組もいたし、ちょうど光GENJIの人気が出てきたときだったから、"こういう中で、自分がひとりで残ったとして、どこのポジションに入れるのだろう?"と考えた。(薬丸裕英,1998年『パパははなまる主夫』集英社文庫,P125-)

1989年 川崎麻世

フォーリーブスの後にソロアイドルとして活躍していた川崎麻世。たのきんが出てきてからはアイドルを脱皮し、東宝や四季と舞台に立つなど息の長い活動をしていました。しかし、交際していたカイヤの妊娠が発覚、事務所を辞める決心をします。かなり情報はしぼっていたようで、周囲にも内緒のままアメリカで第一子誕生。結婚していなかったため、帰国時には「川崎麻世、未婚の父に」と話題になったそうです。

「ここまできたら、産むしかない」
アイドルで売る事務所が、未婚の父親を認めるわけにはいかないことは容易に予想できた。
「事務所を辞めさせてください。ここまで大きく育てていただいたにもかかわらず、こんなことになって申し訳ありません。ぼくはもっと成長するために勉強をしにアメリカに行きます」
ジャニーズ事務所に、自分の方から契約を打ち切ってもらうようお願いにあがった。(川崎麻世,1999年『カイヤへ!』マガジンハウス,p29)

1994年 田原俊彦

たのきんトリオとしてジャニーズを支えた田原俊彦は33歳の時にジャニーズ事務所から移籍。

僕は基本的にジャニーズ事務所ティーンエイジャーのための会社であるべきだと、思っている。今も三十代のタレントがいないわけではないし、いろいろな考え方があってもいいとは思うが、あくまでも、僕個人としては30歳をすぎたら事務所にお世話になるべきではないと考えていた。
もし、僕があのまま事務所にのこった場合、どうなっていただろうと考えることがある。現役を引退して後輩を指導したり、管理職的な立場になったりということもあるかもしれないが、そういう考えにはなれなかったのだ。(田原俊彦,2009年「職業=田原俊彦」ロング新書,P100)

1994年 光GENJI(脱退)

光GENJIは1994年に大沢樹生佐藤寛之が脱退、5名で活動を続けるも翌年に解散となっています。

アーティストが年をとっていけば、ファンも年をとっていく。成長していくファンに合わせて、アーティストもまた成長していかなければならない、というのが俺の考えだった。だが信じられないような成功を収めてしまった光GENJIは、いつしか新しい方向を探すのをやめ、かつて成功したパターンを繰り返しているだけになってしまったように俺には見えた。古いファンが光GENJIに関心を失っていっても構わず、小・中学生の新たなファンが寄ってくるのを待ち構えているーー後期の光GENJIの戦略を、オレはそんなふうに受け止めるようになっていった。
だが今にして思えばアイドルが、もしくはアイドルを抱える事務所が、そっちの戦略のほうを選択したとしても、責められるような話ではない。たぶん俺はアイドルになりきれなかったアイドル、光GENJIを演じきれなかった光GENJIなのだろう。
その頃から次第に”脱退”の二文字が、頭の中でちらつくようになった。(中略)
本当にジャニーズ事務所がタレントにやりたいことをさせない、懐の狭い事務所かどうかは、今のジャニーズタレントを見ればわかることだ。つまり俺が事務所を説得する努力を放棄して、一方的にきれてしまったというのが脱退の真相なのかもしれない。(大沢樹生,2008年『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』カンゼン,p75-)

1995年 光GENJI(解散)

94年、光GENJIから大沢と佐藤寛之が抜けて、SUPER5が結成されたが、オレは、自分たちのグループが7人でなければ、「心の体力」がもたないと感じていた。頭ではなく身体がそれを感じ取っていたのだ。(中略)
俺たちはある意味で、アイドル界のトップの座をとってしまった。そうなったら、後は落ちていくしかない。そんな恐怖感を抱いていた。それはたぶん、他のメンバーも感じていたに違いない。このまま走れるわけがない、滑り続けられるわけがない、と。(中略)
俺が(解散コンサートをするかの)即答を避けていたのは、さっきも書いた「あの二人はいらなかった」という(レコード会社の)発言に対しての引っかかりと、解散を思い止まれという声と、解散コンサートをやれという2つの声が同時に聴こえてくることに対する不信感があったからだ。
周りの人は俺をなんとか説得しようとはするけれど、ちゃんと納得させてくれる人は誰もいなかった。おだてるだけで、誰一人、殴ってでも解散を阻止してやるという人はいなかった。(諸星和己,2004年『くそ長〜いプロフィール』主婦と生活社.P117-)

