1991年、長野さんはまだフェードアウト中です。長い!
・主なできごと
5月 堂本光一、堂本剛入所
8月 PLAYZONE’91 『SHOCK』
9月 SMAP『Can't Stop!! -LOVING-』でCDデビュー、佐野瑞樹入所
・世間のできごと
ジュリアナ東京オープン、雲仙普賢岳火砕流発生、ソビエト連邦崩壊
・トニセンのできごと
フェードアウト中の長野さんは1990年3月には普通の学生として高校生活を終え、「これからはIT」と情報処理の専門学校へ進学しています。普通の専門学校生として過ごしながらも、芸能界には少し未練があったと語る本人。家でTVを見て、少年隊が出ている番組を録画して、自分で振りを覚えたりしていた*1そうです。
このころの長野さんは学校に通いながらアルバイトをしていました。最初は和食系のファミレス、ホールとキッチンの間であんみつとか作ってたらしい。か、かわいい。そこから引き抜かれて居酒屋のバイトへ*2。高校終わりかけだから時給750円ね、と言われたのに給料を見たら高校生時給の720円になってて「クソ店長!」と思ったこともあったそうです*3。後に調理師免許をとった際に、居酒屋でのアルバイト経験が役に立った…のかはわかりません。
また専門学校時代は、井ノ原さん曰く「パチスロで食ってた」こともあるらしいです*4。これはちょっと盛られてそうですが、パチスロにはまって目押しできるのは本当らしい。事務所復帰後のお話の可能性も…まあどちらにしても高校を卒業しているので法的には問題ないでしょう。
これは余談のようなものですが、1991年6月に坂本さんがやっていた『先生のお気に入り』(TBS)というドラマがありまして、この内容を長野さんがすごく詳しく話すんですよね。自分は専門学校に行きながら、毎週連絡をとっていた坂本さんの活躍するドラマを今でも覚えているくらいちゃんと見てたのかなあ、その時どういう気持ちだったんだろう…と考えてしまいます。
…と、切ない気持ちにひたっておりましたが、ドラマに出ていた「LLブラザーズ」のまねをしてホームで踊っている坂本さんを覚えているなどと言っているので、普通に会っていたのかもしれないです。同時期の井ノ原さんは『湘南ペンション通り』(TBS)という昼ドラに出演。スタジオが近かったのでLLブラザーズを見に行ったら坂本さんに「来てくれたのか」などと言われたという微笑ましいエピソードもあります*5。
結局坂本・長野がやめていた時期はいつなのか
ところでこの、坂本・長野の「復帰時期」については謎がのこる部分ではあります。特に坂本さんについては何が何やら矛盾がありすぎてわかりません。この謎に挑む研究者(トニセンファン)は多く存在したが、未だ解明されないままだという…。坂本辞め時期について、現在有力とされている説は2つです。
【A】1990年6月〜1991年6月
【B】1991年10月〜1992年4月
なぜこれほどまでに特定が難しいのでしょうか?情報をいったん整理してみます。いろいろややこしいので、結論を知りたい方は数十行読み飛ばしていただければ幸いです。
(1)1989年9月24日放送 平家派、NHK「フラッシュ&ジャンプ」出演
→坂本・長野隣同士で踊っている。
(2)1989年10月10日放送 NHK「フラッシュ&ジャンプ」に平家派の文字
→出演は未確認。
(3)1989年10月26日 松岡昌宏入所
→入ってきたとき坂本&長野はいなかった。
長野「高2(1989年)の半ばからフェードアウトした」という言葉と一致。
(4)1990年6月17日 坂本昌行、ABCヤングアイドル野球大会出場
→坂本昌行(TOKIO)として出る。
(5)1990年7月1日〜9月23日 坂本昌行、『ヤンヤンもぎたて族』で復帰?
→「ヤンヤン」の仕事で逗子マリーナに1泊したとき、坂本君が戻ってきた…という松岡の証言。みんなが「坂本君だ!」と言っていて疎外感を持つ。*6
(6)1991年5月5日 KinKi Kids出会う
→1991年5月5日の光GENJI横浜アリーナコンサートではじめて出会うと本人たちが証言。
(7)1991年?月?日 坂本昌行、電車でKinKiに出会う?
