読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成?

1994年9月21日、ついにTOKIOがCDデビューを果たします。TOKIOには入れなかったトニセンですが、同じ頃に活躍していたのがジャニーズSr.、のはず。ジャニーズSr.とは、坂本昌行長野博・井ノ原快彦・佐野瑞樹原知宏喜多見英明の6人で結成されたユニットです。主な活動場所は『アイドル・オン・ステージ』。
このジャニーズSr.、坂本さんが社長に言われて自らメンバーを集めたといいます。スカウトマンばりにいろいろな人に「俺とやらないか」と電話をかけていたそうです。社長が坂本さんに「メンバーを集めろ」と言ったのなら、よっぽど才能を認めていたんじゃないかという気がしますよね。

井ノ原:そんときは坂本君から直々に電話がきたの。多分ジャニーさんから、坂本メインで歌っていいよと。で、長野はいるだろうと。あとは坂本がやりやすいやつちょっと集めてくれみたいな感じで。電話が来たんですようちに。

坂本君がさもエージェントみたいな感じで、俺にオファーをかけてくるわけですよ。『ああ、もしもし?』つって。『今度その、NHKの番組で、俺歌うんだけど。お前もぜひ参加してほしいんだ』つって。で俺も『ありがとうございます!!』みたいな感じで。『歌っていいんですか!!』て言ってたんだけど、実際僕のマイクは入ってなかったんですよ(笑)*1

「長野はいるだろう」という考えの出所が社長なのか坂本さんなのか井ノ原さんなのか若干気になるところですけども!

結成時期

ジャニーズSr.結成時期も諸説あり、Wikipediaなど見ると1995年となっています。が、どなたかがあげてくださってる『アイドル・オン・ステージ』のリストによると、シニア名義で出演しているのが1994年10月〜1995年2月、1995年6月〜1996年3月(デビュー後)と変則的っぽいんですよね。空白の期間は、坂本さんも長野さんも井ノ原さんも舞台に出ていたからなのかなーと思うのですけど…。手元の資料によると、1994年6月の公開収録時に初めてジャニーズJr.名義で『俺んち来るべ』披露*2とあります。そして当時を知るハヤヲさんのブログでも、下記のように紹介されています。

・GWに公開録画
・初めてJr.が歌うコーナー披露、森田剛さんメインの『MEN’S BUGI』と『俺んち来るべ』だった
・メンバーは「いのはら、佐野と原ちゃん」「ツインボーカルの一人が長野くん」
ツインボーカルのもう1人はわからなかったけど、「オンエアで流れたのは…。フレッシュ感のないベテラン風の低音で歌い、キレッキレに踊り倒すもっさん(坂本さん)でした」

このときは「ジャニーズJr.」だったようですが、メンバー構成もSr.といっしょなので、坂本さんスカウトは同時期と見て間違いなさそうです。元々「ジャニーズSr.」という名前ではなかったのに、冗談で「俺たちもうJr.じゃないよな」と言っていたら表記がいつのまにか「ジャニーズSr.」になってしまったと長野さんも語っていました*3。初期は他のJr.も周りで踊っていたことがあるそうで、単純に坂本さんをメインで歌わせる際にメンバーを選ばせたものに、名前がついてユニットぽい扱いになっていったのかなという気がします。坂本さん以外のメンバーは普通にJr.として他の曲にも出てますしね。うわあ。
そうなると何があれかというとこの1994年5〜6月くらいの期間、坂本さんには「TOKIOのコーラスメンバーとして松竹座に参加」「忍者のメンバーに誘われる」「アイドル・オン・ステージでメインで歌うためにメンバーを集める」というできごとが立て続けに起こった…のかもしれないのですよ*4。もう安泰な感じしますよね…。就活でたとえれば、第一希望の三次面接までいって、インターン先の会社にも誘われてて、バイト先ではリーダーを任される、的な状態。意識高くなってしまう。このいろいろなことが起こった時期がはっきりしないので、もちろん私の想像にすぎないことはご了承ください。

そこから結局TOKIOメンバーにはなれなくて、忍者入りも断ってしまって、8月のTOKIOデビュー記者会見の前日に坂本デモテープ事変(前回参照)がおこるわけですから…泣けます。ただあとから調べたら、坂本さんが「(記者会見前日、TOKIOに入るかと)言われて悩んだけど、入らなくて良かった」と語ってた…という城島さんの証言別バージョン*5もありまして。え、坂本さんが電話かけたんじゃなくて社長が言って来たんですか? どっちなの? もうみんな話が経年変化していくので、忘れられてしまう前に徹底的に記憶をあらう企画を求めています。

前回コメントをいただきまして、経緯がわかりました! 