はい、いろいろな解散・脱退・移籍の形がありましたね。読んでいるとなかなか辛い気持ちになってきますが……全体の傾向については、次の記事へ!お願いします!

*1:余談ですが、解散を決意→帰国→アソシエイションがNever My love発売……という流れだったらしい

*2:『ハイ!どうぞ、ジャニーズタクシー奮闘記』

*3:この間もいろいろいましたが、本を出してはいない

ジャニーズアイドルの本から見る解散の歴史(後)

さてそれでは、Before SMAPの解散が一体どのようなものだったのか、考えていきたいと思います。資料については、前回の記事をご参照ください。

  • 解散は常に浮上する

当時の空気としては、解散するのが当然だった。だから、解散は前提として「いつ解散するのか」「何をきっかけに解散するのか」といったところがポイントだったように感じました。人気が落ちてきた、グループ活動が減ってきた……そういった変化があれば、すぐに「解散」という文字が浮かんできていたようです。ただ、元シブがき隊・薬丸裕英の著書を見ると「個人活動を充実させて、年に2〜3回グループ活動を行う」というスタイルもありだったこともわかります。TOKIOも最近「目指す目標はドリフターズ」と発言しておりましたが、個人活動とグループ活動を両立させる、音楽活動もバラエティもドラマ出演もするなど、芸能界にロールモデルのいなかったジャニーズグループにとってドリフターズは心強い先輩だったのかもしれません。

この空気はSMAP以降で大きな転換が行われており、今度は逆に「解散しない」方が主流となりました。最初に触れたNEWSの例のように、また同じくメンバーが4人になっても続けるKAT-TUNのように、たとえ解散の可能性が浮上しても、なるべく解散しない方へ舵を切っているように見えます。今も昔もグループに解散という選択肢が出るのであれば、どちらか迷った時に「解散に向かう方が当然」という空気と、「解散しない方が当然」という空気では結果が違ってくることでしょう。

 

  • 金銭問題

実際に本を出している中には金銭問題でもめた人はあまりいない、どころか「世間的に金銭問題が原因と言われているが実は違う」と否定する人もいるのですが、あまりお金をもらってなかったのは事実のようです。「少年たちに大金を渡してはいけない」という信条があったり、衣食住を面倒見る、プロデュースに金をかける、など別のところにお金をかけていたからというのが理由らしい。ただし何かほしいときは言えば言うだけお金をもらえたそうで、元フォーリーブス北公次は競走馬を買ったりしています。相当なおこづかいです。とても家族的な感覚だったのでしょうが、自由に使えないのはやっぱりつらいだろう……。

 

  • アイドルは子供のもの

「アイドルは子供のものである」という前提も見てとれます。郷ひろみ北公次大沢樹生などの語る心情はどれも共通しており、どんどん大人になるアイドルたちと、事務所側が進めるパフォーマンスのバランスがとれていなかったのではないかと推測できますね。事務所側としても、大人のアイドルを世に出すノウハウがなかったのかもしれません。田原俊彦にいたっては自身も「事務所はティーンエイジャーのための会社であるべきだ」と言っていますし、「アイドルは子供を相手にしたパフォーマンスをするものだ」といった前提が内面化していたのではないかと思われます。

 