→電車のなかでKinKi Kidsに出会って「今何してるんですか」と言われて答えられなかったことが情けなくて事務所に戻りたいと思った坂本さん。2人とは多少面識があったと証言。*7
(8)1991年6月9日 ABCヤングアイドル野球大会
→出演は未確認。「戻って来てすぐの仕事が野球大会だった」というエピソードがある。*8
(9)1991年6月28日〜9月20日 坂本昌行『先生のお気に入り』出演
→坂本さん出演ドラマ。事務所にいたことは確実。
(10)1991年7月24日 坂本昌行、20歳の誕生日
→「20歳をすぎたころ就職した」という証言。*9
(11)1991年10月 坂本昌行『FRESH BOYS』という煽りで雑誌に載る
→井ノ原と一緒に雑誌*10の撮影。「Jr.なのにヒゲばりばり」*11
(13)1991年12月31日 第42回紅白歌合戦
→井ノ原「長野君とおれなんて紅白のバックで参加したとき、愛は勝つ(KAN)のバックも頼まれた」*12
(14)1992年3月 長野博復帰?
→「事務所を離れて2年半」「専門学校に入って1年くらいたったころ」「次の日から少年隊のコンサート」などの証言。
もう、芥川龍之介の『薮の中』みたいじゃないですか?(3)以降はほんとにめちゃくちゃです。坂本さんは本当にいつ辞めていたのでしょうか?ここで2つの説をもう一度振り返ってみましょう。
【A】1990年6月〜1991年6月
(3)松岡「入って来たとき坂本君はいなかった」、(8)復帰後初仕事は野球大会、などの証言と一致。
【B】1991年10月〜1992年4月
(10)20歳を過ぎた頃就職した、(7)KinKi Kidsと会って復帰、などの証言と合致
故意なのか本当なのか天然なのか、近年の坂本さんが話すエピソードはどうも【B】を想定しているように思います。でもそうなると、(3)松岡「入って来たとき坂本君はいなかった」という証言はどうなるの?とか、辞める直前に(11)1991年10月 坂本昌行『FRESH BOYS』という煽りで雑誌に載るっておかしくない?とか、いろいろ気になる点が多いのです。特に(11)については、1990年頃まで散々平家派として雑誌に載っていた坂本さんが『FRESH BOYS』と呼ばれるのだから、復帰後の可能性が高いのではないかと推測できます。というわけで私は【A】説推しです。
[A]説を検証する
私なりに推理すると、固有名詞や年などは間違えやすいけど、人に対するエピソードはけっこう合っているのではないかと思うのですよね。とりあえず坂本さんまわりで言えば、(3)松岡入所時に坂長がいなかったことや、(7)電車でKinKiに会ったこと、(8)復帰後の仕事が野球大会だったこと、などはだいたい合ってそうな気がする。ただそうなると、 (4)(5)(7)の時期などがおかしくなるのです。
まず(4)松岡入所後に野球大会に出ている件については前回、「年に2回の野球大会にしか出ていなかったから、面識がなかったのではないか」と推測しました。(5)『ヤンヤンもぎたて族』で復帰説については、当該番組が1990年9月で終わっていることから考えると、【A】説だとKInKI入所前に復帰していることになってしまうし辞め時期が3カ月くらいになってしまう、【B】説だとそもそも辞めていないので、どちらもおかしいことがわかります。これはやはり松岡さんの「ロケ先で坂本くんが戻ってきた」という記憶だけが正しく、番組については誤っていたのではないでしょうか。後番組の「満員御礼! 学園キッズ」「SMAP学園キッズ」あるいは「アイドル共和国」などと間違えていたのかも…。(7)については、【A】説だと、坂本さんはKinKiが入所する前に事務所を辞めているはずなので、面識があったはずはないという最大の矛盾が。KinKiとは会ったことなかったけど、一緒にいた人とは面識があったのかも…?むりやりすぎるでしょうか。坂本さん「あ、お久しぶりです…」一緒にいた人「この人、前までジャニーズにいたんだよ」キンキ「今は何をやってるんですか?」坂本さん「……ッ!!」的な物語が…と勝手に想像。
逆に【B】説を採ると疑問が生じるのは(3)(11)くらいなので、こちらを推す方の気持ちもわかります。ただやはり(3)松岡さんの「入って来たときいなかった」発言はけっこう重要だと思うのです。【B】説だと、坂本さんが辞めたのはドラマ『先生のお気に入り』以降となるので、そんな有名Jr.を松岡さんが覚えていないはずない…よね…?前述したとおり、辞める直前に「FRESH BOYS」として雑誌に載るのもやはり不自然に思います。
ついでに長野さんに関しても微妙に(13)(14)が矛盾しておりますが、これは(13)紅白のバックを一緒にやった、が井ノ原さんの記憶違いなんじゃないかなーとふんでいます。1992年春復帰というのは本人の発言ともあってるし、「少年隊コンサートの前日に復帰した」ということから、自然としぼられるでしょう。
結論