ジャニーズSr.のパフォーマンス

さてジャニーズSr.、私もファンになってからいろいろと見せてもらいましたが、メインでマイクを握っているのが坂本さんと長野さんの2人であったことにまず驚いた覚えがあります。坂長、ちゃんと推されてたんじゃないの! と。イメージとしては、もっとずっとバックで陽の目を見ないようなJr.時代でした。ごめんなさい…。ちゃんとデビューできているのだから、ユニットとして独立してマイクを持つメインメンバーではあったんだなあと感心したものです。

ジャニーズSr.が披露していた曲はこんな感じ。

・HEAVEN (少年隊/PLAYZONE’90 MASKで披露)
・Dance (少年隊/PLAYZONE’93 Windowで披露)
・Cool (少年隊/PLAYZONE’94 MOONで披露)
・ダンス ダンス ダンス (少年隊/PLAYZONE’90 MASKで披露)
・急げ! 若者 (フォーリーブス/少年隊がVHS『少年隊』で披露)
・Nightless Girl (近藤真彦)
・俺んち来るべ (林田健司)

見てわかる通り、ほとんど少年隊の曲です。私が一番好きなのは『Dance』です! 『俺んち来るべ』については、振り付けの先生がいなかったので「自分たちで振りをつけた」と語る長野さん*6。一体どういう状況だったんだろう。
このジャニーズSr.は名前の通りとにかくアダルトな雰囲気で、ひとが「アイドル」と聞いて思い浮かべるようなフレッシュさやキラキラがまったくありません。かといって美しい妖しさがあるわけでもない。常に夜のにおいを漂わせ、時代もあると思うのだけど照明も衣装もどことなく暗くて妙に安っぽく、絶対借金とかしてそうな6人組なんですよ! 技術的にはすごい方の人たちがほとんどのはずなのに…。今の舞台系Jr.の方が健康的でさわやかなんじゃないかな。でも、その安っぽい夜のにおいがどうにもたまらなく魅力的なんですよね…。ホストとかヒモとかの感覚に近いのかな? 不思議なユニットです。

アイオンの裏側

アイオンについては面白い資料がありまして。それが「ジャニーズ事務所公認マンガ」として話題になった『どーにかしたい!!』(湖東美朋/講談社)です。元ジャニオタの主人公が弟をジャニーズのオーディションに送りこむところからはじまるこのアイドル漫画、『別冊フレンド』1995年2月号より開始したのですが、連載前Jr.取材に行った様子が、単行本のなかで紹介されています。取材が94年11月頃とのことなので、やっぱり既にSr.結成していたんじゃないかなあ。

■マンガ内に紹介されているアイオンの様子*7

 ※矢印(→)のあとは私の感想です。


・リハーサル室にて、先輩のビデオを見てダンスをチェックするJr.たち
・マネージャーは21歳→若い!
・先生は外国人。→サンチェさんではないですね。
・リハーサル室でのレッスン終了後、本番で踊るメンバーを決める。今までのレッスン経験を基準にしているので、どれだけレッスンしているかがTVに出るポイント。→レッスンにたくさん出て、ちゃんと踊れる曲のレパートリーが増えるほど、出られる…みたいな感じっぽいですね。取材時は「君の瞳に恋してる」だったらしい
ジャニーズSr.のレッスンは別の日に行う。Jr.の3倍くらい厳しい
・そろわない人だけ1人でやらせたり、逆にうまい人を真ん中で踊らせてお手本にしたり
・一番年下の原君は連絡係となって走り回る
・レッスン後は井ノ原さんが坂本さんをマッサージ。自然な上下関係ができている体育会系。→まだ井ノ原さんが坂本さんに敬語だったころでしょうか(長野さんにはずっとタメ口)。
・坂本さんは終わったあとジムへトレーニングに行くと去っていった

Jr.の3倍くらい厳しいSr.レッスン、燃えます。今の少クラとどれくらい事情が変わっているのかはわからないまでも、なんとなく雰囲気は変わらないのかな、などと想像してしまいますね。

またこの取材時(おそらく)に長野さん井ノ原さんにジャニーズJr.の話をきいて、話の展開に生かしたとか。

井ノ原快彦さんと長野博さんがそりゃあもうおもしろおかしくいろいろ話してくださり、キャラクターのチェックまでしてくださり、物語にリアリティを与えて下さったのでした。だから、「協力/ジャニーズ事務所」の下に「監修/井ノ原・長野」と入れたいくらいなのだ。(中略)別れぎわに、はずかしそーに「あっ…僕ら『まんがの森』寄ってくんで…」と言った井ノ原くん、すかさず「『まんがの森』寄ってちゃだめだなぁ俺たち(笑)」とフォローする長野くん。*8

この売れてない感じ…いいですね…。このコンビはバラエティ番組『超人ドッジボール伝説』(関西テレビ/10月17日~12月12日)にも出演。これはKInKi Kids&Jr.チームと俳優の山田雅人さんチームが対戦、勝った方が中居・草なぎ・香取・長野・井ノ原・喜多見の「超人ドリームチーム」と戦うという構成だったそうです。「全然弱かった」「勝てないまま番組が終わった」*9と語っています。

なんと1994年はここでも終わらない…! もうちびっとだけ続くんじゃよ…。ほんとすみません、まだ続くの? と思われるかと思いますが全14回くらいで終わる予定です…。

 

・これまでの記事 

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (10) 1994年(前)・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2009年2月15日

*2:『ポテCHAN』学研/1997年4月号

*3:『今日は一日”ザ・少年倶楽部”三昧』NHK-FM/2012年6月17日

*4:前回最初、忍者に誘われたの9月頃かなと書いていたのですが、忍者のお2人の脱退が5〜6月ごろとのことだったので訂正いたしました。すみません

*5:城島茂TOKIO CLUBTBSラジオ/2004年7月31日

*6:赤坂泰彦のサタデーリクエストバトル』ニッポン放送/2004年6月11日

*7:『どーにかしたい!!』第3巻P168-169/湖東美朋/講談社

*8:『どーにかしたい!!』第1巻P27/湖東美朋/講談社

*9:V6 NEXT GENERATIONJFN/2014年10月25日