長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話

やっと…やっと戻ってくるよ!あの男が!ちなみにここから5,000字程度あるのですすみません…長い…。

・主なできごと

森田剛入所

・世間のできごと
育児休業法施行、バルセロナ五輪就職氷河期元年

・トニセンのできごと

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芸能界に未練を持ちつつも、自分からはアクションを起こせなかった長野さん。「勇気もなかったし、どうすればいいのかとにかくもうわかんなかった」なか、1本の電話がかかってきました。

長野:専門学校いって1年ぐらいしてから、事務所から電話があったの。
「youなにやってんの?」
「あー専門学校いってる」
「あの、ミュージカルのオーディションあるんだけど、受けてみない?」
いきなり!2年半あいたのに!今もやる気ある?みたいなこと言われて。これもまあ、好きだったし、電話きたのもチャンスかなと思って「ありますあります」って言って。2年半あいてるし、どのくらい踊れるかわかんないから、明日レッスンがあるから、1リハ(テレビ朝日第1リハーサル室)来てって言われたの。*1

ジャニーさん、直接電話かけてくるとは!しかもオーディションの話。もしかして他にも声かけてたのかもしれないけど…1988年の項でも書いたように、例えばあのとき長野さんが金八のオーディションに受かってドラマに出ていなかったら、こうやってジャニーさんが電話をかけてくることもなかったのかなあとか考えてしまいます。

長野:で、行ったわけですよ。その時に井ノ原と再会したの。俺より背が高くなってて。(やめる前は)ちっちゃかったから。「長野くーん!どうしたの?」って。「いや俺呼ばれてさ」って言って踊ったわけですよ。そしたら「まあ大丈夫だね、踊れるねえ。じゃあさ、ミュージカルやめて、明日から少年隊のツアー一緒にいっちゃいなよ。まわっちゃえばいいじゃない」ってジャニーさんに言われて。俺も別に断るあれもないし、ミュージカルがいいっていうあれもなかったから、「ああ、はい」みたいな。*2

「おちびちゃん」が2年半で自分より大きくなってむかえてくれたとは。このツアーがおそらく、1992年3月11日~4月12日に行われた「少年隊 ’92 SPRING CONCERT」だと思います。明日ゲネプロ、くらいのギリギリのときに急に少年隊ツアーにつくことになった長野さん、一晩で全曲分の振り付けを教えてもらい、翌朝一睡もせず学校へ向かった井ノ原さんにごめんね〜と謝りながら(ただし心の中で)合宿所で眠りについたらしい。戻って来た〜という安堵やもう1回チャレンジできるんだという気持ち、振りを覚えた充実感やこれからの期待など入り交じって目を閉じる長野さん…を勝手に想像して(想像でした)、トニセンがドラマ化とかしたらすごくいいシーンになるよーここ!!と思ってるんですけどね。全然そんな企画はきいたことないですけどね。私の頭の中だけ…。

井ノ原さんの気持ち

井ノ原さん側はどうだったのでしょうか?「なーのくん」が戻って来てくれて、うれしかった気持ちもあったのでしょうが、状況を見てみると…たとえば、当時は振り付け師がいなかったから井ノ原さんたちは昔のビデオを見ながら必死で1カ月かけて振りを起こしていたらしく、それを急に教えなきゃいけなかった。大変だっただろうなあと思います。またこのとき長野さんが戻って来たために仕事を外されてしまった子も1人いたと…。2年半いなかった人が戻ってきて、たぶんずっと一緒にやって来た子が1人外されて、自分じゃなくて良かった〜とか、そいつはこれからどうするんだ…とか、なんで長野くん今戻って来たんだとか、いろいろ考えてしまうかもしれないな。実際に井ノ原さんも「うわーきたって思って」「こんなギリギリに呼ぶなよって思った」と語っています*3。ほとんど完成していたものに新たな負荷がかかるし、外された人にあったはずのチャンスもつぶされてしまったのですから当然です。ただその方は現在家庭を持ってそれはそれで幸せにくらしていて、今も仲良しの井ノ原さんと「あれが分かれ目だったね」としみじみ話したりするそうで、救われる話です。

また井ノ原さんは、長野さんが復帰したことで「今のJr.内でトップになっていたのに、上のひとが戻って来ちゃった」と危機感を抱いていたとも語っています。

井ノ原:俺にはもう、後輩がいっぱいいるわけですよ。で、「いのはらさん!」みたいな。「イノッチさん!」みたいな。「どうすればいいですか!」って言われるような立場なの。長野君きてもらっちゃ困る訳ですよ。俺が割と築き上げてきた中で、長野くんはほら、もともと先輩だから、頭あがらない訳じゃないですか。難しいなってことで、長野君にちょっと話して。「ちょっと、今までとはちょっと立場も違うんで、みんなと同じように、僕仕切っちゃっていいすか?」
国分:したら長野君は?
井ノ原:「どうぞ~」って。いい人なのよ長野君!*4