  • やりたいことをやれない

「やりたいことをやれない」という葛藤もいくつか語られています。これはけっこう複雑で、前述の「事務所側に大人のアイドルを世に出すノウハウがなかった」こと、豊川誕や大沢樹生が感じていたように「アイドルを演じ(させられ)ていた」こと、郷ひろみのように「忙しすぎて立ち止まる余裕がなかった」こと、いろんな背景が集約されているように思います。
またアイドルの「やりたいこと」と言われると、「本当はロックがやりたいのに俺は……!」といった感じのイメージがあるのですが、それだけではなく、自分たちの人気の下降を肌で感じて危機感を覚える姿が見えます。世間からいい評価を得られていないことや、ファンがどんどん離れていくことに対して、誰もが「年齢によってパフォーマンスを変えていかなければならない」「時代から乗り遅れてはならない」と感じていたと告白しているのです。そして、このまま事務所にいたら成長できない、だめになる、と考え解散や脱退に至ります。これはまるで「この会社はだめだ!」「上司がだめだ!」と言って転職する会社員ではないですか……。*1

あの東山紀之ですら、デビュー5年後くらいには「これからは自分たちで曲を作らなければ」と考え、プロデュースに不満を抱いていたと語っています*2。世間がロックバンドブームの中で、歌って踊る自分たちは時代から取り残されるのではないか、という不安があったのです。その後は結局「時流にはどうしようもなかったが、僕らには僕らのやるべきことがあると思った」「グループが存続する以上、グループのためにもソロ活動を頑張らなければいけないと僕は思った」と気持ちを切り替えています。*3

 

  • 事務所の対応は?

事務所側も何もしていなかったわけではありません。60〜70年代にはいくつか楽器もできるグループを発表、更に80年代後半から90年代にかけては男闘呼組TOKIOといったバンドグループへつながっていきます。近藤真彦や少年隊も、大人の楽曲へシフトさせるなど試行錯誤を行っており、考えられない人しかいなかったわけではなかったのでは……とも思えてきます。

また川崎麻世については、元から「麻世は、武道館をいっぱいにするアーチストでなくて、ひとつひとつの小屋(劇場)を一カ月間満員にさせるようなアーチストになってほしい」「麻世には将来、舞台俳優として成功してほしいのだ」*4と言って、そのための人脈づくりが行われていたそうです。たのきん人気に火がつき”最も輝ける場所”を後輩たちに譲った川崎の心情を心配して、一人暮らしのマンションを用意し、舞台の勉強をしなさいと海外へ送り出したりしていました。大人タレントが育たないこと、後輩に人気を譲ったアイドルがすぐに辞めてしまうことなどについて、実は危機感を抱いていたのかもしれません*5

過去の状況に比べれば、現在はライブハウスでソロライブを行うことも可能ではあるし、小劇場で尖った舞台をやることはむしろ推奨されてるんじゃ?というくらい定期的に行われています。アイドル側が持っている焦燥をある程度受け止めることができるようになったこと、またアイドル側も企画書を会社に提示するなど、社会人としての能力を発揮できるくらい大人になってきている(大人になっても辞めない)、アイドル側の偏差値が上がっていること(高等教育は大事……)で、少しずつ変化しているのではないでしょうか。本人たちがやりたい方向で成功してくれたほうが、メリットであることは間違いないわけですし。

 

解散しないグループでいるためには

では実際にこれまでの解散理由から、逆に「解散しないためにどのような環境が必要か」を考えていきたいと思います。

 

  • 解散しないグループが存在する

これはもう大原則すぎてなんとも言えないですが……「解散しない」という前例があれば、後続はどんどん出てくることがわかっています。ただ最初の1グループになるのが、本当に難しいのだろうと思います。ジャニーズも、設立から20年間は解散し続けたわけですから。現在は解散しなくても働ける、さらに再浮上の可能性もあるとなれば、解散するのは損となります。

 

  • グループ(ジャニーズ)でいることが個人活動を阻害しない

音楽をやりたい、芝居を極めたいといった場合に「ジャニーズ」という肩書やイメージが邪魔であったり、グループの活動によって個人活動に制限が生じたりする場合に脱退のリスク、ひいては解散のリスクが高まります。