ということで、私は【A】説を主張いたします。こんな流れではいかがでしょうか。
・1989年10月ごろ 長野フェードアウト&松岡昌宏入所
・1990年3月 坂本 高校卒業&旅行代理店アルバイト?
・1990年6月 坂本 野球大会出場。仕事が年に2回の野球大会だけだったので辞める (松岡は面識なし)
坂本・長野辞めている時期(連絡を取り合う)
坂本、アルバイトしていた旅行代理店に就職。1年弱働く。
・1991年4月 長野、高校卒業後専門学校に入る
・1991年5月 KinKi Kids 入所
・1991年5月〜6月 坂本、KinKiと会う(本人たちと面識はなし)。国分に電話。
・1991年6月9日 坂本 野球大会で復帰後初露出?
・1991年6月28日〜 坂本 ドラマ『先生のお気に入り』
・1991年10月 雑誌掲載
・1992年3月 長野復帰?
・1992年3月〜4月 長野・井ノ原 少年隊ツアー参加
・1992年4月 坂本 舞台「阿国」
・1992年5月 坂本・長野・井ノ原 舞台「SHOW劇’92 MASK」
すっきりしましたね!ただ、こちらもいくつか疑問要素はありまして。これを書いたあと発見した1991年6月9日の野球大会の映像を見たら、坂本さんの姿は見つからない…あれ~??映ってないだけだろうか?井ノ原さんは名前が出ているのに…。また、復帰後即ドラマ『先生のお気に入り』に出てるって、どんだけ撮って出しなの!?という点も気になる。
ちなみに先日OAした『Music Lovers』*13で出て来た年表には、「92年 坂本一時期事務所を辞める」「93年 坂本事務所復帰」と書いてありました。でも92年はさすがに…坂本さんたくさんお仕事しているので、ここで辞めたとは考えられないです。坂本さん、記憶があいまいすぎるのか?もしくは設定を変えたの?とにかくどれが正しいのか教えてくださいよ!
・これまでの記事
長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over
長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over
長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over
長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over
長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over
長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over
・このあとの記事
長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over
長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over
長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over
長野博Jr.時代 (11) 1994年中編・ジャニーズSr.結成? - over and over
長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over
長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over
長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over
長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over
*1:『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2007年9月16日
*2:『俺たち×××やってまーす』MBSラジオ/1999年3月7日
*3:『V6 Next Generation』JFN/2014年8月30日
*4:20th Century『Precious Lφve』2000年2月5日
*5:『V6 Next Generation』JFN/2012年7月21日
*6:『V6 Next Generation』JFN/2009年8月29日
*7:『ザ少年倶楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2007年01月21日
*10:『POTATO 1991年11月号』学研/1991年10月7日発売?
*11:『ザ少年俱楽部 プレミアム』NHK BSプレミアム/2008年3月17日
*12:『V6 Next Generation』JFN/2012年1月7日
*13:『Music Lovers』TBS/2013年2月10日