長野さんがいい人で良かった…。本音のやりとりを経て、2人はどんどん仲良しになっていくのでした。

復帰後すぐに行われた少年隊’92 SPRING TOUR。長野さん井ノ原さんの2人は少年隊のツアーについていたときの話をよくしていますが、それが多分これ。というのも、少年隊の全国ツアー自体がこの後なさそうなのです。映像化されたものを見るとメインのバックがTOKIOで、あとから出てくるのが長野井ノ原などの6人…かもしれない…あんまり自信がない…。

このときのツアーではずっと全国をまわっていたのに東京だけTOKIOがバックにつくことになり錦織さんに「お前らはCHIHOだ」と命名されてしまったり*5、広島で焼き肉につれていってもらって「デビューして戻ってきます」と約束したり。広島の焼き肉屋さんについては2003年トニセンコンサートのとき再訪し、お店の方と握手したというエピソードが語られています*6

5月〜 立て続けに少年隊舞台

少年隊ツアーを終えた2人はそのまま5月から日生劇場の『SHOW劇'92 MASK』に出演。MASKには坂本さんも出演したので、初めてトニセンが3人そろって舞台に出たことになります。坂本さんは直前に舞台『阿国』出演があり稽古に途中から参加、機構の説明を受けていなかったためカーテンコールでせりを止めてしまうというアクシデントもありました。しかも自分でやったのに気づかず「誰がやったんだ!」と怒っていたらしいマサ…*7復帰後(おそらく)もやんちゃ…さすが俺たちのマサだぜ!

その後も続けて『PLAYZONE’92 さらばDiary』に3人そろって出演をはたします。完全に今の舞台系Jr.のはしりです。いや、舞台系Jr.でちゃんとデビューできたのがトニだったってことなのかな。

井ノ原:僕と長野くんは全然忙しくないのに、Wキャストだったという(笑)。
長野:そうそう!セリフがある役とバックダンサーを交互にやってたよね。「今日、ウチの親が観に来るからセリフある方やっていい?」とか2人で相談しながら(笑)
井ノ原:「いいよ、もちろんだよ」ってね。ビデオ収録のときは2回公演だったから、1回ずつやることにして、だから映像を見るとバックで踊っているのがシーンによって長野くんだったり俺だったりしておかしなことになってんの(笑)*8

ここで話題に上った、交互にやっていた曲というのが東山さんソロ『Before Fight』でした。(余談ですが私も最近映像を見て、長野さんを追っかけていたはずなのにどうしても見失ってしまう…と不思議に思っていたので、謎が解けてよかった!) セリフを言う役は足をけがしてしまう設定で『Before Fight』バックにつけないため、どちらにも出演できるようWキャストにしていたのかな、と思います。坂本さんはバックをつとめながらも1シーンだけ役がついており、今で言うと岩本照くんのような存在感を出していました。

就活のためにもう1度辞めたい

復帰してから数カ月、順調に少年隊のお世話になっているように見える長野さんですが、またこのあたりで転機がありました。専門学校の人がみんな就職活動をはじめたタイミングで、再度辞めることを考えたというのです。

長野:専門学校2年になると、もう就職の話になってくるわけですよ。で担任からも後半になってくると、クラス40人くらいいて、就職活動してないのはうちのクラスで2人だけだぞと。そのうちの1人なの。お前どうすんだと、言われながらも、でもここでまた就職するのもどうなんだろうと思ってたし、多分好きだったんだろうね。で、やりたかったから、就職活動まったくしないで、もらえる仕事をやって。*9

井ノ原:ホテルに泊まってたんです、ぼくと長野くんと坂本くんで。坂本くんは次のコンサートにはもう出ないみたいなことを社長に言いにいくって。辞めるって言い出したんですよ。で俺は「辞めないで」とかって言ってたんですよ。で、長野くんも「やめないでやめないで」って言ってたのに、じゃあ3人で一応、僕も説得組、長野くんも説得組として社長のとこに行ったんですよ。したら「俺(坂本さん)はもうちょっと次からは、辞めたい」と。出たくないみたいなことを言ったんですよ。で、社長は「長野はどうなの?」って言ったら「いや俺就職活動あるから…」お前も辞める気だったのかよ!!って。すげえ神妙な顔してたんですよ。
(中略)
長野:また、あとあと1人で言うよりはここでのっかって…。*10