自分が好きな分野でなかなか世間から認められない原因を「グループの活動のせいだ」とか「ジャニーズというブランドがじゃまだ」と考えてしまうと、どうしたって脱退や解散が頭をよぎってしまうでしょう。逆に個人活動を充実化させ、自分が認められたい方向で認められた場合、無理してジャニーズを抜けたりグループを解散したりする必要がなくなるのではないでしょうか。また、気持ちに余裕ができると、今度はグループでもっと面白いことをやりたい、と思うようにもなるかもしれません。

って勝手に考えただけなんですが、今のV6やKinKi Kidsを見ているとそこまで間違ってもいない気がします。この仮定が正しいなら、メンバーが個人活動を始めたり成功したりした場合に「脱退か!?解散か!?」と騒ぐ必要はなくなるかもしれませんね。

逆にグループ愛が強くて、グループ活動が少ないことに不満を覚えるタイプもいますが、こういった人はまず解散を主張しないと思います。個人活動を望む人がいるならその希望をたてて、年に2〜3回はコンサート、シングル発売、などで集まるドリフ形式が良いのかも。みんながグループ活動を大事にするタイプならこの項目に関する不安はそこまでないですが、どちらにしても個人活動の充実はアイドルの心の余裕につながると思われます。

 

  • ジャニーズ自体が好きなこと

SMAPや嵐の縦横無尽の活躍、また世間のアイドルブームにより、"アイドルが好きなアイドル""アイドルを極めたいアイドル"も増えてきています。憧れの先輩をファンのように慕う若手ジャニーズがとても多いのです。
またベテラン勢も、他の音楽ジャンルとは違った「エンタテインメント」としてのコンサート構築を楽しんでいるように見えます。それは世間から「エンタテインメント性」がある程度評価されるようになったのも大きいかもしれません。最近はロックバンドの人たちが「ジャニーズはやっぱりすごいな」と言ったりしますもんね。

ちなみに私少年隊も好きなので言ってしまうけど、やっぱり少年隊の存在って大きかったんじゃ……と思っています。Before SMAPで唯一解散していないグループだし*6、何より今のJr.も少年隊のパフォーマンスが好きだとあげる人がけっこういる。特に舞台系の人たちは少年隊の歌を歌い続けているため、Jr.の楽屋に少年隊のアルバムが流れていて、曲を聴いた他のJr.が「かっこいいな」と思って披露したりするわけですよ。嵐だって、VS嵐の前室で少年隊のDVDを見て「かっこいいな」と言っているらしいのです。それまで解散していったジャニーズはつまり、自分たちのパフォーマンスをだんだん「子供向け」と思うようになっていったわけですが、先輩のパフォーマンスをすごいと思っていられたら、状況は変わるのではないでしょうか。ふつうの会社員だって、だめな先輩しか残ってないぜ!と思ったら、転職したくなりますし……。

 

  • 事務所の信頼度

やはり「会社への不信感」が大きな理由となりうるわけですから、大事だと思います。

現状はたぶん給料も良いし、マネジメントもそこそこしっかりしてそうだし、何かアイドルにやりたいことがあった場合実現できるような大きな力を持った事務所……のように見えます。今の所50歳くらいまではなんとか働けそうだし、転職などはあんまり考えないでしょう。

ただし、今後の展開次第ではわかりません。今後何か事務所に変化が起こったとして、物理的に割れたりするよりも、そこでぐだぐだして「だめだこりゃ」って思って離脱することの方があるかもしれない……*7


……全体読むとなんか持ち上げすぎでは、という感じですよね。「解散しないこと」を良いことととらえると、そういうトーンになってしまう。でもまあ言ってしまえば逆に、解散しないことによるデメリットも発生しているだろうなとは思います。たとえば若手がなかなか活躍できないとか、事務所が社員を抱えるコストはどうするとか、ずっとアイドルでいつづけることは本人たちにとってつらいのではないかとか。これはもう、若くして活躍できるけどどんどん転職を重ねて働きたいか、なかなか昇格できないし役割から逃げられないけど定年まで勤めるか、そういった選択の話になってくるのではないでしょうか。
ずっとこのままでいられるわけでもないとは思うのですが、それでも私は、君と好きな人が千年続きますように……*8と祈らずにはいられません。

