長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言

お、終わらなかった。でも全15回の方が、キリがいいですからね…。そして岡田さん、お誕生日おめでとうございます!

1995年、7月7日からのPLAYZONE KING&JOKERではトニセン3人そろって出演。坂本さんは別の舞台も決まっていたので、井ノ原さんとWキャストでした。そして青山劇場でプレゾン公演中の7月13日、NHKのリハーサル室でバレーボールの練習に参加したといいます。そう、バレーボールの練習!このときたくさんいたJr.のなかに、いまV6として活躍している6人がいたというのです。やっとここまできました。いやー長かった。

今では恒例となったワールドカップバレーのサポーターですが、はじまりは1995年でした。企画はフジテレビ側からあがってきたそうです。

そして、ワールドカップバレーボールというとおなじみの存在なのが、ジャニーズ事務所のイメージソングとタレントたちだ。1995年大会から始まったもので、発案したのは全日本が今ひとつ低迷していたこの時期、バレーボールファンだけでは全国的なムーブメントが起こせないという危機感を抱いたフジテレビだった。
もちろんバレーボール協会的にはどうなのだろうという心配があった。何しろ、単にイメージソングを作るだけでなく、試合前のコートでコンサートを行なうという画期的な提案だったからである。
ところが、当時協会の会長だった松平は、二つ返事で「そういうのを待っていたんだよ!いいじゃないか、それ」と大歓迎してくれた。*1

94年、4人になった忍者がテレビ朝日『94 FIVBワールドスーパー4バレー』のイメーソングを担当していたので、これが前例として良かったのか(あるいは試し打ちだったのか?) ともかくバレーボールのムーブメントを期待され、ジャニーズの新たなグループの企画は練られて行ったのです。前述の通り、初結集日は7月13日、らしい。

・7月13日はメンバー初集結記念日
岡田:1995年のこの日、NHKのリハーサル室で、バレーボールの練習があったんだよ。そのためにたくさん集まったジャニーズJr.の中に、今のV6の6人が揃ってたっていうわけ。この6人が同じ空間に揃ったのは、このときが初めてだった。新しいグループ=V6のメンバーが誰になるかって、みんな、まだあんまり確信がなかったころのこと。確か、オレも”メンバー候補”だって初めて聞かされたのも、この日だったはず*2

各人の語るデビュー秘話

ここで、各人の立ち位置とデビューについての証言を一度整理しておきたいと思います。引用が多めですみません。一応、著作権的なところでは引用ルール(引用元を示す/引用部分を明確にする/引用文が従である)に則ってすすめてる…つもり…。

■坂本さん
SMAPに入りかけ、TOKIOに入りかけ、忍者に入りかけた坂本さん。1995年7月は引き続きジャニーズSr.を率いて『アイドル・オン・ステージ』に出演していました。坂本さんは、ジャニーさんから直接メンバーの相談を受けていたけど、自分が入っているとは思わなかったと言います。

坂本:V6が結成される2年前くらいにジャニーさんから「こんなグループ次考えてるんだよ」って絵コンテみたいなものを見せられて。別に俺だけじゃなくてみんながいるときにあって、俺バレーボールやってたから、正直仕事も欲しかったから、「ジャニーさん、俺バレーボールやってて、もしコーチいなかったら俺やるよ」って半分冗談で言ったの。それでそのまま忘れて月日がたって、大阪で個人の仕事をやってたのね。ミュージカル。あのときにホテルに電話がかかってきて、こういうV6ってグループなんだけど、メンバーどうしようか
国分:相談?
坂本:相談だったの。前のこと覚えてくれてて、俺コーチだ、でもいいやと思って、で、メンバーこれだこれだこれだこれだって言って、まあ今のメンバーの名前が出てたんだけど「じゃあこれでいこうか」「いいんじゃない」って切って。また次の日かな?何日か後かな?また電話かかってきて、「大阪の体育館でバレーボールの練習するから、YOUおいで!」。まあ全員来なかったんだけども、俺はまあすぐ行かなきゃならなかったから、もう舞台メイクのまんま。ばーっていって、そしたらカメラがまわってるわけ。で俺はうつっちゃいけないと思うから、こうなる(隠れる)じゃん。でカメラ俺をを追う訳よ。なんかおかしいじゃんと思って
国分:舞台メイクだからか!?みたいな?
坂本:でなんか話きいてると、俺もV6の一員になってるの*3