ここ、3人で行くんだ!?という驚きもあります。いつの間に3人組になっていたの。しかもせっかく戻って来た坂本さん長野さんが両方辞めると言い出すのだからただごとではありません。3人の「苦楽をともにしてきた」レベルが半端ないですね。このときの社長は「勝手にすればいいじゃない」と言いながらも、あとから仕事を振ってくれたそうです。時期的には前述した『PLAYZONE ’92 さらばDiary』なんじゃないかなと推測しています。

長野さんについてエピソードを振り返ると、たしかに「就職」という言葉が何回も出てきているんですよね。「時代はITだったから(就職しやすい)情報処理の専門学校にいった」「就職活動があるから(辞める)」「バブルがはじけて就職難だと思った」*11等々。堅実な長野さんにとって、デビューの保証もなく先が見えないという状況はとてもつらいものだったのではないかと思います。もし高校卒業後、専門学校に行っていなかったら…坂本さんのように就職していたら、それを辞めてまで戻ってはこなかったような気がする。

 

坂本さんについては、辞める直談判事件のあとも12月に「SMAPのバックにつきたくない」と歌番組収録から帰ってしまったエピソードがあります。この年の後半はかなり鬱屈した気持ちを抱えて日々を過ごしていたのではないでしょうか。

井ノ原:SMAPさんのバックの仕事で、言っちゃえば坂本君的にはプライドというか、SMAPは年下だと!年下のバックでは踊らない。ただ、バスケットはやってもいい。バスケットをやりながら振り付けをやるってのがあったんですよ。それで呼ばれたとき、バスケットプラスちょっとだけ、4小節くらい踊るって言ったら、「いや踊りはちょっと」って言って、「4小節くらい踊れよ〜」と思うけども、それも帰った。*12

「バスケットならやるけど、踊るなら帰る!」って、普通…逆だろ。でも私はこのエピソードがとても好きで…今だから笑えるんだけど実際はかなり追いつめられていたんだろうなと切ない気持ちになるし、感情の発露として「バスケットじゃないなら帰る!」と、とんちんかんなことを言ってしまう若さといったら。この事件のちょっと前、8月にBSで放送されたという『~ジャニーズからSMAPTOKIOそして~ -SMAP- (時代を駆ける栄光のアイドルたち)』…KinKi KidsのTV初出演番組としても知られるこの番組で坂本さんは「Jr.なのに21歳になっちゃいました」と発言しています。その場では笑いを取っていたけど、自分の年齢にいろいろ思うところがあったのでしょうねえ。

ちなみに長野さんは件のSMAPのバック、KinKi Kidsなどに混じって満面の笑みで踊っており、Mステの過去映像でも「長野博(当時20歳)」とよく紹介されています。この2人の違い、面白いです。

 

・これまでの記事

長野博Jr.時代 (1) 1986年・入所と初仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (2) 1987年・光GENJIに引っかからなかった - over and over

長野博Jr.時代 (3) 1988年前編・初めてTV史に名を残す - over and over

長野博Jr.時代 (4) 1988年後編・栄光の平家派 - over and over

長野博Jr.時代 (5) 1989年・フェードアウト - over and over

長野博Jr.時代 (6) 1990年・トニセンが息してない - over and over

長野博Jr.時代 (7) 1991年・専門学校、そして復帰時期の謎 - over and over

長野博Jr.時代 (8) 1992年・2年半ぶりに、ジャニーさんからの電話 - over and over

・このあとの記事

長野博Jr.時代 (9) 1993年・KinKiのバックもお仕事 - over and over

長野博Jr.時代 (10) 1994年前編・TOKIOに入りたかった坂本昌行 - over and over

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長野博Jr.時代 (12) 1994年後編・V6絵コンテの謎 - over and over

長野博Jr.時代 (13) 1995年前編・ここへ来てまさかの付き人 - over and over

長野博Jr.時代 (14) 1995年中編・メンバーによるデビューについての証言 - over and over

長野博Jr.時代 (15) 1995年後編・長野博のいちばん長かったかもしれない日 - over and over

*1:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2007年9月16日

*2:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2007年9月16日

*3:V6 Next GenerationJFN/2012年1月28日

*4:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2009年2月15日

*5:『うたばん』TBS/1997年5月6日

*6:クルマでグルメ』ジャニーズweb/2003年6月21日、『クル日もグルメ』P50/M.Co./2008年6月

*7:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK BSプレミアム/2008年3月17日

*8:『STAGE SQUARE Vol.10』日之出出版/2014年8月

*9:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2007年9月16日

*10:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2010年12月20日

*11:V6 Next GenerationJFN/2007年6月23日

*12:『ザ・少年倶楽部プレミアム』NHK-BSプレミアム/2009年12月23日