*1:今回のような自著を出している人はだいたい芸能界を引退せずに働いているわけで、「芸能人であることにつかれた」みたいな理由がないですから、それもまた当たり前なのかもしれませんが

*2:東山紀之,2010年『カワサキ・キッド朝日新聞出版,p146

*3:ちなみに同書では「お金と女性について揉めることがいっさいなかったというのが、グループ長続きの秘訣かもしれない」とも書かれています

*4:川崎麻世,1999年『カイヤへ!』マガジンハウス,p85

*5:単純に川崎麻世がすごくお気に入りだったという線もある

*6:ただしAfter少年隊はいくつかグループが解散しているので、少年隊でわけることはできないと思っています

*7:奥歯にもののはさまったような言い方

*8:千年メドレーも続いてほしい

V6担がJUMP担に紹介してみた。第2回「兄組弟組~V6編~」

24時間TVでV6とHey! Say! JUMPが共演することを祝してJUMP担の千紘さんとはじめたこの企画。第1回を発表してから仕事が忙しくなってほんともうこのあと続かないんじゃないかと思いましたがなんとか続けられてよかったです。今回のテーマは「兄組弟組」です。

・第1回

さて知念さんが「BESTと7、トニセンとカミセンに分かれてる。僕らはV6を意識してできたグループなんだよね」と発言されていたとのことでJUMP担の方もご存知かと思いますが、V6も兄組の20th Century(平均年齢41歳)と弟組のComing Century(平均年齢35歳)に分かれています*1

グループ平均でも6歳離れておりますが、一番年長の坂本昌行さんが1971年生まれ、最年少の岡田准一さんが1980年生まれですので、年齢差は約10歳。デビュー当時は岡田さん14歳、坂本さん24歳!わかりやすく言うと、現在のHey! Say! BESTとデビュー当時のHey! Say! 7が同じグループでデビューした、という感じです。むちゃくちゃだ。

それだけ年齢差があったわけですから、やんちゃ盛り生意気盛りチャラ盛りのカミセンとすでに何度も挫折を味わっているトニセンの間にはだいぶ認識の差、経験の差があった……というのが、JUMPとV6の大きな違いかもしれません。現在30代、40代となったことで差はなくなりましたが、6人でいるところを見ると高校生トニセンお兄ちゃんと園児カミセンみたいな感じのイメージを抱かずにはいられないのです。
カミセンは全員160cm台、トニセンは170cm台と身長にも差があることがまた年齢差のイメージを支えています。年下=ちっちゃい、年上=大きいという刷り込みでグループを見ているV6ファンがJUMPさんを見ると、いったい誰がBESTで誰が7なんだ……!?と混乱してしまうことでしょう。

ともかくトニセンカミセンは「大人」「少年(若者)」の役割分担が強固であり、ユニット活動においても色濃く反映されています。トニセンもカミセンもそれぞれシングルやアルバムを出したり、3人舞台や3人ドラマをやったりしていますが、たとえば青春・成長をテーマにした作品であっても、トニセンは「世の中のしくみに従いながらも自分らしく生きようと足掻く大人」、カミセンは「自分らしく生きるためにはみ出しながらもどこか居場所を探す青年」と別の物語になるのです。

デビュー当時の格差について

昨今何かと話題になる「格差」ですが、V6にも存在していました。CDジャケットでも前面に出ているのはカミセン、シングルのカップリング曲もカミセンのみ、新しくはじまるラジオもカミセン。そもそもトニセンはしばらく名前がついておらず、「アダルトチーム」と呼ばれていたくらいです。扱いに対して井ノ原さんは当時から「なんでだよ!」と思っていたそうですが、上の2人は「そういうものなんだ」「いつか報われる」といった態度だったといいます。しかし最近のラジオや雑誌なんかでは坂本さんが「ほんとによく(トニセンは)ここまで来たと言いたい!」としみじみ話していたり、「当時の見た目は……年上3人で舞祭組やれるね(笑)」と発言していたり、思うところはあったのだろうな〜。