坂本:ぼくジャニーさんに電話で相談受けたんですよ。「V6ってグループあんだけどメンバーどうしようか」って。で、「剛と健がいいと思うんだけど、あともう1人岡田っていうのがいるんだけど、これがいいんだよ」って言ってて。「坂本どうしようか」って。俺に相談ですかって*4

とりあえず、大阪の公演中(8月3日〜30日)に受けた電話で相談されたというのは間違いなさそうだなと推測できます。7月13日に東京で1度練習があり、その後8月にはほぼほぼメンバーが決まっていて、最後の1人をどうするか迷っていた…ということでしょうか。ただ、坂本さんの話に東京での練習が出てこないのがちょっとだけ気になります。話の都合上省略したのでしょうか?また、この話が大体本当だとして、例えばジャニーさんのあげたメンバーの中に長野さんや井ノ原さんが入ってたのに自分はコーチだと思ってたら微妙な気持ちにならないのでしょうか?それともカミセンしか名前出なかったの?マサ…。

当時24歳、Jr.最年長だったという坂本さん、こんな発言も残っています。

「えージャニーズJr.の坂本昌行です。年男をですね、2回も迎えてしまいました。改めて感じました。30までJr.を頑張ろうと」*5

この直後にデビューが決まったわけですから、良かったですね、ほんとに…。「デビューしたかしてないかのときに、ジャニーさんに普通に『あれYOU子供いくつになったの?』って言われたの*6」というエピソードもここらへんかもしれません。もし坂本さんに子供いると思っててデビューさせてたらすごいですよジャニーさん。

■三宅さん

ここにもう1人、デビュー時の鍵を握る人がいます。それが「剛健コンビ」として人気を博していた三宅さんです。森田さんより少しあとに入った三宅さん、次世代Jr.のワントップ状態だった森田さんのシンメへと昇りつめ、仲良くなっていきます。今も続いているMyojoの「恋人にしたいJr.大賞」では、森田さんと同率1位という結果に。『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら(TBS系/1994年7月8日〜9月23日)』『負けてたまるか!100円おばちゃん(TBS系/1995年4月17日)』『とっても母娘(TBS系/1995年1月4日〜2月17日)』などドラマにも出演していました。実は、一番最初にV6メンバーとして決まっていたのは三宅さんだったというのです。

森田:多分健が一番最初に決まってて。
三宅:ジャニーさんから直接「V6やらない?」って言われて。剛は入らないの?ってきいたら、「入らない」ってジャニーさん言ってて。「じゃあやりたくない」って言って。まず、この人が入って、じゃあ次どうしようかみたいな話で。*7

三宅:多分あいついなかったら、デビューしても、そんなに売れないだろうなと思ったの。15歳のときに。っていうのもあるんだよ。あの時言わなかったんだけど、ジャニーさんに言われたわけよ、剛が入ってないんだったら、やりたくないって話をして、そしたら「どうすんの!お前剛が入ったら、一番になれないじゃない!」つって。

その当時ジャニーズJr.の間で、人気だったんですよ僕たちが。1番2番を争うような感じで。自分で言うのも恥ずかしいですけど(笑)。「お前剛が入っちゃったら、1番になれないじゃない。それでもいいわけ?」ってジャニーさんに言われて、それでもいいから、森田君を、いれとくれよ。ってなって、入ったわけですよ、あの人が。*8

剛健…剛健…!!!この話がいつ頃なのか…7月の練習時には既に知っていたのか?気になるところです。社長がV6を三宅さんワントップ構想で進めようとしていた事実も驚きですが、15歳で「剛と一緒じゃないと売れない」と考えた三宅さんすごい嗅覚です。ちなみに私のバイブル・『どーにかしたい!!』でも1995年7月の剛健の姿がレポートされています。

・森田君とはとっても仲良しらしく、彼が見当たらないと「剛くんは?」と言って落ち着かない三宅君でした。

・(森田君は)とにかく三宅君と仲良しなんだなぁーーという印象。いつも2人でいるし、サツエイ中も意味なく見つめあったりして。テレパシーで通じてんのかと思うくらい。ファミコンも2人でやってたしね。(中略)もちろんサツエイのあいまも2人は一緒。鏡の前でダンスのおさらいをしているところを目撃!*9