ただ格差とはいっても歌割にすごく差があるわけでもなく*2、ダンスパートの振り分けも衣装の違いも活動の違いもすぐに「ユニットの個性による」といえるようなものになったのではないかと思います。私がファンになった2001年頃になると、すでにジャケット写真にも差は見られなくなっていました。坂本さんが「V6のスタッフは平等が好きだから」と言っているように、意外と配慮されてたのかなと。

20th Century

アダルトチームのお兄さんたち。下積みが(当時にしては)長い人たちでした。そこらへんについては私がたっぷり語っていますので、お時間ある人いたらどうぞ。

20th Centuryという名前は「20世紀」「20代*3」といった意味が込められていたそうですが、デビューから数年で20世紀でも20代でもなくなってしまいました。ちなみに「トニセン」という愛称は、ジャニーさんが「トゥウェニーだから”トニ”でいいじゃない!」とつけてくれたそうです。その後、「Johnny’s 2020 world(ジャニーズトニトニワールド)」なんて舞台をやっていたりするから、実は気に入ってたのだろうかジャニーさん。

トニセン3人は少年隊のバックについていたわけですが、95年にデビューしてからも2000年までプレゾンに出続け、準主役級の役をもらいながら少年隊のバックで踊っていました。そういった背景からかコンサートでもジャニーズ伝統芸をふんだんに盛り込み、MASK芸に縁日のお面を組み込んだりとパロディにしてコントまで行ってしまいます*4

シングル3枚、アルバム3枚、他グループのカップリング曲などで約60曲ほどありますが、だいたいの歌のシチュエーションがやたらリアルな上に身近。同棲してそうなラブソング、仕事に追われる日常、どうにもならない人生だけどもがいてみよう……といった内容が多いです。夜更けの自販機に「お前も大変だな」と話しかけたりするんすよ……*5。あとはR&Bっぽいかっこいい歌もあります。そもそもの声質が大人なんですよね。そんなトニセンの曲、断腸の思いでJUMPファンにすすめるならこれってやつを3曲選んでみました。そしてコラボ感を出すため唐突にJUMP担の千紘さんからも感想をもらいましたのであわせてお届けします。

  • Working man (アルバム『Replay〜Best of 20th Century〜』収録)

イントロで「働け~」と言ってくるこの歌の作詞はトニセン。17年前の曲だけど、個人的にはトニセンの基本イメージが詰まってるなあと思います。「笑い返してやる」って感じがとても良い。

千紘:楽しい曲!こういう曲調JUMPにない感じがするなぁ。わーこの曲好きです!ソロのRapやユニゾンの楽しさは、今BESTがカバーしてもすごくハマりそう。だけどこのトニセン作詞の歌詞は平成生まれには歌えない。あくまで「曲の世界を演じる」に留まってしまうと思います。

  • 逢いに行こう (シングル『オレじゃなきゃ、キミじゃなきゃ』収録)

まっすぐに切なく大人なラブソング。BESTさんもこんな歌をうたうようになるんだろうか……!?

千紘:声が超大人だ!何歳からこんな大人っぽい声になるんですか?

*6 物語は違うけど、Hey!Say!BESTの「スルー」と曲調やラブソング度合いは似てるので聴き比べて欲しい!聴く比べるとBESTの声が子供っぽすぎて歌う恋愛がままごとみたいに思えて来たよ!

  • DANCING MACHINE (V6アルバム『READY?』収録)

トニセンに珍しいパーティーソング。すごく好き。

千紘:何で断腸の思いで選んだ曲なのに説明が1行なのか不明ですが*7オシャレなディスコソングですね。ドライブしながら聴きたいくらい耳に軽くて心地良くてこんな曲うちにも欲しい!歌詞のちょっぴりセクシーな感じがいい、そういう意味でもBESTに欲しいです。健全卒業希望!