剛健って…すごいですね…。

■森田さん
一方の森田さん。『半熟卵(フジテレビ/1994年)』『大河ドラマ八代将軍吉宗(NHK総合/1995年)』『毎度おジャマしまぁす(TBS/1995年4月〜6月)』『ミラクル仮面高校生(テレビ朝日/1995年7月)』などTVドラマにも多数出演していました。また7月27日に行われた新高輪プリンスホテル・飛天の間『夏だ!祭りだ!こどもカーニバル ジャニーズJr.ミニライブ』でも三宅さんと一緒にメインをつとめたそうで、これは初めてのJr.名義のコンサートだと言われているそうです。

森田:バレーボールの大会があるから、そのイメージキャラクターとしてグループを作るってまず言われて、で、まずバレーのボールを使って歌をうたってみるからどうだいってことで。
国分:言われたんだ。そこでまず剛は、何言ってんだいって思った訳でしょ?(笑)
森田:思っちゃったんですよ。(中略)それでバレーの練習しようかってことで
国分:バレーボールの練習したの?
森田:6人以外にも、何人かいたんですよ。10何人くらいいて、6人でけっこうまじめにこうやってたんですよ。トスとか、レシーブとか。それがよかったんですかね、気づいたら…この6人でってことになってたらしい(笑)
国分:バレーボール真面目にやってたひとがV6だったの!?
森田:はい*10

この「練習」が7月の練習だったのかな?なぜ現場に数いたJr.のなかからこの6人が集って練習していたのかは気になるところです。まあ上の3人なんかは、「これはデビューのチャンス、真面目にやらなければ!」とカンが働いていたのかも…。そして三宅さん、森田さんは既に「このグループに自分たちが入る」と知って真面目に練習していたのかも。またこのデビュー秘話を語ってるときの森田さんは、本当は三宅さんが最初に決まってたのを知っていたけどだまっていたという事情もあって、かなり話がざっくりしているところは考慮に入れた方がいいかもしれません。

■井ノ原さん
定期的にドラマや舞台で良い役をもらいつつ、事務所に内緒で学生演劇に参加したりもしていた井ノ原さん。

井ノ原:NHKの709リハって大きなリハーサル室、誰がくるのかなと思ってたらたくさんJr.の子達が来て、あのなかの1人が最後に決まるのかなーと思ってたの。
長野:バレーボールの練習で集められて
井ノ原:で、岡田は大阪から出て来たから誰も友達がいないわけですよ。岡田は大阪からきたから友達がいなくてぽつんとしてたの。それで、一緒にやる?って誘ってあげてたの。他のJr.の子達はすごい仲いいから、勝手にすすめて遊んでたわけ。したらたまたまそこにジャニーさんが来て、お前らバレーボールで呼んだのに信じられないよ。バレーボールやってんのあいつだけじゃないの!つって岡田が指差されて*11

このNHKのリハというのが7月13日の話なら、メンバー決まってはいなかったんじゃないのかなあ…と思う訳ですが、そこんとこどうなのでしょうか。森田さんの話と合わせると、ある程度先を見据えてまじめに練習していた5人が、ぼっちだった岡田さんを加えた…というあたりなのかもしれません。

■岡田さん
天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のジャニーズ予備校というコーナー、1995年2月26日放送*12の回で入学試験を受けたのが岡田さん。見事合格となり、その後もロケに出たりしながら、急にデビューが決まったと語っています。

岡田:人前で、ファンの子がいてくれて、そこの中を突き抜けろとか、わーって突き抜けたり、そういうロケがずっと続いたんです。それでも2回〜3回くらいやったら急にまあなくなって「終わったんだな」と思ってたら社長から電話があって、今大阪で例えばTOKIOさんがコンサートやってる、KinKiがやってるから、ちょっと来いって言われて行って、こう外周っていって外を何百人で踊ってて。で夏休みに東京で仕事があるからって社長に、ジャニーさんに言われて。行ったらもう、V6ですみたいな感じになってたので。(中略)夏休みだったときに東京に来いって言われて来たら、youバレーボールできる?ってきかれて、僕ふつうって言って。「練習来なよ」って言われて練習行ったら、もう事務所が家族と連絡をとってて、転校させられてたので*13

岡田:大阪で、舞台終りの坂本くんと初対面して挨拶したんだけど…舞台メイクのまゆ毛か化粧がめちゃめちゃ濃くて、「よろしく、坂本です」って言われたんだけど、”濃い~”って思った(笑)。*14

大阪でコンサートバックなどをつとめたあと、7月の東京の練習に呼ばれて、1回また大阪に戻って練習に参加したときにはすでにV6としてメンバーと挨拶した…ということでしょうか。ただ、7月にメンバー全員とバレーボールしていたのに坂本さんとは大阪で初対面だったの?などここも若干謎が残りますよ。大阪の練習に参加していたのが誰だったのか気になる。当時の密着映像などがあればわかるのかもしれないです。

話をまとめますと…

さて話がごちゃごちゃしてきましたね?長くてすみません…みなさんついて来ているでしょうか…一度まとめてみましょう。

・1993年〜1995年夏あたり?
フジテレビは例年通りワールドカップバレーの放映を予定していたが、全日本が低迷していたため盛り上がりに欠けると危惧、ジャニーズ事務所に持ちかけてスペシャルサポーターとして新しいグループをつくり、コート内でも歌わせようと企画した。日本バレーボール協会も新しい試みだと快諾し、アイドルグループがバレーボールの中にマイクを仕込んで歌ったり、レシーブやトスが振り付けに組み込まれたパフォーマンスの絵コンテが作られた。それをジャニーズJr.に見せる社長。「なんだこれは…」と驚くJr.たち。坂本さんは「バレー部だったから、コーチならやるよ」と言う。

・1995年夏?
三宅さん、ジャニーさんに「V6やらない?」と言われて、「剛がいないならやらない」と言い放つ。

・1995年7月13日
NHKの大きなリハ室に、ジャニーズJr.が10何人も集められる。その中には大阪から呼ばれた岡田さんもいた。真面目に練習する5人、岡田さんは友達がいなかったので一緒に練習する。他のJr.は遊んでしまっていた。

・1995年8月
坂本さんにジャニーさんからメンバー相談の電話。今のメンバーはほぼ名前が出ていて「1人岡田っていうのがいるんだけど、これがいいんだよ」と言われる。数日後に、大阪の体育館でバレーボールの練習があるからおいで、と言われて舞台メイクのまま直行、岡田さんをビビらせる。コーチだと思って行ったが、カメラがまわっていて、自分もメンバーだと知った。その後東京に行った岡田は、いつのまにか転校の手続きをさせられていた。

・9月4日
V6デビュー記者会見

 

…バレーボールの練習が7月のNHKリハーサル室と8月の大阪の体育館だけだったのかは、定かではありません。とりあえず、すくなくとも2回練習があって、かつ8月の方ではすでにメンバーが決まっていたということは確かなのかな、と思います。そしてメンバーの話すエピソードについては、2つの練習の記憶が混じってそうだな、という気もするのですが、今のところの情報から推測できる流れとしては上記が妥当なのかなと。さて、この中に長野さんがどう入ってくるのか…次回、最終回!の予定です。

 

・これまでの話 

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:『【男子バレー】春高バレー、ジャニーズとのコラボ…松平康隆のメディア戦略』集英社『web Sportiva』/2012年3月11日

*2:たぶんポポロ…?誌面をお持ちの方は教えていただけると大変うれしいです

*3:『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2007年01月21日

*4:『Music Lovers』TBS/2013年2月10日

*5:元映像は『アイドル・オン・ステージ』NHK BSプレミアム/1995年、『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2011年2月18日

*6:『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2011年2月18日

*7:『Music Lovers』TBS/2013年2月10日

*8:三宅健のラヂオ』bayfm78/2013年3月4日

*9:『どーにかしたい!!』第2巻P176-177/湖東美朋/講談社

*10:『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2006年07月16日

*11:『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2014年01月21日

*12:おそらく…TV北野ガイド参照

*13:『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2009年05月17日

*14:『ポポロ』麻布台出版/2010年11月号