Coming Century

カミングセンチュリー、略してカミセン。「来るべき新世紀」という意味を名前にかかげた3人組です。

特徴としては、あまりジャニーズ伝統芸に触れていないところかな?と思っています。剛健はジャニーさん演出舞台に全然立っていないんですよね。岡田さんは一応「MASK」をやっているのですが、Jr.時代が短いためかあまりジャニーズ文化の洗礼にそまっていないように思います。カミセン3人でのパフォーマンスを見ると「ジャニーズぽくないな」と思うことが多いです。圧倒的に華があるんだけど、クラスの真ん中にはいない感じ。

デビュー当初が10代前半・今が30代なかばですのでどんどん成長・変化していますが、トニセンと一緒にいるためか、身長が伸びなかったためか、3分の2の声が高い(剛健)ためか、いつまでも若くてやんちゃ、そしてチャラいイメージがあります。スキンシップが過剰気味で、デビュー直後はお尻を噛み合ったりしていたそうです。子犬のようでほほえましいですね!

単独コンサートももちろん行っています。カミセンのコンサートは、クラブ文化を取り入れてる感じ……たぶん……。むかし千紘さんにちょこっと見せたときには「EXILEみたいやな」と言われました。時代時代で流行のダンスミュージックを追いかけ、どこか少し一般社会からはみ出して生きてる感じの曲が多いです。こちらもアルバム2枚、シングル1枚、ほか多数の楽曲50曲ほどからJUMP担に進めたい3曲選んでみました。

  • SPEEDERS HIGH (アルバム『Best of Coming Century 〜Together〜』収録)

「モラルは焼いてしまえ」とか言い出すスタイリッシュオラオラ曲。初めて聞いたとき、カミセンのギャング感におののいたし、鉄パイプを持って戦っててやばい(その後田中聖が継承)。ちょうど今のJUMPさんたちと同じ20代前後のカミセン代表曲だと思う。

千紘:わ、悪ィイイイイイ!!!!!!ほんとJUMPどころかこういうジャンルがどんどんなくなっていくね。鉄パイプもさることながら「ナックルヘッド」という単語も出て来て……若者のバイク離れが気になってきました。ちょっと映像を拝見したのですが、鉄パイプとヌンチャクの殺陣が印象的でした。

  • Hello-Goodbye (アルバム『Hello-Goodbye』収録)

かわいくさわやかなカミセンも!

千紘:可愛い!楽しい!ほっこりする曲*8。この曲は特にですが、ブイは他の曲もいい意味でアイドルっぽくなくて、アイドル以外の普通の?バンドやボーカルグループが歌ってそうな曲が多い印象。上で紹介したスルーと同じく最新シングルと比較しますがHey!Say!7の「KAZEKAORU」もこういう爽やかな曲です。

  • ファイト (アルバム『Hello-Goodbye』収録)

「みなさんがつらいときにがんばれる曲を作りました」というから聴いたらすごい戦えって言ってくるからカミセンらしいな……と思いました。ぜひ7の「ガンバレッツゴー!」と聴き比べてみてください。

千紘:声がめちゃくちゃ可愛い!!天使か!!声の可愛さ7は負けてるのでは!!本人たちが作る応援ソング*9ってとてもいいですね。アイドルの本分。改めてガンバレッツゴーの歌詞を見ると特に誰も励ましてない…*10。「足枷」とか「都会の波」とか7が歌わなそうな単語。やっぱり生きて来た時代の違いを感じます。

まあそんな感じでした!てか平成生まれアイドルと昭和生まれアイドルってそんなに世の中に感じてるつらさが違うの……!?!?JUMP担のみなさま、ふわふわしてないトニセンカミセンのことよろしくね。

*1:そもそもは光GENJIが「光」と「GENJI」にわかれていたのがはじまりなのでしょうか

*2:長野くんだけずっとシングルのソロパートがなかったらしいですが、私もファンなのに全然気づいてなかった

*3:Century関係なくなってる

*4:ここらへんA.B.C-Zと通じるところがある気がする

*5:これは『夜汽車ライダー』

*6:デビュー前から……

*7:曲紹介慣れてなくてつかれたんだ…ごめん…

*8:意外と歌詞はほっこりしないよ!

*9:正確に言うと、プロデュース的な感じで作ったみたいです

*10:そ、そんなことないよ